結月です。
極度の運動不足は軽くヤバすぎて、今日もエアロバイクを1時間エクササイズ。昨日も1時間やった。
消費カロリーは1時間で540kcalほど。1kg体重を落とすには7,000kcalの消費が必要であるから、この調子で毎日エアロバイクをやると2週間で1kg減量できる計算。となると10週間で5kg、つまり2ヶ月半というわけ。
あとは田舎のクルマ生活のために筋力低下が著しいから、これを改善させねばならず、しかしエアロバイクをやるとみるみるうちに回復していくのがわかる。体は軽く感じるし、階段を上ったりするのも楽になる。
公演前は忙しすぎてエアロバイクを長らくできなかったため、やらなければならないことが山積して切羽詰まっているときに筋力が落ちて余計に疲れるという悪循環を経験していた。
切羽詰まっているときこそしっかりと運動をし、筋力を維持しておくようが疲労は少なく、結果仕事の効率も上がる事実からもっと頭をドライにしてエクササイズしておけばよかったという昨年の反省。
しかし、それも今になったから言えることで、処理すべきタスクが凝縮される毎日ではそんな余裕はなく、エアロバイクを漕ぐ時間もない。
とは言え、今後はもう少しそのあたりは上手にやろうと思う。
あとは毎日ストレッチをするようにすると、首、肩、背中がガチガチになっていたのはかなり緩和されて体が動くようになってきた。
東京にいる頃は運動は特別していなかったけれど、ここまではひどくはならなかったことを思うと、東京は電車を乗り継いだりと何かと歩くことが自然にエクササイズになっていた。田舎のクルマ生活はコンビニに行くのもクルマなのだから、本当に体を動かさない。田舎とは体に悪い場所である。
東京と違うのは高校生くらいなもので、東京なら電車通学なのが田舎では恐ろしい距離をチャリで通うという事情があり、そういう基礎体力は田舎出身の人のほうがあるように思う。
さて、何かと体のことが気になるのはそんな運動不足のせいで体が重いなんてことがあるのに加え、自分もせいぜいあと20年か25年くらいしか生きないのだろうと6歳の愛娘を見ながら思うからである。
自分が死ぬことを1日に一度は考えるわたしは死生観の構築が人間の哲学であると認識していて、死生観は変化しつつ時を重ねるが、常に現段階としての死生観は自分の中に確立できている。
そんな話をわたしよりも年上で確か74歳くらいの自分の母親にしていたら、あっけないほど死生観がなくて、わたしのほうが自分の死のことを深く考えていた。
人それぞれとは言えど、70歳を超えて死生観がない呑気さに驚いたのである。
とは言え、他人のことだからどうこうするつもりはなく、どうせ言ったところで死生観を築けるかは能力であるからどーでもよろしい。
ともかく、長くてあと25年しか生きていないのか、もしかすると20年かと思うとその短さにちょっと焦る。
20年前は21世紀になって数年経ったくらいの頃で、その20年間に自分ができたことを振り返るとそんなに大したことがないとわかり、う〜む、この先の20年も過去20年と同じ程度じゃ、大したこともできずに死ぬんだなと思うわけである。
と、そんなことを考えるくらいだから、肉体の経年劣化もあり、エアロバイクをやって、年に一度や二度は山登りをして体を動かしておかないとちょっとヤバい。
しかし、趣味でスポーツなどをしない大勢の人にとっては運動不足は30代から本格的に始まっていて、わたしも過去を顧みるとそれや単に経年劣化がまだ少なかっただけにすぎず、でも経年劣化は積み重なるものだから実は時間と共に確実に進行していた。
もし20年前から山登りをして、今の自分がわかっていることを実践して肉体をケアできていたならば、今という結果はかなり変わっていたのは間違いない。後悔先に立たずであるが、それでも栃木に来て「趣味・病院」になるほどすぐに病院に行き、検査も定期的にやるようになったのは幸いなことである。
と、2月には人間ドックに申し込みも済ませてあり、脳ドックもセットである。
会社の健康保険で受けられる検診の内容を改めて病院に訊いてみたが、やはり人間ドックとは検査項目の数が違いすぎて、最低限くらいしか検査しないことがわかり、
「やっぱり人間ドックでお願いします」
と、告げた。
金はかかるが、こういうのはケチるものじゃない。しっかりと隅々まで調べ、問題ないならそれでよし。
東京にいた頃は健康診断など一度もしたことがない無頼ぶり。病院に行きやすい環境である栃木に来なかったらもうすでに死んでいたかもしれない。
さらに銀座で着物を着ようと思い立ち、当時85キロあった体重を3ヶ月で20キロ減量したことがなければもっと早く死んでいた。
不思議と人間は早死にを止める出来事が訪れるものである。それを察知し、行動することで寿命が伸びる。
それを察知はしても行動せず、運動不足、不摂生を続ければ早死にする。去年は知り合いが若くして2人も急死してしまい、思い出せば寂しい思いになるのであるが、彼らは死を防げることをしなかった人たちである。もし人間ドックに行っていれば事前にその兆候を知ることができ、治療していれば今も生きていたに違いない。
と、若いうちに死ぬのは困ると思うわたしはエアロバイク、そして人間ドック、趣味・病院。
とにかく愛娘がまだ6歳であるし、猫も3匹いるからわたしは死ぬわけにはいかないのである。
でも、わたしもあと20年か。もしかするとあと30年生きるかもしれない。でも、そこまで生きたとして社会に対して何かやる仕事ができるかはちょっと無理そうで、それができるのは頑張っても20年くらいじゃないか。
「人の生は歩く影にすぎない」(by シェイクスピア)