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占いを行動原理にする人のことは信用しない。

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結月でございます。

日々、生きているといろいろ思うことはある。

東京にいるのと栃木にいるのときと情報量の差。今はネット時代なのでネットから得られる情報量はもちろん差がない。ただ田舎にいると人とすれ違うことが少なく、東京だと地下鉄に乗るだけでたくさんの人に遭遇しているという点で人間に対しての情報の差はある。

しかし、田舎だと自然が豊かであるから、紅葉ひとつにしても東京とは紅葉の情報量が歴然とした差がある。

対象が異なるだけで情報量の総量は変わらないのかもしれない。ただ、情報を何に使って生きているかによってその情報が生かされるか無駄になるかの違いがある。

オミクロン株なるものが話題になったら、ワクチンをこの期に及んでまだ接種していなかった人が慌てて打ち出したという話。今頃気づいてアホじゃね?と思いつつも、遅れてでも接種してくれることが社会にとっては有益なので未接種者は早く接種してほしい。

ところでワクチンは小さな頃から様々な種類を接種していて、物心つく前に打ったワクチンのおかげで大人になっても死なずに済んでいるという事実を忘れている人が多い。

そんな恵まれた国である日本にいればいいけれど、アフリカなんかになると政府が腐敗してそもそも政府が信用されていないからワクチン接種が進まないだとか、あとは科学的な医療よりも呪術師が信じられていたりするから、そりゃワクチン接種は進まない。

WHOが世界に平等にワクチンを!と謳っても、呪術師には敵わない。

そんな呪術師の話はロベルト・ボラーニョの小説にあって、呪術によってサッカーワールドカップで対決する相手国のスター選手を呪い殺すというもの。それを読んだとき、小説だから嘘でしょ?と思っていたら、実際にベッカムを呪い殺そうとしたアフリカの呪術師の映像を見て、それは日本の通り魔殺人をやるような奴よりも1万倍はヤバそうな顔をして、見るも不気味な呪術の道具があってボラーニョの小説を理解できた。しかし、ベッカムは死ななかったし、イングランドも試合で勝った。

そういえば先日、たけしの不思議ななんとかっていう番組をたまたま見たら、動物を眠らせられるという気功のおっさんが出てきた。

手のひらをお椀のような形にして手をゆっくりと振り続けるのだが、サファリパークのホワイトタイガーが本当に眠ってしまった。あとは20頭くらいいたバイソンか何かも次々と眠ってしまう。サファリパークの飼育者もびっくりしていたけれど、その特技が何に使われるかという使用目的がないことにわたしが一緒に見ていた4歳児と大笑いしてしまった。

でも、ダチョウやサイには気功はまるで効かない。でもホワイトタイガーはちゃんと眠ったのであのおっさんの力は嘘ではないのだろう。今度、うちの猫にも試してみようと思ったが、うちの猫はそんなことしないでもいつも寝ている。

最近リアルに確信したことがあって、それは女は肉体的にきれいなのは良くて40歳までということ。これはもう断言してもいい。

美容整形の技術でどうこうしたとかそういう意味でなく、ナチュラルでは女の美しさは40歳がいっぱいいっぱいなのである。それ以後はその年の割にきれいだね、という判断になる。

どうやら肉体はそういうことらしい。肉体は物質であるから、当然ながら劣化するわけで、それは事実なのである。

物質的な話であるから個性の魅力や性格云々、人としての総合的な評価とはまた違う。肉体とはそういうものというお話。

そういえば、今日は週刊プレイボーイ元編集長の島地勝彦さんと電話で話したが、島地さんはもう80歳になったらしいけれど、老人っぽくない。老人って考え方が頑固になったり、偏屈になったり、視野が狭くなったりするものなのに島地さんはそういうところがなくて、老人と話している気がしない。肉体的な年齢では老人なのだけれど。

さて、オミクロン株の登場で外国人の日本への入国ができなくなり、外国人指揮者や演奏者などで企画されていたコンサートが軒並み変更を余儀なくされて、日本人の指揮者になったりと気の毒だなと思う。

気の毒に思うのはその準備をしていた事務局に対して。しかし、これはチャンスでもあって、代役となった人はこの機会にものすごい演奏をすれば一気に評価が高くなる。突然の代役として真面目にやろうとするか、ビッグボス新庄のようにド派手にいくか、その違いは大きい。

代役だね、やっぱりって思われたらおしまいだよ。今度から君に頼みたい!って言われることをやんなきゃ。でも大半は代役で終わりそう。

運というのは不思議なもので、どんな人にもそれぞれの周期で廻っている。ところがそれは見えることがない。見えないから胡散臭い占い師に頼ったりする愚行をしてしまうわけで、占いに頼ると逆に運が悪くなることが多々ある。

なぜなら占いものものが胡散臭いからで、胡散臭いことは悪運であり、自ら悪運のところに世話になっていて運が良くなるわけがない。運が良くなるのは占い師であって、なぜなら占い料で儲かるから。

大事なのは勝負勘みたいなもので、

「ここだ!」

と、ピンときたらすぐに行動できる潔さと力強さ。これがないと周期で廻ってきた運気を捉えることはできないし、そもそも運は行動しないと結果は出ない。だから行動力がないと運気がどうこうとかいう以前の問題。

得てして、そういう行動力がない小心者が占いに頼ろうとするのだけれどね。わたしはそれを小心者というより自分の人生に対して卑怯だと思っているのが本心。

占いに頼ることは自分自身に対して卑怯。そんな卑怯な奴が運が良くなるなんてあるものか。

さて、人間というのは自分の行いが悪かったのにそれを隠蔽するが如く、それを責任転嫁するが如く、そこに関わった他人を憎んだり、悪く言ったりする習性がある。

自分に都合のいい逆恨みで、これで恨まれると迷惑なものなのである。

「アタシ、なんかしたっけ?」

と言うしかないのだけれど、保身によってなぜか悪く言われたりすることがある。

これはプライドが高いとそうしやすいもので、自分の粗相を直視できないことによる。

それは実にカッコ悪いこととはいえ、自分の行いの失敗をチャラにしようと果敢な努力で見返そうとするとそれはプラスに働く。

しかし、総じてその努力よりも迷惑をかけた相手を逆恨みするもので、そのほうが努力いらずで容易いからであろう。

運の話に戻れば、どんな悪い現象もそれを生かすことができる。トライアウトに不合格になって結果的に監督になってしまったビッグボス新庄はその典型なのである。

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