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ランリュックってランリックだったんだ。

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結月でございます。

こんな記事がありました

news.yahoo.co.jp

さらにこんな記事も。

j-town.net

ランリックは商品名で、わたしはずっとランリュックだと思っていた。でも、ランリュックでもいいらしい。

告白すると、わたしは小学生の頃、ずっとランリックだった。しかし、この記事を読んでこれが京都発祥で、全国的なものではないと今頃知る。

今では京都だけでなく、大阪の一部も採用されているとある。

小学生の時を思い出すと、比率的にはランドセルが多く、2割弱ほどがランリックだった気がする。

ランリックを持つところは貧乏家庭という感じはなくはなかったけれど、小学生だから友達の家の経済状況がどうとか考える脳みそはなかったので、差別的な雰囲気は一切なかったかな。

保育園を終え、小学校に入る時、学校で使う筆箱など一式を母親から渡されたのは覚えている。それらを黄色い「ランリュック」に入れた。

ランリックを買いに行く時はわたしは同行しておらず、親が勝手に買っていたものだった。

わたし自身こだわりがなかったし、友達のランドセルを持たせてもらうとものすごく重かったので、ランリックでいいと思っていた。それにランドセルは硬くてあまりものが入らない。その反面、ランリックはリュックサックだからたくさん物が入る。

そんなランリックはほぼ京都だけのものとなれば、2年半後には小学校に入るうちの愛娘はランドセルになるのだろうか?

ランドセルは革製だから重い。今は昔より軽量化していると言ってもやっぱり重いだろう。あとは記事にもある通り、夏は背中が暑そう。

それでいて高級化が進んで、10万以上するのもあると聞く。以前、テレビでランドセルを作る工場を見たけれど、もはや職人技で、なるほどこれなら10万はすると思った。

しかし、思うにランドセルは小学校低学年の体には重すぎて、さらに小学校高学年にとっては幼稚に見える。

昔より今の子供はアダルトになっているから、高学年のランドセル姿はどうも違和感がある。

となると、高学年では自分の手提げを使ったりということで、ランドセルは小学4年生くらいまでのものだろうか。

それで10万はコストとして高い。

丈夫なランドセルは教科書が歪んだりすることはなさそうだけれど、収納力のなさはどうかと思う。

わたしは収納が悪いカバンが大嫌いで、だからこそバイオリンケースだって断然角形派で、なぜなら楽譜が入らないケースはかえって使いにくいから。余計な手間が嫌いな志向。

要は機能的にいいところがあまりないランドセルに10万はどうかと思うわけ。

しかも栃木の田舎で、高級ランドセルを持っていてもファッション的にもほぼ意味がない。地下鉄通いの学習院小学校などなら絵になろうけれど。

と、親が相談なしに買ったランリックを愛用していたわたしとしては、ランドセルにあまりいいイメージがなく、憧れもない。

愛娘にはぜひ、ランリックをと思うけれど、ほぼ京都だけの採用となれば栃木の小学校ではランリックは不可なのだろうか?

そういえば、近所の小学生はどんな姿で登校しているか思い出してみる。あまり記憶がないけれど、ジャージっぽい体操着にランドセルだった気がする。

こちらの中学生も同じようなジャージ姿。

ダサい、ダサすぎる! 栃木はダサい! そのダサさが栃木の魅力とはいえ、学校がダサいのは観光に役立たない。

10万もするフォーマルなランドセルに体操着という感覚。栃木の教育関係者はどこまで田舎者なのだろう?

体操着を着せるなら、まさしくランリックでいいじゃないか。

と、そういうところがわからないのが田舎者なんだと悪態をつきつつ、田舎で洗練された提案をしても理解されないことはわかっている。

と、道路に耕運機が泥を落としながら低速で公道を走っていることにビビってしまったスペック都会人のわたしは田舎の単純さをすでに知っている。

「ああ、田舎ってマジで苦手…」

と、田舎嫌いなわたしはこうなると愚痴が止まらなくなるのでこの辺で話題をもとに戻そう。

さて、ランドセルよりランリックのほうが機能的で、軽く、体にも楽だとわかっちゃいても、やはりそれもダサいと思っている。

どうせリュックを買うなら、モンベルの軽登山用のものを愛娘が小学校に入る時には持たせたい。

モンベルのリュックは大変よくできていて、登山用だから体の負担をいかに軽減するかをしっかりと考えて作られている。それゆえ軽量。

あのクオリティになら金は払ってもいいと思う品物で、でもそれはランドセルみたいに10万もしない。

そもそもランドセルが時代遅れすぎる。

と、そう思ったわたしは早速、信憑性が疑わしいWikipediaで調べてみた。

すると、起源は明治時代の学習院初等科とある。

やっぱり学習院か! わたしのフィーリングは間違ってなかった!

そして、昭和30年以降の高度経済成長で広まったとある。

というわけで、やはりランドセルは古臭くて、時代遅れだとわかった。

そもそも6歳の子供に重いランドセルに教科書を何冊も入れて歩かせるのがおかしい。これは基礎体力を無視した拷問である。

それだけでなく、収納力がないから給食袋や体操着を入れる袋などを両手に持たなければならない。こんな姿はまるで南方を行軍する旧日本軍じゃないか。

やはり今なら教科書はできる限りタブレットひとつ。必要なノートと筆記具だけで済ませたい。それならばモンベルの登山用リュックならそこに体操着だって収納可能だ。

というわけで、自分がランドセルでなかった体験も踏まえ、機能的でないランドセルにはあまりいい印象がない。

ランドセルの何が良くて、なぜそれだけのプライスをかけなければならないかという納得できる理由がひとつもない。

愛娘には日本初のモンベルで通う小学生になってほしい。

「小学生だからランドセル」という無思考は頭が悪すぎるからやめにしたいよね。

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