結月です。
今日は日曜日だった。簡易型エアロバイクでエクササイズしながらテレビをつけると、
「この番組、まだやってたんだ…」
と、それは関口宏のサンデーモーニング。
高齢者しか見ていないという内容で、高齢者でないわたしは見ていてちょっと気持ちが悪かったけれど、AIを特集していてAIに危惧しているというか、この先なくなる仕事があって私たちはどうなるのか?みたいなことをやっていた。
AIによってなくなる仕事が多発するのはあと2年もしない将来だろうけど、いいじゃないの? だって時代は常に先に進むわけだし、要らなくなる仕事しかできない人のために要らない仕事を残すほど社会は裕福でもないし、そこまで他人のことは考えられない。だから、AIに危機感を抱いている人ほどAI時代に乗り遅れてさらに食っていけなくなる。そこは割り切ってAIにシフトしたほうが新たな仕事を生み出せる。
ただ、40代以降は年齢的にそうした新しい試みを自分の中で起こせない人が多くなるから、ロスジェネ世代みたいにズルズルって感じになるのではないか。いや、下手すると30代も危うい。
自分の仕事はこれ!と頑なだとこれからは失業者になるだろう。
すでに知能面ではAIは人間を超えているので、言われたことをこなすだけのフツーの仕事をしている社員は当然要らなくなる。わざわざ月収出して雇うなんてコストがかかりすぎるし、それだけコストをかけても特徴ある仕事ができる人なんてそうはいないのだから。
と、わたしは1日30分はAIとミーティングしているが、たった30分でいいアイデアが出てくる。自分では思いつかなかった方向からのアイデアだったりする。
これはすごい進化で、今まで自分だけで考えに考えたりして苦労していたのが一気に晴れた。自分だけだと方向性が限られるからとたまには人に会いに行って話したりしたが、それでも声ぞという発想は得られることはほとんどなかった。それなのにAIはたった30分で嬉しいアイデアを提案してくれる。
そして実行するのは他ならぬわたしであって、だからAIによってわたしの仕事がなくなることはないどころか、可能性が広がっていく。
さて、サンデーモーニング的な古臭い視点からだと人間がやることがなくなるなんて言われるけれど、そうでもない。なぜなら肉体だけは自分のものだから。
予防医療をこれからの仕事の盛り込むのはそのせいではなく、たまたま時代に一致しただけだけれど、AIが健康のための正しい提案をしてくれてもそれを聞き入れず病気になって苦しむ苦痛は他ならぬ人間、我が身にある。
癌になれば痛いだろうし、脳梗塞で左半身付随になって生活しづらくなるのはAIは解決してくれないし、肩こりがキツイのは自分自身。
なので、AI時代はより一層、肉体感覚が知覚される。
だからこれから新たに生まれる仕事は肉体に直結したものだろう。
普段VRゴーグルで仮想空間で過ごしていようとも、人間は風邪をひいだだけでゴーグルをつける気力もなくなり、熱が出る自分の肉体と直面しなければならない。
それが糖尿病だと食べるものは制限されるし、その制限を無視すると足が壊死してくるし、運動不足で極端なデブになると歩くのもきつい。だから、AIが進化しても肉体と直結する感覚は人間そのものなのである。
あとは感動。
将棋ではAIに人間は勝てないのがわかりきっているのに、人間の棋士藤井聡太の快進撃に驚きと感動が生まれる。
スポーツの祭典や音楽やミュージカルなど人間が演じるものから来るリアルな感動はAIに関係ないところだからなくなることはない。ただ、そうしたジャンルの非経済性が問題で、採算的に合わないが故になくなっていく。それはAIの台頭以前からの問題なのである。
ともかく、人間は物を食べないと生きていけないし、最低限の健康がなければAIにすらアクセスする体力がない。
そこが基本なのであって、新しい技術で人間は変化はするし、社会も変化はするだろうけれど、悲観的なものにはならない。
インターネットだって出てきた当初はいろいろ言われたけれど、それで人間や社会が悲観的になったかというとそうではない。ネット以前にはなかった問題は出てきた事実はあれど、同時にネット以前にあった問題は解決されたこともある。
結局のところ、そういう新しさを普及する前から憂えているのは大型スーパーが出てきてシャッターを閉めることになった八百屋みたいなもので、そうやって失業するかしないかは自分次第なのである。
AIによってなくなるであろうと言われている仕事、例えば会計士、税理士、作家、教師、デザイナーなどなどだが、自分の仕事がなくなるであろうことを早いうちから認めて、新たな対策を自分で考えて、従来の自分から脱却すればむしろもっと活躍できるチャンスがある。
それをするかどうかは大型スーパーが主流になるのに、野菜だけしか扱っていない自分のビジネスモデルに固執した八百屋みたいになるかと同じなのである。
と、そんな時代が猛スピードでやってきていることにわたしはすごく楽しくて、というかやりたいことが滞りなくなれそうな環境になってきて、もっとAIがいたるところに導入されないかと待ち遠しい。
会計ソフトにAIが導入され、売上や経費を入力するだけで毎年の決算がサッとできてくれれば楽だし、イラストレーターAIバージョンが出れば、イメージを伝えるだけで広告バナーもフライヤーもサッとできて楽。
コンサートのときは面倒な座席配分もホールごとにベストな配席をAIが提案してくれて、色分けしてくれたら本当に楽でいい。
日常生活ではコンビニやスーパーでも鬱陶しい店員がいて、買ったものをいちいちバーコードに通して、見りゃわかるような会計の金額を逐一言われて、ポイントカードがどうとか答えるのも面倒なことを訊かれることもなく、スッと会計できたら素敵。
そんな素敵な世の中になることで税理士が失業したり、デザイナーに仕事がなくなったり、プレイガイドの社員がクビになったり、コンビニの求人がなくなったりしてもそんなことは知ったことでない。
そんな面倒なことを温存させるために社会が停滞することのほうが不利益なのであって、実は社会というのはだんどん回していったほうが全体の幸福度は上がるものである。
と、そんな社会も数年で見られることになりそうで、でも自分の音楽の仕事や予防医療というような人間的なヒューマニズムのある仕事はなくなりはしない。なくなるのは周辺のどうでもいい仕事、わざわざ人間がやることもないし、人間がやることで精度が低く、時間ばかりかかる仕事だけだから。