結月です。
栃木には「しもつかれ」という郷土料理がある「らしい」。
「らしい」というのはまだ食べたことがなく、伝聞でしかないから。
2ヶ月ほど前にこんな記事を書きました。
スーパーに行くたびに「しもつかれ」があるか見てみると、どこにも売ってない。しかも数少ない栃木出身の知り合いに聞いても、
「食べないッスね」
みたいな返事が返ってきたり、郷土料理って地元では案外食べられていないっていうのはどこも共通かもしれない。
熊本の辛子蓮根だって、大きなデパートには売っていてもその辺のスーパーではわざわざ売ってない。居酒屋にもメニューにあるところはほとんどない。
確かに熊本に住んでいれば、とりわけ食べるものでもないんだよね。
わたしも辛子蓮根の美味しさを理解したのは東京に来てからで、4年間の熊本生活ではあんなの、食べなかったよ。
さて、なぜか栃木には肌が合うわたしは「しもつかれ」ってものを食べてみたい。
するといくつか情報を得られて、どうやら年明けにスーパーに並ぶらしい。
栃木の川で鯉釣りをしているとやってくる漁業組合のオッサンに訊いてみたことがある。オッサンというよりおそらく70歳くらいだから爺さまって感じで、バリバリの地元の人で当たり前だがガチな栃木弁を話す。
「しもつかれ? 食べっよ。鮭の頭を擦ってな。鬼おろしってあるだろ? 目が荒いやつ。あれで擦ってな。塩は入れないんだ。鮭の塩だけでな。年明けたら、うちでも作っよ」(ガッツ石松風なイントネーションで)
ほほぉ。やっぱ古いネイティヴはリアルだなぁ。今度会ったら、自宅へ伺わせてくれって言おうかな。酒持って行くって言ったら、絶対にオッケーしそう。
ともかく、オッサンの話では鮭の頭を使うから、年明けでないと売られないらしい。
とはいえ、こういう郷土料理は若い世代には受けないから、ニッチなものとして衰退していく。それくらい今はおいしいものが溢れているからで、食の水準が高まると、古い時代の食べ物はまずく感じてしまうか、とりわけ食べるものでもないってものとして押しやられてしまう。
そんな「しもつかれ」は作る家庭によってかなり味の差があるらしい。入れる具材や味付けも別物と言えるほど違うのだという。
それだけ違っていて「しもつかれ」というジャンルに収まるところが不思議で、なるほどこれは猫ではなく犬なんだ。
つまり、猫はどんな種類でも同じような猫の姿をしているけれど、犬ってドーベルマンとプードルはまるで姿が違うのに「犬」という類に収まっている。犬の種数はおびただしく、姿形がみんな違うのになぜか「犬」で認知できるんだよね。
犬を犬たらしめているものって何なのだろう? きっと定義があるはずなんだけど、それにしても犬は種類によって形が違いすぎる。
さて。
そんな「しもつかれ」を年が明けたら食べてみようと思う。栃木の地酒を用意してね。
そして、栃木以外の場所に住んでいる人からすれば、「しもつかれ」は謎すぎる食べ物なので、「しもつかれ体験」という催しをやってもいいかな。ゲストはやっぱガッツ石松か双子のザ・タッチでしょう!
すげえダサいけど、ダサいほうがおもしろいって時代だと思うよ。
世の中はあまりにも洗練されすぎて、風味を失ってるからね。