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桜なんてどーでもいい

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結月でございます。

東京で桜は満開というニュースを垣間見て、そういえば近所にある桜並木も咲き始めている。ややこちらのほうが開花が遅いようである。

なかなか見事な桜並木なのだが、それは保育園の送迎の際、駐車場から少し見えるから咲き始めているのを知っている。しかし、それ以上はなんとも思わない。

このところコロナで花見が自粛されているので花見の話題がなくて静かでいいと思いつつ、そもそもわたしは桜には昔から興味がなく、正直、それほど好きでもない。

桜はなんだか年寄り臭いように感じるし、みんなが話題にするからそっぽを向きたくなるひねくれ者。

わたしは本物の桜よりも、桜柄の極上の京友禅を着た女のひとのほうが好きな美的ガチレズ。

あと桜に興味が持てないのは、基本的にわたしが引きこもり体質であるからで、外に出ないから。近くにあんなに見事な桜並木があるというのに引きこもっている。桜を眺めるより屋内に閉じこもって猫を抱いているほうがいいのである。

猫、命。

さて、今年は桜なんてマジでどーでもいいと思うどころか、そもそも眼中にないのは年内に行うビッグなプロジェクトの準備に頭の中がフル回転モードだから。

「只今、準備中」であるから、まだ具体的に動く段階ではなく、その下準備。この期間が実に歯痒くて、それはスタートできる形を築き上げなければならないからで、たくさんの働きかけをして、たくさんの返事待ちをするからである。

あとはお金の予測と計算。結構大変な事務仕事。プロジェクトの戦略。エトセトラ。

なので体は動かさず、ひたすら頭ばかり黙々と使う日々で、

「あー、煙草吸いたい」

と、オツムが疲れると煙草が吸いたくなる生理的欲求が湧き上がるも、

「口の中が気持ち悪くなるから嫌」

と、吸いたい気持ちより吸ってしまった心地の悪さが勝るからやはり吸わない。それに吸うと部屋の中が臭くなって自分で吸っておきながらお部屋用ファブリーズを散布しまくるというアホなことになる。

これはキューバ産の上質な葉巻なんかだと香りもよくて気分は最高なのだが、現在アタシは夕刻になると保育園に愛娘を迎えに行かねばならぬから、悠長に葉巻なんか吸う気分にならないのである。

送迎後は食事を作ったり、遊びに付き合ったり、勉強を教えたり、バイオリンを教えたりと忙しいからやっぱり葉巻を吸う時間がない。

そういう意味でわたしはゆったりとする時間をすっかり失っている。

昔は夜中に葉巻を吸いながら、マーラーの交響曲を聴いたりしていたが、そういう文化に酔いしれる上質な時間は今は昔。

とまあ、文化を仕事にしているけれど、文化的上質時間を過ごせなくなった。思い起こせば、銀座にいた日々は上質極まる文化的な時間で、その豊饒たるや、文化的なものでないものは存在しない強烈な毎日だった。

さて、そんな過去と比して今が不満があるわけでもない。あの頃にはできたものが今はないけれど、あの頃にはできなかったものが今はあるのだから。何かを得れば何かを失い、何かを失えば何かを得るってやつ。

今は大きなプロジェクトにときめきつつ、これはうまくいくのかしら?と不安もなくはなく、でも不安は何をやっても出てくるのが常であるから突き進みながら不安要素を壊していく。

だから躁鬱のようなアップダウンがあり、猛烈に機嫌が悪い時があれば、問題が解消されてやけにご機嫌な状態になったりして、要するに気持ちが悪いヤツになるのである。

こういうのは周囲の人が大変であって、わたしは自分が機嫌が悪いときの人間性が本気と書いてマジと読むほどサイテーであることをよく自覚しているので、人とチームを組んだりすることをしないのである。

まるでチーム不向きなクソすぎる人間性。だからひとりでやってる。ひとりが向いている。人望ゼロ。

ひとりでいればマジクソ機嫌が悪い状態で人と接することがなく、トラブルを抑制。

でも言い訳をすれば、プロジェクトに本気であるなら猛烈不機嫌になるくらいが当たり前。なぜなら、物事を進めるにはすべてがうまくいくようなことはなく、むしろうまくいかないことの連続であるから。それをなんとか解決しようと思えるのが本気な証拠で、不機嫌にならないのは一生懸命やれてないってことではないか。

と、自分の性格の問題点を正当化してみる。

喜びとは苦難から発生するものである。苦難の大地から咲く花である。

苦しみがあるからこそ大きな喜びがあるのだから、苦しみは肯定的に捉える。しかし、これは自分がやりたいことに関してであり、ブラック企業に忍耐で勤め上げるという意味ではない。

というわけで、煙草をスパスパとやりたい気分になりつつも口の中が気持ち悪くなるのが嫌という今風価値観で生きているわたしがエアロバイクに乗る。

これは極度の運動不足に陥り、下半身の筋力レベルが本気でヤバいほどに低下したから今年の1月に買ったもの。

それからというもの、保育園がない土日以外は必ず30分を2セット行う。

今では筋力が回復し、購入当初は負荷レベル「6」だったのが、今は「8」で30分漕ぐ。ちなみに9段階まであって、「8」がなかなか重い。

最初は「8」の負荷は重すぎて瞬間的に無理と悟ったが、「6」で続けているうちにそれが軽く感じられるようになり「8」でもできるようになった。

これで結美堂山ガール部の6月の那須遠征も少しは耐えうるのではないかと期待する。それにエアロバイクを漕ぐと必ず猫が飛び乗ってきて、7キロほどある猫を抱きながら漕ぐのは山登りのリュクサックを想定し、腕も鍛えられる。

しかし、頭が疲れたときなどは体を動かすと実にいい。きっと不機嫌モードのときもエアロバイクをすれば気分がほぐれるだろう。

人間は頭だけで生きるとメンタルが病むもので、総じて心療内科に通うようなタイプは運動不足である。頭の地獄に陥って、布団の中に潜り込んで悩みに悩む。

文化人リベラル左派が何かと批判にヒステリックで、物事を悲観的に捉えるのは、得てして文化人と称する人間は運動不足だからに違いない。

だから体は動かさないといけない。積年の引きこもり、文化体質に極端だったわたしが気づいたのだから間違いない。

とまあ、今年度からはエアロバイクがあるから、プロジェクトでうまくいかないことがあっても不機嫌率は去年より低いはず。

でも、桜なんか見ないよ。そんな暇じゃないし。

そうは言いつつ、わたしは中禅寺湖が好きで、中禅寺湖だったらずっと眺められる。

結局人間は好きなもの次第。

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