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レムの小説を古本でまとめ買い。

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結月でございます。

今日のニュースによると5歳から11歳のコロナワクチン接種開始が来年の3月以降になるとのこと。まったく何をやってるんだ。遅いよ。遅い。

岸田政権になってワクチン担当大臣も変わって、ちょっとそのあたりのスピード感がないと思っていたら、やっぱりスピードはなかった。首相は菅さんに戻して、ワクチン担当大臣も河野さんに戻してほしい。

なんだか岸田政権は仕事ができない典型例みたいな感じで、古典的な言い方をしてしまえば「気の抜けたビール」という具合だろうか。

政権発足して時間も経つのにまだ日米首脳会談ができていないのは、アメリカにやらせてもらえないからだろうけれど、見るからに中途半端な奴には会えないというバイデンの判断だろうか。

何事も人と会うのははっきりしていなければならないもので、わかりやすく言えば「大好き」か「大嫌い」だと会える。

好きでも嫌いでもなく、何だかよくわからん中途半端な奴には会っても話のしようがない。でも、大好きな相手なら話は弾むし、大嫌いな相手なら具体的な戦略も立てられるし、嫌いだからこそ話さなければならない。

そんな体質的中途半端な岸田さんだからワクチンも出遅れる。調達が遅れる。これは交渉が鈍いということなのだろう。その点、菅さんは見た目は地味だけれど、仕事人だから日本全国民のワクチンを確保し、無理だと言われた一日100万回接種をそれ以上の驚異的回数を成し遂げた。

とにかく、うちには年明けに5歳になる愛娘がいるから、早々にワクチンを打とうと思っていたのに3月以降と聞いてガックリ。この出遅れの間に万が一うちの愛娘が感染したら、

「おい、岸田!お前のせいだからな!」

さて、オミクロンが話題で三回目接種も始まっていると聞くが、どうもスピード感がこれまた感じられない。アナウンスも少ないし、

「大臣は河野さんに戻せ!」

ところでオミクロンはワクチン二回接種していれば感染することはあってもどうやら重症化はほとんどなさそうな様子である。海外を見ても感染して死んでいるのは未接種の人ばかりなので、感染しても風邪くらいの症状で大方は済むと予測するとワクチン接種者にとっては今年のデルタ株のときのようなパニックはない。

しかしながら感染対策は継続するように言われるものだから、春あたりにできればいいと思っていた着物イベントはまだ無理だろうか。

いや、やろうと思えばできるのだけれど、マスク着用で着物なんてわたしの美意識の逆鱗に触れる姿なので、そんな美しくないことはやらない。ただでさえ、マスクなんて人相が悪いし、誰の顔だかわからないし、目だけだとちょっと美人だと思われてもマスクを外すと落胆なんていうことが言われ、くだらないコンプレックスを助長させている馬鹿馬鹿しさ。

耽美主義なわたしは本当の美人がマスクで顔の3分の2が隠されていることに苛立ちを覚えるわけで、そこにはチラリズムの美は成立しない。ただ隠れているだけの覆面にすぎない。

しかし、欧米人と違ってマスクをすることを憚らない日本人は2年もマスクばかりしていると、今度はマスクを外せなくなって、強迫神経症のなるのではないかと思う。

おそらくコロナ後の日本はマスクを外せない人と外せる人での社会的格差が出てくる。科学的、合理的に考えられてマスクは要らなくなったと判断できる人は前向きにバリバリ仕事をしていくだろうし、そうでない強迫神経症の人は自分の顔をひたすらに隠し、自分を曝け出すことに不安を感じ、ネガティヴなメンタルでいい仕事はできず、社会的弱者になっていくのではないか。

結局、所得なんてものは明るく積極的な人のほうが高いわけで、性格が暗いと引っ込みがちになり大きな仕事はできない、任せられないとなるから安い賃金のほうへ流れていく。

またメンタルが弱かったり、病んだりする人に限って、物事を合理的に考えられず、筋でなく感情で捉えてしまうからますますおかしくなっていく。コロナで言えば、過剰にアルコール消毒してしまうのも頭で考えられてないからで、それはすなわち精神病の洗浄強迫神経症というものである。

さて、Amazonでスタニスワフ・レムの本を7冊ほど買った。すべて古本で、絶版になっているもの。

国書刊行会からレム・コレクションが出ているが、ようやく第1期が完結し、第2期が始まった。しかし、この第2期が第1期から4年も経っていることを知り、あまりの遅さに買うのをやめた。

