結月でございます。
11月22日に最高すぎるコンサートをやるんだから、わたしはコロナなんかに罹るわけにはいかない。もし、コロナに感染したらたとえ症状がなくても2週間は動けないし、ましてや発症したら2週間じゃ利かない。それどころか重症化したら人工呼吸器で身動きも取れないどころか死ぬかもしれない。
栃木の田舎にいるわたしは感染の事前確率が実に低い生活ではあるけれど、マロオケ・レクイエム公演が控えているのだから油断はできない。でも、今日、ワクチンの2回目を接種し、あと2週間でわたしはコロナには基本的には感染しない体になる。
確率論的には感染はゼロでないにせよ、常識的には感染しない。感染したって鼻水が出るよねとかそんなレベルで終わることがほとんどで、アメリカのCDCのデータによればワクチン接種して感染しても死亡率は0.001%、重症化率も0.004%未満。つまり、死ぬことはないというわけ。
と、ひとまず安心で、これから一直線に公演に向けて頑張っちゃうよ。
今回は合唱もある曲だから、ワクチン開発が間に合って本当によかった。合唱団の皆さんもワクチンは接種するだろうし、mRNAワクチンという人類の叡知ともいえるものができてホッとしている。
特に声楽をやっている人は管弦楽以上に飛沫のことを言われてきて肩身の狭い思いをしてきた。ワクチン接種で随分楽になったんじゃないかと思う。
一年半以上も音楽界はコロナのおかげで公演中止を余儀なくされてきたのだから、ワクチン接種で安全性を高めて、これからどんどん音楽をやりたいね。
そして、お客さんもワクチンのおかげで心配することなく、席に座ることができる。
しかしながら、現在猛威を奮っているデルタ株は従来型のコロナとは別物と理解したほうがよく、1年前の常識は通用しないと思ったほうがいい。
東京の医療崩壊は現実的になっているし、だからこそ政府も中等症以下は自宅で云々なんてことも言い出す。それは入院させたくても病床確保ができない現実があり、甘い話じゃない。なんとか治療したくてもできない。そういうところまで来ている。
だから、わたしもコロナに関しては心配はなくなっても、救急車で運ばれるようなことは避けないといけない。なぜなら救急病棟はコロナ患者で埋まっているから、例えば事故って死にそうになっていても搬送先がない。
心筋梗塞や脳梗塞の疑いがある人は要注意で、熱中症も含めて病院に入れない可能性が高いからそのあたりは冗談抜きで危ない。
とにかくワクチン情報は変なものもたくさんあって、厚生労働省のホームページとか、確かな医者の発信を見る必要があり、YouTubeのトンデモ系は論外で、あとは反ワクチンのトンデモ本で稼いでいる医者がいて騙されないようにしなければいけない。
参考までにわたしが確実だと思うオススメ専門家のTwitterは次の通り。
この人たちは本当に間違いがないから信用していい。他にもちゃんとした専門家はいるけれど、あまり多くの情報を検索してトンデモに騙されるといけないから、これくらいで十分です。コロナに関してきっちりとした情報が得られるので。
ともかくもデルタ株が収まるのにはあと2ヶ月はかかりそうな感じ。しかし、これはどう変わるかわからないので、先に挙げた専門家たちの情報を見ながら自分の中でアップデートしなければならない。
1年前のコロナの情報は状況が変わっているためで、とにかく今はデルタ株は甘く見ないほうがいい。
今後どのように展開するかはわからないけれど、そこは合理的に3度目のブースター接種が必要なら政府がそうするだろうし、そうなれば打てばいいだけの話で、マスコミの恐怖商法に煽られることなく冷静に行動する。
あとはワクチンによる副反応が怖いから打たないというのは本末転倒で、30%ほどの人に出る副反応、それは筋肉痛であったり、腕が上がらないだとか、高熱が出るとかそういったもので、長くても数日でなくなる症状。それを恐れて本家本元のコロナに感染して苦しむことを想定しないのは愚かでしかない。
目先のものでなく、ちゃんと長期的に見ないとね。
あと、コロナで嫌なのは後遺症がかなりの確率で起こることで、毛が抜けるとか、集中力低下とか、倦怠感が長く続くとか、男性不妊とかそういうもの。
脱毛というのはすでにハゲな人ならいいけれど、そうでないとこれは困る。集中力低下も大変で、いつも通りにできた仕事ができなくなったり、すると職を失ったりして稼げなくなる。特に職人的な仕事をしている人にとっては致命的な症状でああるし、味覚障害や嗅覚障害となると何を食べてもおいしくないわけで食を楽しめない人生は辛い。ましてや料理人となると完全失業。
しかし、mRNAワクチンがこれほどまでに安全であるのにそれがすべての人に伝わらないというのは歯痒い。
ワクチン接種は個人の自由であるから、接種しない人に対して差別が起こらないようになんていうことを言う人がいるけれど、わたしはそれは違うと思う。
