結月でございます。
栃木は秋。
栃木には栃木の匂いがあって、それは土地からなのか水からなのはわからないが、とにかく匂いがある。それが特に夏が終わり、涼しくなると感じられるようになる。
不思議と土地には匂いがある。
熊本にも熊本の匂いがあり、朝方、それはよく匂う。
フランスのリヨンもリヨンの匂いがあってよく匂った。あれは土の香りであろうか。
さて、寒くはないけれど、ちょっとした肌寒さが秋を感じさせ、近くにある桜並木は葉を落とし始めている。
もうここまで来れば2021年も終わりを見据える気持ちになってくる。
今年は公演が11月下旬であるから、特別な後半戦という気がする。
真夏であった8月はコロナのデルタ株が猛威であったことはあれど、どうにも物事がうまくいかない周期に入って、わたしはなんとも居心地の悪く、いつも苛立っていた。
それは9月に入ってからも同様で、仕事のことも、仕事ではない些細なことすら思った通りにいかない状態で、そういう周期なのだと半ば諦めた。
運気というものがあるが、何をやってもうまくいかないときは何をやっても駄目。そして、何をやってもうまくいくときもある。
とにかく、人間にはそういう周期があって個々でそれは異なる。
努力でなんとかなるものはそんなに悪いとは言わない。周期的にうまくいかないときは、自分の力ではどうにもならないようなことが起き、自分から何かしたわけでないのに解決しなければならないことや自分に関わるひとが面倒を起こしたりする。
つまり、努力が及ばないからどうにもならない。
そういう時期が長くは続かないことは知っている。しかし、そういうゾーンに入ったときは堪え忍ぶしかないけれど苛立ってしまう。
でも、ここ数日でようやく脱してきたかなという実感がある。どうにもならなかったものかひとつひとつ解きほぐれるように解決し出したから。
かと言って絶好調というわけでない。悶々とはしている。でも、少しは清々しくなってきた。
それは蒸し暑さが終わりかけている秋の涼しさにも似ている。
さて、コロナもようやく感染者も減少し、ワクチン接種証明書でGoToなんて話も出てきた。昨年のGoToとは違ってワクチンがあることは安全性においてまったく異なる。
ファイザーも5歳以上でワクチン接種しても問題ない研究結果を提出したようで、これがアメリカで承認されれば日本でも同様になり、5歳以上でワクチンが打てるようになる。
認可されれば年明けに5歳になる愛娘にもすぐに打たせる。なぜなら、ワクチンがあるのに打たない大人が社会にいるからで、そんなところから感染させられると困るからである。
ともかく、ワクチン接種者で社会をポジティブに動かしていくことが必要で、逆にワクチンがあるのに打たない大人は悪いけどポジティブには動かず、リモートでひっそりとしておいていただきたい。
そんなことを思いつつ、社会はワクチンを接種したほうがお得な方向に当然ながら進んでいて、パンデミック下ではワクチン接種こそが自由を保証してくれる。
ワクチンを打たない自由は成立しそうに聞こえるけれど、感染症においては打たない自由はその選択によって自分の行動が制限される。自由を求めて不自由になる。
わたしは自由が好きだから、早くワクチンパスを導入してもらい、早く行動制限のない中で自由に生きたい。
そう言えば、ワクチンを打たないひとへのインタビューで、
「新しい技術だから信用できない」
というのがあった。
わたしはちょっと驚いた。なぜなら、わたしは新しいから信用できると思っているから。
最先端の技術のほうが精度もよく、今までできなかったりことができるようになっているから信用できるのではないか。
技術的には新しいものが優れていることは至るところに見られる。
自動車だって昭和時代のものより今のクルマのほうが安全性も比較にならないほど高い。事実、統計を見てもそのおかげで交通事故での死亡者数は減っている。
ネット通信だってダイヤル回線の頃より5Gのほうが速いし安定していて、いろんなことができる。
技術の進歩が目覚ましいのは医療の世界で新薬が開発されることにより昔は死んでいた病気が通院だけで治るようになっている。
技術に関しては新製品のほうが安全で優れていると理解しているわたしにとって、新しいから信用できないという発想は驚きだった。
趣味の世界では古いほうが好きというのはある。新刊より古典を読むのが好きだとか、80年代のクルマが好きで乗るとか。
趣味での好き嫌いは事実とはなんら関係なく、好みに過ぎない。
わたしは80年代のクルマなんて安全性が低過ぎて乗りたいとは思わないけれど、趣味で乗りたいというならいいんじゃないかと思う。
しかし、科学的なものは趣味ではなく事実であり、安全であるという事実は検査や検証を繰り返すことによって確立されている。
コロナワクチンは安全であると証明されていて、それは事実であるのに、
「新しい技術だから信用できない」
は、好みに近い判断で、事実から捉えていない妄想に近い。
と、そんなことを考えつつ、今年も忘年会をやろうと思い始めた。
結美堂ではわたしが東京を離れてもささやかながらに毎年忘年会をしている。
銀座のときは店舗で派手にやってマジシャンを呼んだときもあった。
しかし、今は少人数制で無理せずお声がけしたひとたちだけで細々やっている。
秋を感じて忘年会のことを思った。
忘年会の頃はワクチンパスも浸透して、飲み会も後ろ指差されずにやれそう。
もちろん、ワクチン接種したひとしか呼ばない。
そして、公演が終わったらGoToでゆっくり旅行でもするよ。
あとはうちの愛娘が5歳になってワクチン接種できればコロナはわたしにとっては何の脅威でもなくなる。
周期はそうやって動いている。