結月美妃.com

結美堂の結月美妃公式ブログ

【スポンサーリンク】

レズギンカ舞曲で踊り狂う6歳児

【スポンサーリンク】

結月です。

ハチャトリアンというのはおもしろい作曲家で、民族的な活力がみなぎっていてわたしは好きなんですよね。

それでいてバレエ音楽には美しい曲もあるのだけれど、『ガイーヌ』の中にある「レズギンカ舞曲」、これをかけているとうちの6歳の愛娘が大変気に入ってしまって、この音楽に合わせて奇天烈な踊りをする。

バレエとはとても似つかぬものであるけど、彼女なりのパフォーマンスで音楽から感じたものをヘンテコな踊りで表現、というか表現しようという意図はなく、体を動かしたくてたまらないというもの。

これこそが踊りの原点であって原始的なのだけれど、レズギンカをあまりに気に入りすぎて曲が終わるとまた再生ボタンを押して何度も踊るので、

「さすがにちょっと騒がしいんだけど…」

と思いつつ、小学1年生のやることだし、音楽を体で感じている証拠だから本人がバテるまでやらせる。

大人になるにつれて音楽を体でなく「頭」で聴くようになってしまう。クラオタ(クラシックオタク)なんて言葉があるのを最近知ったが、そうした人は頭でっかちで頭で聴いているから解釈が屁理屈ばかりで、

「音楽、聴いてんの…?」

と言いたくなるので、わたしはそういう人たちを相手にしない。

わたしはジェネオケだけでなく、これまで手がけたコンサートは音楽にあまり詳しくない、もっと言えばオーケストラなんて初めてという人を集めたいと思っている。なぜなら、そのほうが音楽を素直に感じてくれるし、余計な知識がないから音楽を体で、そして魂で聴いてくれる。

なので、うちの愛娘も音楽を体で捉えられる状態を持ち続けてほしいと思う。

とはいえ、音楽にもいろいろあるので、すべてが体で聴くものではないけれど。でも屁理屈で音楽は聴くな。

となると、音楽評論家みたいなのは気の毒な仕事だなと思う。

記事にしなくてはいけないから、たとえ体で感じられたものでも言葉にせねばならず、本当は感動はその後「沈黙」して味わうのがベストなのに音楽を超えられない安っぽい言葉を連ねる。

どんなに名文をかける人でも音楽そのものの感動を言葉にしたら感動は減衰する。

美味しい料理もそんなところがあって、本当に美味しいものは言葉なんか口にせず、黙々とそのおいしさを味わったほうがいいのだけれど、食レポなんかで安っぽい言葉でまとめようとすると美味しさはなくなる。

というわけで、音楽を聴いて、その作曲家がどうだとか、時代背景がどうとかそんな安っぽい知識を語ることなく、レズギンカ舞曲を聴いたら踊りたくなって3分弱踊りまくり、曲が終わったらもう一度再生ボタンを押してまた踊る、そういう原始的な躍動って大事なのである。

そういえば昔、ウィーンフィルのメンバーによるニューイヤーコンサートに行って、それらはウィンナーワルツだったが、どこの国だか知らないが白人の家族がいて、その小学3年生くらいの男の子が演奏に合わせて客席で踊り始めた。

ワルツに反応するということはオーストリア人かもしれないが、反射的に踊ってしまうからこそウィンナーワルツなのである。そういうものなのである。

音楽は上手い下手をどうこういう以前に踊りたいから音楽がある。

そういうわけでわたしは音楽的「知識」を毛嫌いしていて、もちろん演奏者としては作曲者の意図を汲み取るにはその勉強は必要だけれど、お客さんには要らない。できるだけ素の状態がいい。

だから、わたしのコンサートではプログラムに曲解説は載せない。あんな知識を事前に頭に叩き込まれたら、お客さんが自由に感じるままに音楽を体感できなくなるから。

であるからして、配布するプログラムなんて、公演タイトルと曲名、そして演奏者名だけでいいと思っている。

演奏者のプロフィールも要らない。だって演奏者のプロフィールなんて部外者が見たら意味不明な経歴ばかりで、聞いたこともないコンクール、誰か知らない師匠の名前などなどクソどうでもいい記述ばかりで、満足しているのは演奏者だけでお客さんには伝わらない。

とはいえ、プログラムの余白を埋めるのにちょうどいいから今のところは載せていたりしている。でもスペース的に厳しくなれば、演奏者のプロフィールなんてカットする。

そもそもプロフィールを読んでもらわないとどんな奏者かわかんない時点でアウト。一流なら名前だけでいいでしょ。音で聴かせればオッケーでしょ。プロフィールでお客さんが感動するかってんだ。

というわけで、音楽界でプログラムの記述の常識なんてあったとしても、わたしは無視するというか、関係ないね。要らないものは要らないから。

もっと言えば、曲名も要らないかも。だってそこに奏でられた音楽を体感すればいいじゃん。

と、公演を重ねるたびにますます配布するプログラムはシンプルになり、挙げ句の果てにはそういうの、そもそもいらねんじゃね?となりそう。紙で印刷するのも時代遅れだし、QRコードだけホールに置いておけばいいし、いやいやそもそもプログラムが要らない。ポスターで最低限の情報はすでに出してるわけだから。

と、わたしが音楽そのものに関係ないものは全部カットしたやりたいと考えている。あるのは「音楽」だけ。それでいいんじゃないの?

舞曲を聴いたら踊りたくなる。

だって、舞曲だからね。

舞曲は踊るためにある。

知識は要らない。

【スポンサーリンク】