結月でございます。
先日は東京に仕事。久しぶりに山手線に乗った。乗客は少ないながら、ほとんどの人がマスク。街を歩いてもほとんどの人がマスク。
「気持ち悪!」
と、わたし。
スカスカの電車でなんでマスクするのかわかんない。街に人通りがあっても知らない人とべたっりと密着するわけも無いのになんでマスクするのかわからない。つまり、どうやっても飛沫なんか飛ばない状況なのになんでマスクするのかわからない。
もうこれ、宗教だからね。科学的見地ゼロ。
というわけで、もはやマスクは宗教です。
どうもそんな宗教に入信してしまった人のようがウイルスの数よりも多いみたい。なんてことを思いながら東京を歩いていた。
すると、こんな記事があった。
岩田先生のインタビューだけど、この内容にはすごく納得できるんだよね。
雨が降っていない時に、傘をささないじゃないですか。雨が降ってきそうな時に傘を持っていこうかなというのも当たり前じゃないですか。雨が降っている時に傘をさすのも当たり前じゃないですか。
だから、感染症が流行していない時に傘をさして歩くのは、非合理的な行動ですよね。 2月に日本にほとんどウイルスがいなかった時に、「満員電車に乗るな」とか「マスクをしろ」とか散々言われていましたけれど、雨が降っていない時に傘をさすようなものでほとんど無意味なんです。
とあって、そうだよね、雨が降らないときには傘ささないよね。いまの日本って、ほとんどピーカンだと思うわけ。なのになんでマスクすんの?
そもそもマスクって効果がほぼなくて、「ないよりもあったほうがマシ」と表現される。それってほとんど効果ないってことで、でもゼロじゃないから 「ないよりも」なんて言われちゃう。まあ、実質は効果ないかな?って感じ。
とにかく、人の飛沫が自分に飛んでくるってかなりだよね。
うちの3歳児は、ブシュッ!ってクシャミをするんだけど、3歳児を抱っこしている時は顔と顔が30センチ未満とかそんな距離だからモロだよ。でもさ、そんな関係ってよほどラブな関係だから。
付き合い始めた男女とかなら、感染するかもね、どちらかが感染者なら。だって、付き合い始めはやりたくてやりたくてしょーがなくて、いつも濃密だからね。
でもさ、街歩いていて、そんなに人は接近しやしない。見知らぬ人とはそんなラブにはならない。キャバクラとかクラブが感染源になったのはわかるんだけどね。
それに大人だったら何かの拍子でクシャミするんだったら、普通、肘とかでガードするよね。今の時期は。だってみんな神経質になってるから。つまり、3歳児みたいにノーガードで直線的に思い切りやるなんてことは大人はしない。
まあとにかく、空間的に見て、街中でマスクをする意味がわからない。しかもこの程度の感染者数でね。
今は東京も、感染していない人の方が圧倒的に多いです。だから「自分も感染していると思って行動」というのはお為ごかしです。偽善的な主張に過ぎない。
事前確率が低い時は「自分が感染しているかも」とか「隣が感染しているかも」と考えない方がいい。
マスクしているしていないで相手を責めたりするのもおかしいし、自分が感染しているという前提でマスクをするというのも綺麗事に過ぎない。そうでない可能性の方が圧倒的に高いからです。
事前確率はとても大事です。事前確率を前提に入れて議論するのとしないのとでは大きな違いですが、ほとんどの人は事前確率を議論の前提に入れていない。検査でも、マスクでも、道徳の問題でも全部そうです。
岩田先生は「事前確率」と言っていて、確かにこれはすごく重要。でも、これを考えずに「とりあえずマスク」みたいになってる。だから宗教だとわたしは思う。
感染者数は発表されてだいたい把握できるし、コロナを受け付ける病床の空き状況もわかる。そうしたことを見れば、
「まあ、普通にしてれば、感染する確率はかなり低いな」
って結論が出てくる。
ところがゼロリスク信仰でなんでも徹底的になってしまって、再開された学校で子供達がマスクの上からフェイスガードをしているなんていう奇天烈な風景が現れる。
「いやいや、そこまでしなくてもふつーは感染しないでしょ!」
という当たり前のことが判断できなくなるわけ。
それに高校球児を例に挙げて岩田先生も言ってるように、若いと感染したってほとんどリスクはないんだよね。そりゃ、持病持ちの高齢者とかだと気をつけたほうがいいけれど。
感染という現象は濃淡があるわけだから、全てを濃くしなくていいわけよ。
マスクだって、どうしてもマスクがしたいんだったら、明らかな人混みとかでサッとつけて、人混みを出たらここでは要らないなってサッと外すとかすればいい。
それなのに人通りもないところでずっとつけてるっておかしいんだよ。そこにはウイルスなんていないのだから。
ところがまあ、世の中が事前確率で判断できる人が少なく、テレビの悪質な情報番組ばかり見ていたりするから、強迫神経症になってしまってやることが過激になる。どこに出かけるにも不安になる。
やっぱ宗教状態なんだよね。
ほんと、雨が降ってないのにみんな傘をさして歩いている感じ。
杞憂の極致。
「杞憂」というのは中国のことわざなんだよ。
「杞人憂天」ね。
杞の国の人が空(天)が落ちてきたらどうしようと心配ばかりしていたっていう意味。つまり、取り越し苦労ね。
今の感染者数で、しかも多かったときだって病院クラスターとか割合を占めていたというのに、マスクしないと不安とか、それはね、空が落ちてくるんじゃないかとマジで怯えているのと同じなわけ。
それにもし感染したとしても、街を歩いている年齢層、会社に通勤している人たちが重症化する確率はほとんどない。だって、死者の分布を見てもその大半が70歳以上だよ。
なのになんで保育園や学校を閉めなければならなかったんだろうね?
ちなみに日本の年間交通事故者数って、3000人以上だよ。インフルエンザで1万人以上。ワクチンがあるのに接種されてない子宮頸がんは年間1万人が感染して、毎年約3000人の女性が死亡している。
学校の授業を受けさせるのに子供にマスクしてフェイスガードさせる以前にやることあるだろ!って思うよ。
冷静に、合理的に、科学的に考えたらやらなくていいことがわかるのに、やらなくていいようなことにとてつもない労力を使ってるよね。
その結果がこの経済的打撃だよ。
もっと上手にできたはずなのにね。でも、それはできない。だって宗教に陥る人は多いから。宗教状態の人には何を言っても無理。
街中のマスク姿を見て、一昔前のオウム真理教の信者がかぶっていたヘッドギアを思い出しちゃったよ。
ところでさ、岩手県の感染者数ゼロっていうの。あれ、気の毒だと思ったよ。だって、岩手に住んでいたら、もし自分が第一号になっちゃったらヤベ!って思うじゃん。それは恐怖だね。
感染者がある程度いてくれたら感染しても「うつされました」で済むけどさ。自分が第一号になったら岩手みたいな田舎だと、とてつもない差別を受けそうだよ。村八分にされたりね。絶対、口利いてくれない。
そういう意味で田舎は怖いね。映画の『イージーライダー』の世界だよ。
たとえ感染者が多く出たとしても、都会にいるほうが安全だと思うよ。