結月でございます。
脱走中のニシキヘビが見つかったとのこと。それが大ニュースになるのだから、日本は平和なもので、とてもじゃないけど緊急事態宣言発令中には見えない緩い国。
しかし、ニシキヘビが脱走したなんて話は、今月初め、結美堂山ガール部で山登りに行ったとき、ホテルの晩ご飯で話題にしたから、あれからずっと蛇は何も食べずにいたというわけか。さすが蛇だけあって絶食には強そう。
山ガール部でたらふく懐石食べて、その翌日には熊本に飛んでフランス料理を食べたけど、栃木に戻ってからも日常で普通にご飯を食べていたわたしの時間の中、あのニシキヘビは一切何も口にしなかったのだからストイックな蛇なのである。
わたしも絶食には強くて、お腹が減っても食べるものがないならないで精神は乱れない。
自分のYouTubeチャンネルで何年か前、一週間何も食べないっていうのをやったけど、どうってことなかった。正直言って、一週間を超えてさらに継続したって大丈夫だと思った。
絶食にはコツがあり、それはどう精神を保つか、そして食べ物という物質でない非物質な霊的なエネルギーを得るか、なんていうと怪しく聞こえるけど、ちょっとそういうものがある。
空腹状態を超えた絶食モードになると、精神が冴え渡り、冷徹になって今まで見えなかったものも見えるようになってくる。
それが思いのほか快適だったりするわけだけど、ヨガの断食とかはやらないほうがいい。
日本でヨガをやっている人は霊格が低いというか、明らかに間違った方向に行っているので霊的なシステムを知らずに断食をやるとよろしくない。
それは低級憑依を招くからで、だからヨガをやっている人にて低級憑依が多い。だからやめたほうがいい。
と、あまり言い過ぎると、わたしが怪しく思われるからやめておこう。こういう話はかなり勉強しないと通じないし、それこそヨガをやってる人から文句言われる。だって低級憑依だから。
ともかく、絶食だったニシキヘビと同じ日数を過ごして、その間、たくさんいろんなもの食べたよなって考えると、ニシキヘビのほうが清らかだと思う。そもそも食欲というものはそんなに美しいものじゃない。
イエス・キリストが今でも信仰の対象になるのは、イエス様が粗食であったからで、もしイエス様がたらふく食べるグルマンで大食家だったらキリスト教は今には残ってなかったに違いない。
食欲にまみれている人間というのはあまり信用されないもので、週末のバーベキューが楽しみ!なんて言って、川辺で肉をモリモリ食っていると霊格は落ちるだろうなと思う。
食欲はあっていいのだけれど、その欲望をコントロールできなきゃならない。
かと言って、ヴィーガンというのは気持ち悪く、ああいうのも低級憑依だと思う。
要するに何を食べる、食べないかってことを主義にするのはおかしなことなんだよ。
ちなみにわたしが基本的になんでも食べられる悪食だど、唯一食べられないものが「ところてん」で、それは主義ではなく、食べられないから食べられない。
さて、ニシキヘビといえば、GW中、那須どうぶつ王国へ4歳の愛娘と行って、カピバラを触ってきた。
那須どうぶつ王国はカピバラが触り放題というのが一番の魅力で、いくら触っても嫌な顔ひとつせず、ぼけっとした表情のままじっとしているカピバラの性格の良さを見て、人間として学ぶものがあった。
わたしなんか基本的に触られるのが嫌で、触るのも好きじゃない。
人の体に触るのは着付けをするときと、よほど好きな愛人の体とかならいいと思うくらいで、ガチレズなわたしとしては男の体に触れるなんて論外で、万一触れてしまうと鳥肌が立ち、
「キモいよ〜」
と、泣きそうな顔になる。
しかしそんな好き嫌いが激しいと人間関係として角が立つから、触られてもぼけっとトボけたた顔でいられるカピバラ先生に見習わなければならない。
それはいいとして、そんな那須どうぶつ王国で、ニシキヘビを触らせてもらった。
脱走して捕獲されて話題になったニシキヘビのように大きなものでないけれど、おそらく蛇担当であろうスタッフのおっさんが小さめのニシキヘビを抱っこしていて、触らせてもらえるのである。
うちの4歳児もおそるおそる触り、わたしも触った。
ニシキヘビの体は乾いているわけでもなく、湿っているわけでもなく、鱗もざらつくこともない艶やかさがあって瞬間的に感じた印象は、
「上質感」
だった。
しかし、あれだけ触られても噛みつくこともなく大人しい。これはカピバラの精神に通じるものがあり、ニシキヘビ先生なのである。
人間には噛みつく人がいて、それは実際に口で噛むのではなく、気に入らないことがあったらヒステリックになってクレームを入れて他人に噛みつく人間である。
だからクレーマーはニシキヘビ先生に弟子入りすべきであり、牙は持っても噛みつかないところが上質につながる。なぜなら、初めから牙がないのは上質ではなく軟弱なのであり、牙はあっても噛みつかないのが上質で、それは薔薇に棘があるから美しいという理屈と同じである。
そう言えば、黒澤明監督の『椿三十郎』という映画で、刀の達人である三十郎が、
「いい刀というのは鞘に入っているものですよ」
と、たしなめられるシーンがある。
切れ味がいい刀も鞘に収まらず、剥き出しではいくら名刀でも危なっかしくて近づけない。
だから刀はよく切れるものでも鞘に収まっているのがいいわけで、本当に刀を抜かなければならないときだけ鞘から出るのがいい。
さて、そんなニシキヘビ先生だけれど、大きな蛇をペットにするという感覚は自分の身に置き換えて考えてもよくわからない。
しかし、爬虫類が大好き!という人は一定数いるので、人の趣味はそのハートの根源にあるものは解明できないものである。
わたしはやはり猫がよくて、猫となら24時間ずっといれる。
触ったり触られたりすることが大嫌いなわたしも猫だったらお腹の上に乗られても平気で、そんな猫を撫で回している。
猫にだけは一番気を許している。