結月でございます。
こんなニュースがありました。
ディスニーランドの魅力がイマイチというより全然わかんないアタシにとって全然わかんないニュースですが、ディズニーランドのアトラクションに11時間待ちという事態が起きたらしい。
基本、アタシは並ぶのが苦手で、並ぶくらいなら他に行くという並ぶ時間そのものに無駄を感じる生き方なのです。
ディズニーランドで11時間も待つなんてアホじゃね?と思うアタシは実はそんなアタシでなくなっている。
自分では絶対に並ばないけれど、もしかして11時間並んででもそのアトラクションを体験してみたい!という強い情熱って多分、すごいんだろうなって思っているのです。
「自分にそんな情熱的になれるものってあるのかな?」
と考えたら、
「ないね」
ないし、並ぶのが苦手という時点で情熱を自分で消してしまっている。愚鈍でないんだよね。
きっと愚鈍であったほうが幸せを感じられる。
11時間待った甲斐があったね!と素直に言える人間のほうが幸せに違いない。
だから、自分の好みとしてはディズニーランドなんてあんまり好きでなくても、そこに11時間の情熱を注げる人のことは自分にないものを持ち合わせているってことでちょっと興味があります。
すごいエネルギーだなって。
それに比して、自分で冷めた人間かも?
感動がない人間かも?
いやいや、そーじゃないって気がしてきました。なぜなら、アタシは結美堂山ガール部として山登りをしていて、苦行に近いような山登りをわざわざやっていて、下半身が筋肉痛でパンパンになるのがわかっていて山に登っている。
山に登ったところで何の意味もない。意味はあるかもしれないけど、それがどんな意味であるか自分でもよくわからない。
意味を見出せないのに息を切らせながら、滑るとたちまち大怪我しそうな山道を歩いている。
きっとディズニーランドでアトラクションに並ぶ人からすると、
「アホじゃね?」
って思われる。
絶対ディズニーのほうがおもしろいのに、山に入ってキツいことやるなんてマジでバカだよねって思われる。
そっか、そっか、お互い様だよね。人間ってそんなものだよね。
だから、アタシはディズニーランドに11時間並ぶあんたたちのことは否定しないことにする。
人のことなんて言えないよね。
アタシも山登るほど馬鹿だから。
でも、登り切った後に、それは登り切った人でないと体感できない「幸せ」ってあるんだよね。それはそれをやった人しかわからないんだよね。
ディズニーランドに11時間も並んだ末に体感したアトラクションって、感動的だよね。人がいなくてスカスカで、10分も待たずに入れたアトラクションとは違うよね。
多分。
人間って、愚かな試みで、意味があるようでなく、ないようであるような、それでいて特定できないような、そして肉体的に過酷で、精神的にも苦しいもののほうが幸せに繋がるんだって。
容易なものって幸せには繋がらないだって。
大事なのは、それがやらされたものでなく、自分でやってるということ。
ここがブラック企業とは違うんだよね。
わざわざ自分で選んで、自分でやりたくて、キツいことがわかってるくせにやってしまいたいことが幸せに繋がるんだって。
「他力本願やってんじゃねーよ」
パワースポットに行っただけで幸せになれると思うなよ。
新月に拝んハッピーになれると思うなよ。
自分が頑張らないと、幸せになれるかっつーの。
11時間待てるほどに情熱的になれるものがある人は幸せである。
筋肉痛でパンパンになるのがわかっていても山に登れる人は幸せである。
そういうことなんじゃないかな?
理屈抜きに没頭できるもの。
屁理屈言わずに、
「やろう、やろう、やろう!」