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事業計画まとめ中。

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結月です。

発展しないものには投資しない。

投資というと大げさだけれど、つまり発展しないものに金と時間は使わない、ということ。

もっと言えば、維持させるものには金と時間は使わないし関わらない、ということ。

日本人の国民性なのだろうか、とりあえず「様子見」が多すぎる。昔は時代の変化は遅かったのでそれでよかったのかもしれないが、今はとにかく変化が早いので「様子見」なんかしている間に時代そのものが変わってしまっていて、やっと決めたときには、

「もう遅いよ」

と必要とされていないものになっている。

日本の名だたる企業も世界では時代遅れな、というか相手にされてなかったりするようで、それも日本の決断力の遅さ、合議的で、稟議書回して数々の認証を経てやっとという責任逃れシステムのせいなのだろう。

ネットがない頃はそれでも間に合ったが、今はそんなことをしている暇はない。迷っている間に決断力と実行力がスピーディーな国や企業にその案件は取られてしまう。

わかりやすく言えば、告白しようか迷っている間に他の人が告って、もうその人は自分が手の届く人でなくなったみたいな。

ちなみにわたし先日、行きつけの宇都宮のドンキの食品売り場で、愛娘が好きな紀文の肉まんが賞味期限近くで割引になっていて、それを買おうと思ったが2階に用事があるから後でいいだろうとスルーした。そして、肉売り場に鶏の心臓が1パックだけ残っていて、これはわたしの好物だから後で肉まんとまとめて買おうとスルーした。

2階で物色した後、肉まんと鶏の心臓を買おうと戻ってきたら、わずか15分程度の間に両方ともそれらは他の人に買われてしまっていてなくなっていた。

たとえ肉まんでも「これ!」と思ったらとりあえず買い物かごに入れてキープしておくべきなのである。

とまあ、何も考えずに闇雲に手を出すのはいけないけれど、だらだら考えて好機を逃すのはよろしくない。

さて、発展しないものには関わらないようにする。

そして自分がやるものは発展を目指すものにする。

衰退しそうなものを保全しようとか、そういうのはやらない。

いくらいいものでも保全しようとすると発展を拒む。変えないこと、変わらないことがいいとされるから。

それらは得てして、それを愛する人たちのノスタルジックになっていて、時代錯誤でカビ臭い。

発展のためには古くなったものを破壊しないと進まないが、ノスタルジックになると破壊を拒む。

あらゆる芸術は破壊と創造を繰り返して進化してきたのであるが、伝統と言われてしまうと破壊できなくなる。

やることが次第に形式化し、その形式に落とし込むことが仕事になる。そうなると何も新しいものは生まれないし、だから発展しない。発展しないことがどうして良くないかというと、そこに携わる人の自己実現がなくなるからである。

でも、自己実現は望まなくて、現状維持で今のままでいいと思う人たちばかりの組織もたくさんある。

今はどうにか維持できても、10年後、20年後は時代のニーズに応えられてくて維持できなくなる未来がある。

だから安定はとりあえず心地いいかもしれないけれど、心地よさを感じた時点で破壊を始めないと間に合わない。

と、そんなことを考えているから、破壊から発展に好意的な人たちで仕事をしたいな、と思う。

やることはビジネスであったとしても、そのスピリッツは前衛アートでありたい。

ところで先日、結美堂山ガール部で奥日光の半月山を登山してきた。思いのほかハードで、7時間ほどかかった。急な登りもあり、下山後は脚がガクガクになり、体全身が筋肉痛でヘロヘロになった。

幼少の頃から運動は苦手で、それを避けるように文化系にひた走ったわけだが、そんな軟弱なわたしが山登りをするのも自分を破壊するためである。肉体的軟弱さを破壊する試み。

元が駄目だからそれによって肉体が強靭になることはないが、少なくとも運動が駄目である自分を破壊しようという行為にはなる。強靭にはなれないが、軟弱なままでいることからは脱する。

おかげで肉体の重要さがわかってきた。文化系だと精神という形而上学に埋没してしまうが、形而下のことがしっかりとしないといけないことがわかった。予防医療に目覚めたのもそのためである。

理想なる形而上に酔いしれるままだと、肉体が衰退して自分という存在が消えてしまう。酔いしれるままという現状維持では実は現状を維持できやしない。

かといって、形而上が駄目というわけでない。それだけの追求がいけないのであって、自分がある程度到達したものは固執するのではなく、そこから離れて他にいってみるのがいい。

山登りという自分には弱いことをやってみると、今までの自分が知らなかったことがたくさん見えてくる。発展とはそういうことじゃないか。

そうすると時間の進行は年を重ねるけれど、自分が新鮮になって時間を逆行するかのように若い時間から新たなスタートという気分になる。

少なくとも自分が古臭くなっているとは思えない。

そんな中、事業計画をまとめている。

今あるものを維持させるのではなく、今ないものを生み出す計画。

今ない取り組みを始めて、その新しさが今後10年間でスタンダードになることを目指す。

そしてスタンダードになった時点で、それはやめちまう。なぜなら達成されたものはその時点でもう新鮮なものでないから。

10年後にはそのときにないものをまた新しく考える。

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