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モーツァルトのピアノ協奏曲でリッチな時間

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結月でございます。

晩ご飯を食べてから、3歳の愛娘と一緒にモーツァルトのピアノ協奏曲をCDで聴く。

静かな時間の中でモーツァルト。これは極上の時間。

3歳児はモーツァルトがかかる中で、お絵描きをしたり、折り紙で遊んだりする。

美しさを感じられる感性を持っていれば、1枚のCDとオーディオさえあれば、しみじみとした幸福を感じることができる。

幸福とは必ずしも金銭の額には比例しないものなのである。

いや、むしろ金を価値基準にすればするほど、人間は金に縛られてしまい不幸せになる。なぜなら、金のために生きてしまうから。

だから、上質な文化を感じられるハートがあれば、コストはかけずに幸せになれる。

聴いていたのはピアノ協奏曲の第20番と第21番。ニ短調とハ長調。

しかし、20番の第2楽章は、息が止まるほど美しい。魂を抜き取られそうなほど美しい。

いやいや、21番の第2楽章も堪らなくて、始まる弦楽器のメロディ。これまた呼吸が止まる。とてつもなく美しい。

そんな美しさの中で、小さな愛娘が静かに遊んでいる。なんとも美的で、知的で、音があるのに静寂な時間と風景。

この美しい第20番を条件が揃えばコンサートでやりたいと思う。場所は日光の大谷川の畔。あの大谷川の飲み込まれそうな透明度。この旋律がぴったりじゃないか。

そんなことを夢想しつつ、企画とは夢想から始まるものなのである。そしてその無双を現実のものにしたくなるのが芸術で、頭に浮かぶイメージを絵筆で目に見える絵にすることとよく似ている。

だから、音楽のプロデュースとはビジネスでありながら、やっていることは絵描きのような芸術。

さて、近頃、正確に言えば3ヵ月前ほどから、自分に変化が出てきていると感じる。

それは2016年にサントリーホールで大きなコンサートをやってこの上ない大満足を達成してからは、何をやってもおもしろくなくなって、本も読まなければ、音楽もすっかり聴かなくなっていた。

やりたいことをやってしまったら心の中が更地になった気がして、つまりそれまでに培ってきたすべてが放出されたんだと思った。

それと引き換えに自分にはない要素である山登りなどを始めたりして、栃木に来て自然の風景と身近になるという静かな革命が起きて、3ヵ月前ほどから更地に草が生えてきた感じがあって、ボチボチであるけれど音楽を聴きたいと思うようになった。

2016年以後の自分がやっと動き出しそうな感じがして、ちょっとワクワク、なんてダサい言葉は使いたくないけどそんな心境にある。

2016年以前に自分が経験したことはすべて消化されてしまって、これからの自分には無いも等しい。

だから、やっと新しいことができそうな、そんな具体的な感覚が出てきたわけで、要は過去が用無しになったとも言える。

それに2016年が終わってすぐ、2017年の年明けに生まれた愛娘がいるのだから、不思議なもので以前と以後の境界線があの子の誕生日だと言っていい。

と、そんなことを思いながら3歳になって、年が明ければ4歳になる小さな女の子とモーツァルトの音の中にいるという幸せ。

3歳でモーツァルトを素直に耳にできる子でよかった。美的なものを共有できるのは精神が高貴な楽しみであるから。

そんな愛娘は眠ってしまった。

隣から寝息が聞こえる。

モーツァルトが終わって、その寝息が心地のいい静寂を感じさせる。

2016年からここまで来るのに4年かかった。

それが短いのか長いのかはわからないけれど。

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