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子供にバイオリンを習わせる理由

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結月です。

3歳の愛娘にバイオリンを習わせることにしたわたし。一度体験レッスンを済ませ、明日から本格的なレッスンに入る。

親のわたしが教えようとするとバイオリンをおもちゃだと思って真面目にしないから、他人に教えてもらおうことに。

やはり仲が良すぎると甘えてダメで、こういうのは他者的な距離感があったほうがよく、親にない感性を他者から供給されたほうが世界も広まるというものでさ。

と、小さい子供にバイオリンを習わせるのは、わたしが弦楽器の仕事をしているからという理由ではない。考えてみて、ざっと次のような理由がある。

⒈暇つぶし

⒉地頭を鍛える

⒊上質な文化を身につけておく

⒋ハマるものを持っておく

⒌世話になる他者を持っておく

⒍特技を身につけておく

とまあ、こんなところだろうか。

決して演奏家は目指さないという点がミソで、最初から音大は選択肢にないことを教えておくから、もしたくさん弾けるようになっても音大には行きたいと言わないだろう。

そもそも演奏家で食えるのは極めて一部。プロオーケストラはコロナに関係なくジリ貧なところが多いし、演奏家を目指すのは人生的なリスクが大きすぎる。

コロナで時代が変わって世界的に音楽需要は下がってくるのは間違いないから。そうでなくとも音楽はYouTubeに過去の名演奏がアーカイブ化されていて、わざわざ金を払って聞くものでなくなってくるだろう。

あとはクラシックを理解するファンが高齢者がほとんどなので、あと10年もしないうちに一気にゴソッとファンがいなくなり、コロナ規制が解除されてもコンサートホールは良くて半分しか埋まらないなんてことになりそう。

と、現実をクールに捉えているわたしだけれど、まだ日本に音楽の地盤がこうして残っている間に愛娘には教養としてバイオリンを習わせる。

さて、習わせる理由を説明していくと、やはり楽器なんてそもそも暇つぶしなものである点。

 

だって、わざわざ金払って楽器買って、金払って教えてもらうのだから、それは仕事ではなく暇つぶし。暇つぶしとは金を使うことなのである。

しかし、どのように暇つぶしをするかは人間にとって大切なテーマであり、自由な時間を何に使うかだよね。

スマホでゲームをしたり、ドラマや映画の動画を見たり、バーベキューに使ったり、人それぞれ。

とはいえ、何が得られているかは大事であり、スマホでゲームや動画鑑賞はその時間の楽しみは得られていてもそれ以上のものはあまり期待できない。バーベキューも楽しいけれど、得られるのは美味しかったという満腹感。

では音楽は?となると、これで何が得られているか特定するのは大変難しい。しかし、ゲームをやるよりも印象がいいのはなぜだろう? きっとバイオリンを習っていると言うと、かなりの確率で褒められる。

だから、褒められるほどの「何か」がありそうで、それはわたしなりの答えを持っているけれど、ちょっと深い内容だからここでは取り上げない。

そして、地頭を鍛えるだけれど、西洋音楽の楽譜を読むというのは、実に頭を使う。それだけでなく、それを器楽演奏のために肉体も連動させなければならない。

読譜のトーレーニングは小さい子供の脳トレには最適で、東大の学生のかなりの割合で小さい頃にピアノかバイオリンをやっていたという理由もわかる。もちろんそれだけでなく、親の所得や親の教養の水準による理由もあるけれど。

わたしはコンサートの企画を通じて、日本で活躍するしっかりとしたプロ奏者と交流したけれど、みんな揃って地頭はいい。「こいつ、アホだろ!」というのはいない。

ただし、社会常識の面が抜け落ちていて、社会的に当たり前の処理ができない人はたくさんいる。音楽ばかりで世間知らずだからそうなるわけで、でも頭が悪いというのはいない。

そりゃ、頭が悪ければ、あんな重層的なシンフォニーなんて演奏できやしないよね。あとは現代に近くなれば、解読するだけで難解な曲も多々ある。そんな楽譜を読み込んで、演奏して、アンサンブルにするのだからアホじゃできない。

次に上質な「文化を身につけておく」は、どうせ暇つぶしにするのだったら上質なものに時間と金をつぎ込めってこと。

しかし、上質なものが身についているかは大人になってからの人間関係に大きな違いが出てくる。

大人になってしっかりとした仕事をしている人は何かしら上質な文化を持っていることが多い。それは所得にも影響して、「金持ち喧嘩せず」という真理の通り、マナーがいい人が多い。

