結月でございます。
栃木に来て育児生活をするようになるとGWという名の連休が地獄だった。それは保育園が休みになるからで、2年前の2歳のときは無間地獄のようであり、連日にわたって終日2歳児と一緒にいることは疲労の極限であった。
しかし、昨年、そして今年と大きくなるにつれ楽になってきたのは、2歳のときと違って無理ゲーを要求されるイヤイヤ期を脱したのと、言語能力が発達して会話が成立するようになったこと、そしてトイレに自分で行けるようになったことなどで負担が随分少なくなったからである。
あとはわたし自身のこととしてノンアルで過ごすようになり、慢性的アル中でほろ酔いになって小さい子供に付き合う辛さがなくなったことも大きい。
と、今日は4歳児に、
「ちょっと買い物あるから付き合ってくんない?」
と、栃木県内のモンベルに行き、レインウェアを買いに出かける。
結美堂山ガール部で奥日光に山登りに行くための装備。
というのは、天気予報を見ると、当日は雨予報になっていて、降水量からするとしとしと程度と予測するもやっぱり雨だったからである。
驚異的な雨女のわたしの実力がまたしても発揮されてしまったようで、毎度のことなのである。予報がズレてほしいと願うもどうやら降りそうである。
今回の山は過激な山ではなく、ピクニックに毛が生えたくらいの山で、その代わり戦場ヶ原をぐるりと一周するのであるが、山としてはそんなに大したことはないと体力レベル「クズ」のくせにナメてかかっている。
それゆえか、あまりトレーニングも進んでいなくて、しかもGWは4歳の愛娘といるからトレーニングはできない。
もしかすると、どうってことないはずの山なのにわたし一人苦戦するのではと思ったりもするし、油断していると雨で滑って怪我をしたりするとも考えられ、ここは気を引き締めておかねば足元をすくわれるとナメた心を排斥する。
雨に濡れた木の根はデンジャラスなほどに滑る。だからこれは山の高低に関わらずであるから、いくら低い山でもここは注意深くいないと大怪我をするのである。
ところでわたしは神がかり的な雨女のくせにレインコートが嫌いである。ついでに言うと傘も嫌いで、そんなもん着るくらいなら、そんなもんさすくらいなら濡れたほうがええわと思う。
レインコートのシャリシャリするのがどうも気に入らない。だからちょっとした雨くらいなら新調したレインウェアも着ないと思う。
やっぱり体に身につけるものは正絹がよろしく、ああいう柔らかくて上品なものがいい。ついでに言うとわたしは毛糸生地も大嫌いで、特にセーターとなると暑苦しくて体が受け付けない。だからセーターは子供の頃から一着も持っていない。
さて、奥日光へ行くのは昨年の11月だったかに太郎山に挑戦して惨敗して以来で、雪解けを持っていた。
毎日、遠くにそびえる日光連山を眺めているのにそこに行くとなるとそんなにたくさんは行けないもので、年に数度となる。
4歳の愛娘はまた華厳の滝に行きたいと言っているから、このGWに連れて行こうかとも迷うが、おそらくは混雑していてちょっと躊躇する。
那須の千本松牧場のように駐車場が十分であればいいが、奥日光は平地ではないから巨大な駐車場がない。そう考えるとGWは避けたほうがいいとも思う。
となれば、那須どうぶつ王国にスナネコを見にいくか。
スナネコは砂漠地帯に住む猫で、昨年那須どうぶつ王国で生まれたらしい。猫好きとしてはちょっと興味があり、ちょうど保育園から割引券ももらった。
とはいえ、どうせ実物を見ても写真で見た通りという印象くらいに違いないとクールに考えつつも、那須まで行くのはちょっとしたドライブであり、その時間が楽しいし、そのおかげで保育園がない大きな時間を潰すことができる。
車中ではしりとりをしたりするも、意外と4歳児に負けてしまったりする。それはこちらが4歳児が知っている単語を探そうとするからであり、リアルに4歳を生きている愛娘のほうが一枚上手なのである。
しかし、そうやってGWに過ごすのも今のうちで、学校に行くようになればむしろ相手にもしてもらえなくなり、それはそれでやっとわたしは自分の時間を生きることができても、同時に今の可愛い盛りが貴重にもなる。
とはいえ、大きくなってくれれば、コンサートにも一緒に行けるし、大人の楽しみを共有できる範囲は広がる。
今だって4歳になり昨年とは随分違うわけで、例えばモーツァルトのアイネクが大のお気に入りになり、そのフレーズを歌いながら踊ったり、散歩しながらもアイネクばかり口ずさんでいるのは3歳の頃には想像できなかった。
モーツァルトのCDをかけて一緒に喜べるようになったのもわたしとしては嬉しいことで、しりとりのようにわざわざ4歳児のほうへ降りなくて済むのは楽なのである。
そのうちアイネクを一緒に弾ければGWだって出かけなくても家の中で暇つぶしできる。
楽器ができるというのは、暇つぶしには最高なのだから。
そしていずれは一緒に山登りもできるだろう。
そんな暇つぶしこそ文化。
不要不急だからこそ楽しい文化。
必要に迫られないからこそ、人間は遊ぶことができるのである。