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2年に一度、二十歳の原点

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結月です。

どういうわけだか、今でも2年に一度は高野悦子の『二十歳の原点』を手に取る。

昨晩はエアロバイクを漕ぎながら、いつもはMacBook ProやiPhoneをのせているところに『二十歳の原点序章』を置いてページをめくる。

序章は高野悦子が立命館大学に入る直前、そして二十歳になるまでの大学生活。

思えば、高校生のときに『二十歳の原点』を読んで酔ってしまい、影響されて日記を毎日つけていた。それがいつしかこうしてブログになっている。

『二十歳の原点』は危ない本で絶望的な美しさによって死にたくなるのである。

もしわたしに仕事がなくて、毎日やることがなくて、ただぼうっと過ごせることが許されるなら毎日『二十歳の原点』を奥日光や那須の山奥で読み耽って死ぬまで過ごすことができる。そしてきっともう死んでもいいかなと自死する。

高野悦子は栃木県の那須の出身であるが、まさか自分が栃木に来るとは思わなかったし、同時に立命館大学入学のため京都で過ごした彼女の描写は京都出身のわたしはその街並みがリアルに感じることができる。あの京都の雰囲気が自然に感じられるからこそ、余計に酔いしれてしまう。

憑依されているのではないかと思うほど一体となってその日記を読む。いや、きっと憑依しているのだろう。

しかし、高校生の頃に読んで10年くらいは深く憑依されていて、危ない状態だったと今では思う。

今は随分考え方もビジネスライクになったし、合理的になったし、脱文化系で感性だけで生きるのを否定してしまったから憑依されることは一応ない。でも2年に一度はページをなぜか開いてしまって、読むとしみじみとする。あっちの世界に行ってしまいたい気分になる。

高野悦子は要するにノンポリであったのに全共闘の時代のせいで、無理にでも確固たる自分がないといけないような雰囲気に追い立てられ、本当は関心がない政治的なことを考えようとしすぎた。でもそこからは何も得られず、孤立する必要もないのに孤立していった。

そのくせ詩的な才能があって余計に苦しんだ。感性だけでしか事象を捉えられなかったから、あんな理不尽な時代には繊細な感性は持ち堪えることができなかった。

しかし、そんなことを言うのも結果論である。

どんな人間もその時代の中でしか生きられない。

高野悦子が鉄道自殺をしたのが1969年。54年が経つ。

『二十歳の原点』、薄っすらとした絶望が心地よく、美しい麻薬のよう。

学生運動が早く終わっていれば、死ぬことはなかっただろうに。でも、死がなければあのような美しい日記は残れなかっただろうし、生きていれば70過ぎなのだからそうやって美しいまま死んでいく人もいていい。

最も美しくないのは死を意識していない生き方。

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