とてもじゃないが、愚連隊をやっていてモーツァルトを語るなんてのはいないわけで、人間というのは差別がある以前にちゃんと自然的に階層ができることは否定できない。

だから、安全な出会いをするためにも上質な文化は持っていたほうがいいし、それがあればしかるべき場に行くときも恥をかかず、相手にどんな学歴があろうとも上質な文化があれば対等に話し合える。

さらに「ハマるものを持っておく」は、暇つぶしにもつながることで、人間はハマることによって急成長する。だから、趣味なし、やる気なしな人間は成長しない。そうなると、自分で何も生み出せないからスマホでゲームだけやってるみたいになってしまう。

特に子供はゲームばかりやりやすい。ゲームが一概に悪いわけでないけれど、ゲームにだけ時間を費やして、何も得られていないのでは困る。どうせゲームをやるならゲーム開発者になれるくらいハマらないといけない。

しかし、大半はただゲームやっておしまいなわけで、それは親が悩む大きな課題。

いくら親がゲームをやめろと言っても子供は聞きはしない。それはその子供がゲームより楽しいもの、ゲームよりハマるものがないから。それを親が幼少の頃に提供できていないことに問題がある。

だから、バイオリンがあれば、ゲームよりそちらが楽しくなり、ゲームが馬鹿らしくなる。つまり、ゲームをやって何も得られないという客観性が身につく。

どうせハマるなら得られるものがあるものにハマりたい。

次に「世話になる他者を持っておく」は、つまり先生。自分一人の価値観が狭いもので、自分にないものを他者から得ることは大事。その謙虚さがないとこれまた人は成長しない。

先生というのは生徒をなんとかしてできるようにしようと必死になってくれる人であるから世話になる。

そんな人を一人でも持っておくと、「自分が知らないことをたくさん教わったなぁ」と顧みることができ、それは心の充足になる。

世話になった人を持たない人間は、空虚であり、感謝がない。自分ばかりが苦労したと自惚れて、人を認めなくなる。その結果、誰にも付き合ってもらえず、孤独になる。

そういう意味でもいい師弟関係は経験したほうがいい。それがあれば、今度はいつしか自分が先生になれる。そうすれば、今度は自分より若い人と交流ができ、人間関係が途絶えることがない。

最後に「特技を身につけておく」。意外と社会においては特技があるかないかは重要になってくる。なぜなら、履歴書に特技の欄があるから。

趣味でなく特技。

趣味だと全然できなくても好きというだけで書ける。ところが特技となるとある程度はできなくちゃいけない。

履歴書に「特技:なし」ではちょっと採用しにくい。何かその人のキャラを物語るものがほしくなるから。

そこで特技がバイオリンだと印象がいい。バイオリンが弾けたところで大半は役に立たないのに印象がいい。このメリットは大いに使うべきなのである。

例えば、趣味が空手だとすると、なんとなく喧嘩には強そうで、だからあまりからかわないようにしようなどと思ってもらえる。

それと同様に特技がバイオリンだと、上流っぽい雰囲気に周囲が勝手に捉えてくれて、バイオリンができる人に雑巾掛けをさせようとは思わない。

というわけで特技がバイオリンだと自動的に楽なポジションに配属されやすく、意味不明な説得力を得られる。

あとは特技がないと人間は自分がどういう人間かという基軸を持ちにくい。特技はアイデンティティにつながる。それが仕事にもつながっていく。

人間には何か拠り所が必要で、それが自信を生み出していく。

これならできるとか、自分はこっち系は得意だとか、そういう拠り所が方向性を決めてくれる。

だから、特技がないと方向性が決まらず、やりたい仕事もないとなり、誰でもできる仕事しかなくなる。誰でもできる仕事は基本的に賃金が安い。

そして、特技があるというのは、それに関して長い時間努力してきたという実績になり、だからこそ人に対して自分の存在をアピールできる。

特技になる前に三日坊主でやめてしまうようなら、努力してきた時間の裏付けがなく、社会的信用は乏しくなる。

その努力の評価が履歴書でもある。

いい年して、さすがに何一つ特技がない、得意と言えるジャンルがないとなると寂しい。今までは終身雇用でよかったかもしれないが、それがない今は生きていけない。

それにある程度の年齢になると、

「自分って今まで何してきたんだろ…」

という絶望にもなり、メンヘラになったり、悪質な宗教に入ったりしてしまう。

とまあ、そんな理由の数々を考えて、愛娘には小さい頃からバイオリンを習わせる。それが成功するかはわからないけれど、3歳だからといって何もやらないよりはやったほうがいい。

そして、レッスンの後は行きつけのショッピングモールに行って、サーティーワンのアイスを食べる特典付きで。

わたしはアイスは食べないけれど、アイスを食べる愛娘を眺めていると、それはそれでいい時間だと思う。

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