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ママゴトのBGMはジュピター

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結月でございます。

山登りの日に雨が降るという予報だったから、神がかり的雨女のわたしは登山用のレインウェアを新調したというのに、レインウェアを買ったらその翌日の予報では雨マークがすっかりなくなって晴れになっているというのはどういうことやねん?

とはいえ、晴れに越したことはないのだけれど、行き場を失ったモンベルのレインウェア。

さて、今日でようやくGWが終了。藤が満開のあしかがフラワーパークに行こうと思っていたが、雨で諦める。

昨年はコロナで閉園したから、あの見事な藤を見ることができなかった。あれは毎年、見ておきたい。

と、昨日は晴れで、那須どうぶつ王国までクルマを走らせた。コロナなんてどうでもよくね?的な混雑で、駐車場はほぼ満車。土産物売り場もゴージャスな密で、わたしはそれを見て、多くの人は賢明に戻ったと思った。

それは政府の緊急事態宣言や自粛願いが感染拡大とはちょっとピントがズレていることが認識されているという意味で、さらには人間というものはずっと引きこもってはいられないことがはっきりした。

引きこもることが精神的に無理であるところに外出の自粛を要請するのは無理なことをしているだけなのだから、無理なものは無理なのだろう。

結局のところ、ワクチンが行き渡り、コロナ専用の病床が増やすことでしか対処できないのであって、そのところが日本の場合はガッカリ感がたっぷりで、人々はやってられなくなる。

そんな薄っすらとした絶望にいくら医療が逼迫していると言ってもそれは響くこともなく、コロナ担当の医療従事者は悲痛な思いをしても、薄っすらとした絶望はそれを解消するだけの力もないし、立場でもないし、だからこそ外出して楽しまないとやってられない。

ワクチンや病床を増やすのは政府でしかできないレベルのものだから、医療が危ないと医療従事者が大衆に訴えたところでそれは筋が違うのであり、肝腎要の政府がガッカリさせるようなことしかできないとなると宣言は無視するのが妥当になる。

思うに日本というのは今に始まったことでなく為政者が自国民を愛さない国のようである。

これは国民性であるから、誰が立候補して、誰が政治家になっても基本的に変わることはない。

為政者が自国民を愛さないから太平洋戦争でも散々な負け方をしたと言えるし、コロナでも他の国々が対策に成功しつつあるのに日本はなかなか進展しない。

と、そんなことが薄々感じられるから緊急事態宣言だって形骸化するわけで、信用を失った為政者の言葉は空虚、空虚、空虚なのである。

さて、朝から雨が降っていた今日はどこにお出かけることもなく、4歳の愛娘のママゴトに付き合ったりしていた。

アイネクが大のお気に入りになってから、わたしと同様、モーツァルトが好きになった4歳児。

「モーツァルト、きく〜」

と、自分でCDをミニコンポにセットする。

「アイネクじゃないやつ〜」

と、セットされたCDはブルーノ・ワルター指揮のジュピターで、わたしが最も愛している曲。

モーツァルトの、特にジュピターは人間として神界に最高レベルに近づけた曲であり、ズバ抜けている。

と、そんなわけでママゴトのBGMはジュピター。すなわち交響曲第41番。

お店屋さんごっこでジュピターがかかっているのはなかなかの風景で、わたしもまさかこんなシチュエーションでジュピターを聴くことがあるなど、この日が来るまで想像さえしなかった。

思えば随分昔、大学卒業後、大学の医学部だった先輩宅に訪れたとき、小さな子供がおもちゃで遊ぶ中、そのBGMがバッハのバイオリン無伴奏だった。

とにかく変わり者の先輩で、数歳年下の後輩と学生結婚をし、在学中に子供が生まれて、それに止まらず、結果9人という驚異的な子沢山で医者をやっている。

知性の塊のくせにユーモアに長けていて、音楽が好きで特にハイフェッツの猛烈なファン。学生時代からクルマのカーオーディオはいつもハイフェッツであり、しかもクルマは80年代のボルボでエンジンをかけると大音量でハイフェッツのヴィエニャフスキーのコンチェルトが鳴り響く。

学生時代はとにかく可愛がってもらい、わたしはあの先輩の顔写真であればスマホの画面にしたっていいと思うくらい好きなのである。

とはいえ、実際にはそんなことはするわけはなく、スマホはうちの愛猫であるけれど、もう久しく会っていないから会いたいと思う。とにかく素敵すぎる人。

そんな変人は小さな子供相手にバッハを聞かせていたが、その子供もおそらくはもう二十数歳に違いなく、無論、学生結婚ゆえで、どんな大人になっているのかすごく興味がある。

子供がどう育つかは遺伝と環境であるけれど、わたしはやはり環境の要因が大きい気がする。

その比率は3:7で環境が大きく、子供の頃にバッハが、モーツァルトが鳴る環境とテレビがエンドレスであるところとは育ちは異なる。

どっちがいいかはわからぬが、上質な文化に触れて育った人間のほうが将来の仕事もよく、年収にも表れている統計がはっきりとあるので、脳の発達に関係があるのだろう。

子供が育つ環境として最悪なのは貧困と文化がないところである。このことも社会学的なデータとしてはっきりと出ている。

とはいえ、文化的環境はよくても、文化で飯を食っていこうとすると先行きが怪しく、演奏家になろうだとか、画家になろうだとか、そんなことを本気で思ってしまうと食えなくなるから要注意。

なんて言いつつも、人間なんてどうなるかわからない。育ちが良くてもクソな大人はいるし、育ちが悪くてもいい奴はいる。

さて、長かったGWもようやく終わり、明日は解放感を味わう。

猫と一緒にゆっくりするよ。でもそれも保育園に預けている間だけ。

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