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やると決めたらやる。

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結月でございます。

今日も猫を抱きながらエアロバイク30分を2セット。

2セット目は太腿に筋肉疲労が残っているためややきついのだけれど、たかだか2セットできつさを感じるのはまだまだ肉体が軟弱である証拠。このまま続けていけばその疲労もなくなり、3セットもいきたいところだが時間的にエアロバイクばかり乗っていられない制限がある。

さて、思うことはいろいろあって、文化系軟弱さというのは精神的のよくないのではないかということ。

作家、批評家などは総じて肉体が軟弱というか、筋肉が乏しい。物事を悲観的に見たりする体質もそれは単なる運動不足によるものではないかと思う。

肉体が伴っていないと頭だけで考えるようになり、神経質になりがちで批判体質になる。

太宰治の自虐的な性格は薬物ばかりやって肉体が軟弱であるからでないかと思うのであるが、芥川龍之介もそうであろう。

ああいった作品は肉体が伴っていなくて、そこに薬物中毒で精神が冒されているからできあがったようなもので、そう考えるとそれらは人間に対してものすごく狭い範囲しか捉えらえていないということになる。

きっと三島由紀夫はそういうところが嫌でたまらなく、ボディビルをしたり自衛隊に入隊したりと肉体感覚を求めた。

今でも口うるさい批評家は体つきを見るといかにも運動不足であり、体を鍛えた経歴が見えない。頭ばかり肥大化してヒステリックになる。

優秀な経営者やビジネスマンは肉体のトレーニングに励む人が多いというが、それは精神と肉体のバランスがないといいビジネスは生み出せないことを感覚的に察知しているのではないか。

とまあ、文化系軟弱さを幼少の頃から築き上げてしまったわたしは今頃になって肉体感覚の重要性を悟ったわけで、エアロバイクを猫を抱きながら漕いでいる。そして、少しは肉体をマシにして、まともな山登りができればと思う。

というわけで、2022年のベストな買い物はエアロバイクであることが早々に確定して、その次はサブカーとして買ったミライースであろうか。

ミライースを保育園の送迎に使うことでガソリン代が半分以下となり、愛車の過走行も緩和されバランスが取れてきた。

しかし思えば、わたしはほとんど買い物をしないから買うとなれば本当に必要なものしか買わないのであって、必然的に買うものはベストなものになる。

そして買ったものはとことん使う。かけた金額は最低限きっちりと取り戻す。

仕事では着物を売ったりバイオリンを売ったりしてきたが、そういう趣味的なものは買ったはいいがあまり着なかったり、弾かなかったりとなりやすい。販売する立場としては寂しい気もしつつ、お客さんとはいえ他人の買い物であるからどうこう言える立場でもなく、そういうものとして割り切ってはいる。

決めたことはやる。

そうしたほうが人間は幸せを感じる機会が多いような気がする。少なくともわたしはその方針で生きている。

エアロバイクを買ったなら、一日30分は必ずトレーニングをする。そう決めたなら毎日実行する。

健康器具は買ったもののたちまち三日坊主で、部屋の中で放置され、邪魔な事物に陥りやすい。

そうなると、それが目に入るたびに自分の決心の弱さを見せつけられて、さらに目指したはずの健康は得られず、病気がちであったり肥満体質のままである。

自分が決めて購入したものが使われないと自分の不甲斐なさを見せつけられて、しかも他人のせいにもできず気分が悪い。そんな状態で幸せを感じられるはずはない。それが月賦で買っていたら毎月の引き落としも最悪な気分。

しかし、やると決めたことをやれば購入した品物は減価償却できるわけで、使い切ればお役御免で処分しても目的達成ということで満足でき、すなわち幸せにつながる。

試験もそうで、参考書やら塾やら予備校に金をかけたのに勉強をサボり、その結果不合格であればいい気分であるはずもない。

自慢だがわたしは昨年、国家資格の試験を受け、無事合格して資格を取得したわけであるが、正直言ってこの資格はコロナ禍では今すぐに使うアテはないし、そこまで必要性が強いものではなかった。しかし、資格を取得するかと決めて、参考書と問題集に1万円くらいは使ったのであり、これで資格を取らなければ1万円が無駄になる。さらに中途半端に勉強して不合格であればそこにかけた時間も無駄になる。その無駄がとてつもなく嫌で猛勉強し、合格。

となれば資格を得たから、今すぐではなくともアフターコロナになって社会に活気が出てくるといつでも使える。

自動車の運転免許もそうであろうか。

運転免許も高い金を払って免許を取ったはいいが、結局乗らずじまいでペーパードライバー。となると、免許証はスマホの契約時に提示する身分証の役割程度しかない。

身分証の役割なら健康保険証やマイナンバーカードで十分で、これらはタダである。

運転免許の取得に30万ほど自動車学校に使い、それを使わないままという精神で幸せがあるわけがない。

無駄だったという意識、30万円は別のことに使えばよかったと思う後悔。

自分でやると決めたことはやる。そしてやり切ったら終了していい。次の何かをまたやるといい。

しかし当然ながら世の中を見渡してみると、何かについてのプロであったり、著しい業績を上げている人などみんな、やると決めてやった人たちばかりなのである。そこまでやり切らないと技術も経験も身に付くはずはなく、単純な結果にすぎない。

そんな単純なことも人間は思いのほかできないもので、途中でやめたり、三日坊主で諦めたりと中途半端を繰り返し、何もない人間になる。

そうなるとどうなるか? 

誰でもできるような仕事に従事することになり、そこには生きがいもない上に給料も安い。

人間はアイデンティティがないと辛いもので、中途半端だと自分が何者かを自分で特定できない。だからこそ、趣味を無理やり見つけてみたり、オンラインサロンに高い金を払ってみたり、最悪はいかがわしい新興宗教に入信したりする。

そして、やると決めてやらない人間の話は得てしておもしろくない。

どんなことでもいいからやると決めてハマってしまった人間の話はちょっとした真理が垣間見えておもしろいものである。

自分がやると決めてやらないのは自分への裏切りであり、自分という人間をいい加減に扱うことと言える。

自分を大事にするのであれば、やると決めたことはやる。願わくばやり遂げる。そうすると自分がやったことに関してはトークすることができ、

「ふむふむ」

と、話を聞きたくなる人間になるのである。

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