結月でございます。
音楽をまともに聴かなくなってもう2年以上かな。
興味がないっていうか、聴く気がしないだけ。
なんて言いながら、愛娘にはオンキヨーのミニコンポを買って、昨晩は晩御飯を食べながらペール・ギュントを聴いていた。
ただし、わたしとしてはBGM。と言いつつ、グリーグはいいね、グリーグはいいよ。大好き。
と、その翌日の今日は朝から結美堂のオンキヨーで、マーラーの復活を聴いている。
もちろん大音量。マーラーを聴くなら大音量でなきゃね。
演奏はクラウス・テンシュテット。
マーラーはド派手で、爆裂すぎて笑っちゃう。こんなに本気と書いてマジと読むよどクレイジーになれるってマーラーは最高。
でもね、あれだけ外に向かって爆裂に音を炸裂させているけど、それはマーラーがとにかく内向的で、引きこももりで、エネルギーが常に外でなく内に向かっているからなんだよ。
水素爆弾のように内向きの力を圧縮して音楽を外に爆発させてる。
いやいや、芸術ってみんなそうだろうな。最初から外向きのエネルギーはいまいち力がないから。
しかし、マーラーの復活の最終楽章は泣けるね。泣けるよ。
ウディ・アレンの「メリンダとメリンダ」だったかな、もしかすると違うかもしれないけど、ウディの映画で主人公が恋人に、
「マーラーの2番を聴いて涙してたよね」
なんていうセリフがある。
ところでわたしが音楽を聴かなくなって2年以上経つけど、それはわたしなりに達観したところがあるから。
そんなことを言うと、音楽を仕事にしている人からは怒られるか、何もわかっちゃいねえって言われそう。
だから、わたしなりになんだよ。
わたしが今までやってきた自分なりのところで達観した。だから興味がないっていうか、新鮮味がないわけ。
でも、自分に音楽的な衝動がないと、
「うん、駄目人間だな」
って思う。
そこを抜け出すには音楽に頼るのではなく、もっと本気と書いてマジと読むほど新しくて、没頭できるものに出会わないといけない。きっとそうなると、音楽をエナジーとして聴きたくなると思う。
音楽を主体にするには自分なりに達観していて、そこは音楽しかない演奏者とは違うんだよ。
それはスターウォーズ的に言えば、隠居しちまったルーク・スカイウォーカーに再びライトセーバーを持てっていうようなものでさ。
だから、わたしはもう純な音楽はやらない。一度やって達成したことは二番煎じだからやる気がしない。
ところで、コロナウイルスのおかげでクラシックだけでなく、演奏をYouTubeのライブ配信でやるっていうことをやる人が増えた。発想としては古いけど、今までそれをやらなかったんだよね。
さて、それは流れとしてはいいけどさ、それに視聴者が慣れると、これからコンサートホールでのコンサートには客が集まらなくなるだろうね。客がライブ配信に慣れて、それだとタダだし、これでいいやって思うとわざわざチケット買わなくなる。買うのは一部のコアなファンだけ。
そうなった時、
「いやいや、生音が絶対にいいんで!」
なんて演奏者が頑張って言っても遅いよ。
だから、演奏者としては自分の演奏をライブ配信でも伝えたい!ってピュアな気持ちなんだろうけど、それはね、ビジネス的には自分の仕事をなくすことになるから。
なので、そういうところを自分たちでぶっ壊したら、コンサートの数は減るだろうなぁ。って、そこまで考えてみんなやってないと思うけど。
「俺たちの音楽を聴いて欲しい!」
なんて、臭いこと言ってるだけだろうから。
というわけで、既得権益のない若手ほどこれから演奏者は仕事なくなります。はい。
インターネットとは何か?がわかってないからね、みんな。
自らコンテンツの無料化を進めたらね、おしまいだよ。そこは金払わないと聴けないシステムはガッチリと温存させないと。
コンテンツの無料化をしていいのは、それを宣伝媒体として他で稼げる仕組みを持ってる人だけだよ。
音楽の演奏はそれがないからさ。
まったく、タダで聞かせてどうすんだよ。
ネットで音楽の炊き出し?
というわけで、音楽単独でのコンサートはますます廃れていくだろうから、わたしはコンサートを今後やるなら音楽単独ではやらないよ。
でも、演奏者って気持ちだけ強くて、そういう現実的なところを考えられないからなぁ。
とは言え、クラシック音楽の仕組み自体もう旧態依然なほど古いから、ここは一度ぶっ壊れて新しく構築するのがいいんだろうね。
って、それを誰がやるの?
誰ができるの?
って思うけど。