なぜなら、新刊はいつでも買えるし、第1期を全部読んだとしても次が出るのに大変な時間がかかるからで、それなら絶版になって市場にある絶対数が少ない古本を先に手に入れて読んだほうがいいと思った。

そして、それらを全部読んだらいつでも手に入るレム・コレクションで補っていく。

さて、レムの小説は長編で、とにかく長い。だから7冊といえどもなかなかの分量で読み切るのにまあまあの時間はかかりそう。

さらにSFと言ってもレムの作品は哲学的で難解。そこが魅力であって、じっくりと読まないとわかりにくいのである。

しかし、今回買ったのは古本だから当然ながら全部紙の本で、紙の本をこれだけ読むのは久しぶり。

iPhoneで読む電子書籍にすっかり慣れてしまったせいか、逆に紙の本は懐かしいというより新鮮な感じがする。

改めて紙で読むと、紙は紙でいいかも?なんて今更ながらに思う。紙しかなかった時代は考えようもしなかったこと。

ところでレムを知ったきっかけは当然ながらアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『惑星ソラリス』であり、この作品はわたしにとって映画ベストワン。タルコフスキーのことが好きで好きでたまらない。

その原作がレムだったわけだが、映画化での脚本でレムはタルコフスキーと衝突してしまったらしい。

しかし、『惑星ソラリス』は映画史に残るとんでもない映画になったわけで、わたしはタルコフスキーに傾倒してしまう。だが、映画化で原作者が怒っちまうことはしばしばあって、それは原作から得たイメージを監督が勝手にアレンジしてしまうからで、

「お前、わかってない!」

となるのである。

そういう過程で得てして映画化されたものが原作を超えることがない。原作のほうがいいよね、となることが多く、例えば黒澤明監督の『八月の狂詩曲』もそうだろう。あれは映画としては失敗で、いいところはラストで老女が土砂降りの雨の中、傘をさして走るシーン。最後にあれを見せられて、

「ああ、映画だ…」

と、少し感動する。

黒澤組の撮影監督だった上田カメラマンと恵比寿でお酒を飲んだとき、黒澤さんの話をたくさん聞いた。するとあのシーンは黒澤さんがスケッチで描いていたそう。黒澤監督は自分のイメージをまず絵で描く人であった。

ちなみに老婆が傘がひっくり返りながらずぶ濡れになって走るシーンの絵は上田さんが現場からパクったらしく、

「俺、持ってるよ」

とのことだった。

と、そんなことを思い出しつつ、日本映画で原作を超えたと言われるのは『砂の器』であろうか。

さて、レムに話を戻すと、原作の『ソラリス』も圧倒されるほどの小説で、タルコフスキーの映画とそれほど大きな違いはないとも思った。もちろん構成など映画ならではにしている点はあるが、原作が損なわれているとは思えない。

とは言え、映画から入ってしまったものだから、小説を読んでも登場人物がすべて映画の俳優の顔でイメージしてしまう。こうなるのは映画が傑作すぎる証拠で、こればかりはどうしようもない。

惑星ソラリスでは主人公の妻がソラリスの現象で蘇る。妻ハリーは自殺して死んでいるのにソラリスにいると脳にある記憶から具現化し、本物のように蘇る。

映画のハリー役をしているナタリア・ボンダルチュクという女優だが、これはまさしくアタシ好みのロシア美人で、あのキャスティングはたまらない。あんな美人がソラリスの宇宙船の中で蘇ることに不気味さがありつつも、自殺した妻と再び過ごせる危ないノスタルジーな恋があって、ソラリスによるものだと言っても再び愛してしまう気持ちに甘美な悲しさがある。

しかし、ロシア美人は歳を取るとどういうわけか極端に太ったりしてしまい、美人の面影もなくなるというが、それはナタリア・ボンダルチュクにも当てはまり、71歳になった彼女の写真を見てわたしはものすごく後悔した。知らないほうがいい事実だったのである。

ところで映画『惑星ソラリス』は音楽もよく、バッハのオルガン曲。ソラリスにいることの絶望的な雰囲気にぴったりと合う。タルコフスキーは音楽の選曲もうまく、使い方も彼の哲学的なところに合致している。

というわけで、わたしはレムのデビュー作品『金星応答なし』を読み始めた。このタイトルは邦題で、原題は『宇宙飛行士たち』らしい。

文庫本で500ページほど。

愛娘が寝静まるのを待ち、ちびちびと読むのである。

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