結月でございます。
4歳の愛娘は保育園のお友達からディズニーランドのことを聞きつけたらしい。
「やい、お友達!余計なこと言うな!」
と、ついに知られてしまったか… と諦める。
いつかは一度連れて行くんだろうなと思いながらも、わたしからディズニーランドのことは一言も話しておらず、遊園地と言えば、栃木県民の憩いの場「とちのきファミリーランド」であり、これまでに何度も行っている。
わたし自身、ディズニーランドには一度しか行ったことがないのだけれど、そもそもディズニーがあまり好きでないからそんなにおもしろいとも思えず、感情移入もできずで、帰りに立ち寄った練馬の中国料理屋での飲み会のほうが楽しかった。
ともかく、アナ雪のエルサのことが好きで好きでたまらなく、ラプンツェルのことも結構好きなうちの4歳児はディズニーランドのことを知ってしまった。
しかし、調べてみると、アナ雪のアトラクションはディズニーシーのほうにできたかできるかで、あまり大々的でもなさそう。確かにアトラクションを作るのは簡単じゃない。
と、機種変更したばかりのiPhone12 Pro Maxで検索したわけだが、入場料を見て、
「たかっ!」
1デーパスポートが大人で8200円、子供で4900円とあるやないか!
これに高速料金、ガソリン代を入れるとかなりのプライスで、どうせディズニーランドでご飯を食べるとこれまた恐るべし値段に決まってる。
自分が好きで納得するものになら金は払ってもいいと思うが、いまいち好きでないディズニーにいくら愛娘のためとは言っても躊躇する。
ブランドビジネスだからそれでも客が入り、大儲けするとはいえ、わたしみたいなディズニー興味ないんッスけど派は、
「高いから、やめよ!」
と、拒否したくなる。
しかし、4歳の女の子となれば、きっとあの空間は楽しいに違いなく、連れて行ってやりたいとは思いながらも踏ん切れない。
幸い今はコロナで、入場制限っぽいことをやっているし、マスクした客ばかりじゃ、気分的に盛り上がらないし、心をオープンにして遊べる時期でもないから、
「また今度ね」
と、お茶を濁す。
子供連れて一日に2万円以上の出費を想定したら、あんなもんに2万もかけるんだったら、奥日光に宿泊しようよ!なんて思っちゃうし、ちょっと遠出すれば、まだ行けてないキツネ村にだって行ける。
とまあ、自分で仕事をやっていると、内容とコストをかなり厳密に考える癖がついてしまっていて、自分が納得するものじゃないとコストをかける気がしない。
なんて大人目線でいながら、やっぱりあの年頃の子供にはディズニーランドなんだろうな。仕方がない。コロナがうるさくなくなったら連れて行こう。
ああ、でも2万円だったら、Kindleで電子書籍が20冊以上も買えてしまう。
ところで読書というのは3通りあって、
① 活字中毒で読む読書
② 興味がある本を読む読書
③ 勉強の目的のために読む読書
活字中毒というのは、とにかく何か読んでないと気が済まない。だから1冊を読み終えると次に読む本を探す。
興味がある本を読むのは一般的で、広告で見たりしたものがちょうど自分に関心があるものだったりすると手にとってみようと思うもの。だから、普段はそこまで読書しない人の読み方。
そして、勉強の目的というのは、何かやりたいことや達成したいことがあって、それに必要な知識が欲しいという具体的な目標設定がある読書。
わたしはこれまでずっと活字中毒的に本を読んでいて、それなりに量は読んできた。そして同時に興味がある本に出会えばまあまあ読んでる。
ところが数年前から本を読む気がしなくなって、どれを見ても新鮮さはないし、わざわざ買うほどの内容でもなさそうなどとちょっと達観した気持ちになっていた。
しかしながら、去年の夏の終わりくらいから、具体的な目標のために本を読み始め、つまりその達成には必要と思われるものを爆読モードで読んでいる。
そういう読み方は客観的に読むことになり、あまり感情移入はしない。内容をクールに分析したりしていて、プロデューサー的と言っていいかもしれない。
今年に入ってからは哲学書モードで、哲学は感情移入するものでないから、この読み方が適していて、過去は好きだから読んでた哲学書も今は読み方が違う。
やはり「好きだから」で読むと勉強にはならない。
それはどこかファッションのようなところがあって、内容の理解にはほど遠い。
今はそんなファッション感覚でないから、ようやくのことで哲学書をちゃんと読めるようになれたなと思う。
そして哲学は未来のためにあるのであって、これを取り入れていると不思議とビジネス的なアイデアも湧き出してくる。
哲学書を単なる趣味として読むと、ただのスノッブになるのだけれど、未来を予測するための勉強として読むと脳ミソの容量が大きくなるようで、その思考力は様々なシーンで使えるようになる。
しかしそれもこれから自分が何をやりたいかという行動欲がないと哲学書は趣味になってしまう。
つまり、ただの「消費」でしかない読書ではない読み方がいい。
とは言っても、世の中は「消費」である本が大半であるのだけれど。