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文芸作品で得る力

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結月です。

今はすっかり本を読まなくなったわたし。と言いつつ、今読んでいるのは東浩紀さんの『訂正可能性の哲学』。

でも、昔は驚異的な読書量であったので、それから比べると今はほとんど読まなくなったと言っていい。

先日、ちょっとした用事で出かけたところに書店があったから、まもなく7歳になる愛娘を連れて立ち読みをしていた。古典の文芸コーナーで、やはりそちらのほうへ行ってしまう。

ところでわたしの認識としては「本」というのは文芸作品のことであり、多分90年代くらいまではそうした認識が一般的であったように思う。ところがいつしかハウツー本なるものが跋扈し出し、ビジネス本、自己啓発本などが後に続き、「本を読む」という行為の意味が変わってきた。

同時に「作家」とは文芸作品を書く人のことであったのに、これまたいつしかビジネス本を書いている人も自分のことを作家と自称したりする。

文芸作品は売れないと言われ、実用本やビジネス本、自己啓発本にシフトした出版界だが、今はそうした本でさえまるで売れない時代になり、YouTubeに可処分時間は奪われた。

さて、毎日ジェネオケ公演のことばかり考えていて、本を読む気にもならない。改めて本は暇なときに読むものだと再確認する。

「ドストエフスキーなんて高校生が読むもの」

と、村上龍が言っていたが、それは高校生の夏休みくらいのまとまった時間でないと読めないからで、大人からだと読む時間がないという意味。

確かにそうだと思う。

高校生ではないが、わたしが中国にまとまった時間滞在していて、やることがない。そんな時期があって、中国では本ばかり読んでいた。ドストエフスキーの『白痴』、クンデラの『冗談』など一気に読んだ。

さて、久しぶりに書店で本を眺めていると、やっぱり昔の感性が蘇ってきて読みたいと思う。

ゲーテの『ファウスト』をもう一度読もうかとか、谷崎の『細雪』を読もうか、あとはジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』は第1巻まで読んでやめてしまったので続きを読もうかなどなど。

しかし、そうしたガチンコの文芸作品を読まなくなって思うのは、やはりそうした作品を読んでいるときのほうが自分に力強さがあるということ。

ビジネス的にドライに捉えて生きていると、スピードは上がるがトルクは落ちる気がする。

なんだかこの数年、自分に力強さが欠けている気がする。それは文芸を読まなくなったせいかもしれない。

ガチンコの文芸を読むくらいの人間的興味があったほうが力強くいられる。

わたしは過去の読書量の貯蓄で生きている現在で、それもそろそろ底をつきかけている。補充が必要であるが、さて何を読もうか。

ホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』あたりがいいかもしれない。これくらい壮大なものでないと、もはや不感症のわたしは躍動できない。

そういえば先日、これまた愛娘とレンタルビデオのゲオに行った。するとレンタル落ちのDVDが安く売られていて、そこにはタルコフスキーの『惑星ソラリス』があった。

一も二もなくそれを買ったのであるが、ずっと持っていたものがダビングしたVHSで画質が悪かったからDVDはあれば欲しいと思っていたのである。

『惑星ソラリス』はわたしにとって不動のナンバーワン映画である。そしてタルコフスキーを最も敬愛している。

タルコフスキーの作品は全部いいけれど、やっぱり『惑星ソラリス』。

そして、レンタル落ちコーナーにはチェン・カイコー監督の『北京バイオリン』があったのでそれも買った。どちらも500円。

『北京バイオリン』もいい映画で、あんな内容も今の中国ではすっかり古いものになったけれど、愛娘もバイオリンをやっていることだし、DVDを持っていればいつか見るだろう。

6歳児は今では自分で勝手にバイオリンを練習する。毎日の日課として捉えていて、自動運転のように楽ちんである。

つまり、わたしが熱血シゴキ教室をやらなくていいのであり、時々間違って弾いているところを指摘する程度。あとは勝手にやる。

勉強も勝手にやっているから、

「どうや、アタシの指導力!」

と、自賛するが、偉いのは6歳児である。

勉強だってバイオリンだってやれと言われてやるようじゃ駄目で、あんなもんはおもしろいから勝手にやるから成長する。

すると6歳児は、スパイファミリーの歌をバイオリンで弾けるのかと訊くので、ネットで楽譜を調べてみるとあった。200円払って楽譜をダウンロード。ヒゲダンの「ミックスナッツ」をバイオリンで弾くわたし。

それを聴いて6歳児は喜んでいたが、やっぱりこういう曲はバイオリンで弾くとおもしろくもなんともない。歌詞がないし、バイオリンに向いていない。

とはいえ、暇つぶしにはよかろうか。

本を読むのも暇つぶし。楽器を弾くのも暇つぶし。

そういう暇つぶしがあるかないかで、人間は大きく異なる。

暇つぶしに熱中できるかは才能であり、何かひとつは自分で誇れる暇つぶしのネタを持っておくのがよろしい。

しかし、これからAIが本格化し、小説もAIが書くようになり、さらには作家もAIを活用して作品を書くようになる。そうなればAIとはあまりにもかけ離れた古典がなお一層おもしろくなるように思う。

そしてそれらは電子書籍ではなく、古臭い紙の本で読む。

というわけで、ホメロスでも読もうかね。

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