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痩せると尻が痛い

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結月でございます。

1月末日から始まった減量はすでに目標体重に達してしまったので、とりわけ減量を意識することはなくなったとはいえ、デブになる法則、つまり「摂取カロリー>消費カロリー」になることはないどころか、減量ライフの習慣が定着したのでまだ体重は落ちていく。

一日の必要カロリーを上回るほど食べることはまずない生活。もうそこまでして食べる気もないし、必要最低限だけ食べるほうが体が楽だから要するに快適なのである。

そして、何よりもエクササイズが重要で、一日30分×3セットのエアロバイクは欠かさない。時間があれば4セット目にも突入。

エアロバイクでカロリー消費をしているからもうちょっとたくさん食べても太ることはないのだが、食べすぎると胃にもたれて苦しいからそれは「希望」しない。

とはいえ、先日スパイファミリーのアーニャがプリントされた日清のどん兵衛を見つけてしまって、スパイファミリーをこよなく愛するわたしは少しばかりグラっときたけれど買わなかった。インスタントではどん兵衛が好きではあるが、もう8ヶ月以上食べてないし、アーニャのために必要としない炭水化物を摂る気にまではならなかった。

しかしながら、スパイファミリーのseason2は今のところ期待していたほどおもしろくなくて、オープニングの歌も始まった途端、6歳の娘と同時に、

「前のほうがよかったね…」

と、つぶやいた。

ああいうのは2作目が難しい。1作目がヒットすると違ったことでヒットを目指そうとしてしまうから、総じて「いまいち」になる。

それは「おそ松さん」もそうだった。

とはいえ、スパイファミリーは原作があるから、そのうちおもしろくなると思いつつ、オープニングもエンディングも歌は落ちたなと思う。

さて、体重が18kgほど落ちるとこんなことがある。

先日、レッスンのためにいつもの丸椅子に座ると尻が痛くてたまらない。痩せた分、尻の肉がなくなったから安物の硬い丸椅子に尻の骨が当たって痛い。

あとはクルマを運転していてシートベルトをしていると硬いものが当たって痛いから何か挟まっているのかな?と思って触ってみると、それは自分の「鎖骨」だった。

太っていると鎖骨が贅肉に埋もれるが、BMIで適正体重になると干ばつで干上がったダム湖からかつての建造物が出てくるように鎖骨が出てきた。

さらに腕が細くなったから、腕時計がスカスカになる。

先月はオメガ・コンステレーションが手首より下にずり落ちてくるから、代理店に行ってコマを一つ外してもらった。

そして、ダサいと思いつつほぼ毎日使っているカシオのG-SHOCKもそれまでのベルトの穴だとブカブカになったから一段階短い穴になった。

あとは服が軒並みサイズがズレてしまって、着れるには着れるが今までの服がサイズ違いになる。ここはデブになって服が入らなくてどうにもならないよりはマシである。

とまあ、こんな感じでとりわけ減量意識は必要としなくなったものの、せっかくマイナス18kgならあと2kgでちょうど20kgでキリがいいからそれもいいかなと思う。

しかしながら、エアロバイクは欠かさないし、無断ほど食べないから2kgくらいならいつの間にか落ちてしまうだろうから特に目指す気持ちもない。

でも、先週だったか結美堂山ガール部で奥日光の山を登ったが、以前よりも体が軽いし、そんなに疲れないしで、体重が減ったこと、そして毎日エアロバイクに乗ることでこんなにも違うものかと実体験した。

ともかく、これまで自慢だけど美味いものはたくさん食べたし、美食に関しては一通り経験したからもう美味しいものにはとりわけ興味がない。

であるからして、食べたいものもないし、食べたところで予想通りの味だったりして、要は「達観」したおかげで減量も苦にならない。

むしろそれまでに食生活のクソぶりに過去の自分が情けなく思えるくらいで、

「健康第一」

の快楽を知る。

それだけでなく、ジェネオケの音楽活動も音楽の楽しさとか自分が好きな音楽とかを目指すステージからは卒業して、自分が行うことが公共性をもって社会に役立ったり、社会を変えていったりしないとつまらないと思うようになった。これはまさしく、自分が美味いと思うものを探求する美食を卒業したのと同じなのである。

自分が楽しいものだけやっても結局自分の中でしか消化されない。そんな自己満、レベル低いよね、と感じる。

でも、音楽をやっている人はまだまだ、というかほとんど自分の音楽しかしていない人ばかりで、それを「具体」的に社会にどう活かそうという発想はほとんど見受けられない。だから日本の音楽界はそこまで止まりであって、そのステージアップを提示したいと思っている。

社会意識を持つことでこそ、音が変わってくると思うから。それがないなら、ただ音楽が上手いだけでしょ? 日本のオーケストラに個性が乏しいのは個々の奏者に自分の音楽がどう社会で活かすかを意識できていないからなのではないか。

しかしながら、日本はそういう社会性は乏しい国であると思う。それはわたし自身も長らくそうだった。

まあ、この年でようやくそれに気づいたわけであって、それも今まで自分が好きなことをたくさんやったから到達できたという逆説はある。

自分の行為が何かしら問題提起でないとつまらない。そして提起してその実現のために行動してみる。行動がないとただの批評家になってしまうから。

と、そんなこと明確に意識し出したのは今年の3月くらいからなので、わたしもまだまだ新米なのである。

でもこの半年でものすごく「思想」は深まった。自分の「思想」。

社会に対して自分が何をしていきたいか、それができあがってきた。

ボツになったものも含め、企画書を数本仕上げたが、仕上げるために「考え」るから考えが深まる。それがあるからボツになってもがっかりすることがない。ああ、これは考えをより深めるために守護霊さんが修行のために持ち込んでくれたのだな、程度に考えている。

しかし不思議なもので、実現可能かもわからないことでも実行してやってみると、いろんな縁ができるものである。

そこから芽生えるものがいくつもあり、それを経験すると「何もやらない」というのは人間の腐食である。

そりゃ、わたしだって正直なところ、元々人間嫌いだし、人望はないし、引きこもりな性格だし、人と会わなくても平気というより人と会わないほうが快適であるし、猫と終日一緒にいれればそれで満足な人間であるが、付き合いが猫だけだと麻薬中毒患者みたいなもので、やはり何か実行していかないと人間はよろしくない。

山登りはその比喩でもあり、あんなキツいことでもやらないよりはやったほうがいい。やることで体は鍛えられ健康になるし、山頂では達成感も味わえ、下山後は温泉が気持ちよく、ビールがうまい。そして、山に登れたという自信が身につく。

登頂できずに途中で下山することもあるが、それでも登らないよりは登ったほうがいい。

デブならダイエットしろ。

だらだらと必要カロリー以上のモノを食うな。

もしわたしが9ヶ月前の自分に会うことができるなら、過去の自分にボロカスに説教する。

といったところで、今日はジェネオケ・サントリー公演の座席割りをした。

来月にはチケット発売開始。

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