感染症というのは他者に対して感染させる可能性がある以上、個人の自由は尊重されるものではない。そんな薄っぺらな自由の主張によって感染させられ、例えばうちの4歳児がそれで感染しても迷惑な話。
ワクチンをしっかりと理解しないで、もしくはデマに騙されてワクチンを打たない人の自由を認めて感染を広げるというのは本当の自由ではない。哲学的に言えば、自由とは他者関係の上に成り立つものであり、他者の自由、もしくは他者の生存を脅かす行為は自由とは言えない。
デマを信じている人や副反応で熱が出るのが嫌だというレベルで接種しないという人の行為によって、デルタ株という伝播性が高いものが広まって誰かが死に至る、もしくは重症化する、もしくは後遺症でその人の身体的自由が破壊されると考えるなら、ワクチンを打たないという選択は反社であるとも言える。
いや、暴力団などの反社のほうがまだいい。なぜなら、暴力団など関わるような生活をしていなかえれば一般人には関係のないものだから。ところがウイルスというのはそうでない。垣根なく関わってくるものであるから。
要するに他者の自由、他者の人権を知らずとも破壊するのがコロナウイルスなのであり、ある程度は感染させてしまったことに罪はなくとも、ワクチンでほとんどが防げるにもかかわらずそれをやらないというのはそれが無知によるものだとしても結果的には罪だと思う。
コロナは新しい哲学的テーマを与えた大きな出来事であるけれど、コロナ禍においては制限される自由があると考えなければならない。
ロックダウンの問題にしても、日本は憲法に緊急事態条項がないため法的にロックダウンを政府が発令することはできない。だからお願いベースの自粛になるのだけれど、そこの理解も非常に乏しい。
だから、感染が広がるとロックダウンを軽はずみに主張する人がいるが、私権を制限することは大きな国家的行為で、法的根拠がなくそれをやることはできないし、慎重にやらないといけない。
その認識がないと超法規的なロックダウンもあり得なくはないが、今の政権はそこはちゃんと理解していて、それはやらない正常さがある。
それは菅首相が「日本にロックダウンという手法はなじまないと思う」と答弁したことでも明らかで、法律を守る意志があるとわかる。
となれば、将来的には憲法を改正して緊急事態条項を盛り入れる必要があるわけだが、それはそれで世論は納得しない。
結局、世論はコロナが広がればロックダウンを求める人が出てきて、しかし私権制限を国家が認めるとなると反発をし、だから現法でやれることをやってワクチン接種でコロナから国民を守ろうとするとワクチンを打たない人が出てくる。
ともかく、今後ワクチン接種がさらに進んで、10月には希望する国民に接種が完了するのは接種スピードを逆算すると明らかであって、その頃には今とは違った空気になっているはず。
そして感染者は出ても、それらのほとんどがワクチン未接種の人であり、さすがにそこまで国家も社会も面倒は看ないだろう。
おそらくは接種済みと未接種で7:3くらいの比率で分断が起こる。しかし、これはもう仕方がないだろう。ワクチンというものを正しく理解するには知力もいるし、教養的にない層は正確な情報は伝わらず、トンデモを信じ続ける。もはや悪質な新興宗教のようなもの。
そして、今後はワクチン接種者だけのサービスやクーポン券など特典も始まる。フランスやニューヨークはそれを始めようとしているし、さすがに未接種者の言い訳に対して社会は付き合っていられない。
しかし、アメリカでも例があるようにワクチンを接種しないことで感染し、そして重症化して死亡する寸前で人間は大きな後悔をするものなのである。そうならないとわからない人は少なからずいる。
自分が死亡しなくても家族感染でワクチン接種年齢に満たない小さな子供に感染させるといたたまれない。
そういうことを想像すれば自分を守るだけでなく、他者の自由を侵害しないという行為がワクチンであるとわかる。
人間とは必ず誰かとつながっているものなのだ。暴力は自分が抑制すれば他者の自由は侵害しないが、ウイルスは違う。抑制できずに感染させる。
ワクチンを打たない自由なんてのは哲学的には詭弁であり、誤謬。
さて、兎にも角にもわたしは2回接種を完了し、マロオケ・レクイエム公演の責任を果たすことができる。こんなすばらしいコンサートを自分がコロナに罹って潰してたまるか。
ワクチンはなかなか予約が取れず、アイドルのプレミアチケット化しているという記事も読んだけれど、先にあげたTwitterの医師たちの中で小説家でもある知念実希人さんは予約の空き状況なども頻繁にリツイートしてくれているので、そこをチェックすると空き枠を見つけられるかもしれない。
とにかくワクチンで感染を防ぎ、他者の自由を侵さないこと。この意思決定が本当の自由なのである。