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文化がないのも、文化がありすぎるのも両方困る。

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結月でございます。

夏生まれのくせに夏が苦手なわたしは、8月も終わりになると夏バテがピークになる。

うちの猫たちも、ダラーっとしているから、暑くてあまり動く気がしないのだろう。

そんな夏バテの中、体調は絶不調でありながら、苦手な事務作業に1日を費やす。

とはいえ、事務作業も以前ほどのアレルギーはなくなって、大人になったなと自分で思う。それは必要なものだから、やらなきゃしょーがないよねという割り切りができるようになったからで、しょーがないことに反発することがなくなったというワケ。

さて、文化と一口に言っても、いろんなものがある。ここで言うのは、とりわけ芸術っぽいものであり、お箸を使うのは日本の文化だよねなんて話ではない。

文化は金にはならない。いや、なるんだけど、それは文化をプロフェッショナルとしていたら、結果的に金になったというだけ。

だから、大半の人にとって文化とは趣味であり、よく言えば、ちょっとした教養だろうか。

これがあったほうがいいのは、なぜ?って考えてみても、ずっと答えは出なかった。

別になくても死なないのに人類は文化を持っているし、それはなんでだろうね?って考えてみる。

最近わかったのだけど、きっと文化がないと人間はとても雑になってしまうからなんじゃないかな。

だから、雑な人間でも十分に生きていける。でも雑だよねっていうさ。

金儲けなんて雑な人間のほうが長けてる気もするし、雑でないことがいいこととも一概には言えない。

でも、文化に理解を示さない人間って、雑なんだよね。

おそらく、文化にはいろいろあって、それを深く理解するには繊細にならないといけないから、文化をやると、っていうか身につけると人間は雑でなくなってくる気がする。

しかしながら、文化にガチガチに没頭しすぎて、こだわりの塊になってうるさいのも困るなって思う。

こうでなきゃいけないとか、批判精神が強くなりすぎるのも鬱陶しい。

そんな中にいてしまうと、そんなんことには何も関心のない雑な人間と一緒にいると楽だなって思える時もある。

つまり、どちらか一方だけに偏った時間を過ごすと、嫌になってくるワケ。

文化のない雑な人間といると、それはそれでウンザリしてくるし、文化にこだわりが強すぎる人間といると、それはそれで鬱陶しい。

まあまあ、ほどほどのところがよろしい。

でも、大事にしている文化を雑な人に馬鹿にされたり、ぶっ潰されたりするとこれは腹が立つ。

文化を理解するということはどういうことか?

おそらく、「静寂を好める」ことなんじゃないかと思うようになった。

だから雑ってことは、静寂の中にいられないってことなのかもね。

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