結月です。
先日、BSだったかで映画がやっていて、それは高倉健だった。相変わらず健さんは健さんで健さんでしかないのがワンシーンを見ただけでわかるのだから、健さんはやっぱりすごい。健さんが出るだけで健さんの映画になってしまうのだから。
それは「あなたへ」という健さんの遺作だった。それを5分くらいは見た。
5分しか見なかったのは、やっぱり健さんでしかない映画を見るのも億劫だったし、舞台が九州だったようで、役者の九州弁が真似事の九州弁に聞こえてしまってシラけてしまったから。
綾瀬はるかが九州弁を話していて、これは違うと思ったのである。
一生懸命九州弁を練習したに違いないけれど、ネイティヴでない響きはすぐにわかるもので、本当の九州弁を知っているとシラける。そうなると映画には感情移入できない。
あとはわたしは綾瀬はるかってそんなにいいとは思わないのだけれど、綾瀬はるかみたいな女は九州にいない、というか九州の女っぽくない。あんな女は九州にはいない。だから嘘臭く見える。
と、これは九州を知っている人でないとわからないニッチな見方であるとは言え、きっと九州の人が見たらあの映画は嘘臭く見えて評価できないだろう。
しかし、それくらい地方色を映画で出すのは難しい。
じゃあ、ネイティブをキャスティングすればいいかというとそうでもない。ネイティブがやると、今度は映画としての脚本を邪魔してしまい、リアルになりすぎる。わかりやすいのが大阪人がキャスティングされた大阪物の映画だろうか。
リアルになりすぎると、見ている観客は置いてけぼりを喰らったような気持ちになる。ネイティヴでないとそこに入れない仲間外れ感。
だから、地方色を出す映画はなかなか成功しにくい。
ところで方言を習得するにはどれくらいの時間が必要なのだろうか?
それは人によって異なるだろうし、あとはその土地への敬愛というか好き加減も関係してくる。
東京に来て随分長い時間が経っているのにずっと関西弁のままという関西人は珍しくない。それは自分が関西人であるというアイデンティティが根強くあるからで、頑として東京には馴染まないという反骨があるからである。
わたしは大学を卒業して東京へ来るまでは関西弁を話していて、でも東京に来たら1ヶ月もたたないうちに東京弁になった。
それは東京に来たくて東京に来たからで、東京という土地に愛着があったから。
東京に来てすぐの頃はまるで仕事がなく、というか就職もせずに東京へ来てしまったからとりあえず1週間単位で金がもらえる池袋の警備会社に入った。そこで研修を1週間やったのだが、自分が関西弁であることに違和感を覚え、不器用な東京訛りをするようになった。最初はうまく話せなくて自分でも気持ち悪いイントネーションだったが、すぐに関西弁は抜けた。
さらに遡ると、高校は京都から大阪へ行った。阿倍野区という天王寺に近い大阪コテコテの地域に高校はあり、コテコテの大阪弁を話す同級生に囲まれて、同じ関西弁でも京都と大阪ではこんなに違うものかと知った。
京都からその高校へ通っていたのはわたし一人だったが、わたしは当時、京都が嫌で大阪へ行きたかったから、たちまち大阪弁に染まった。言葉が染まると感性も染まる。
その後、大学では九州の熊本へ行ったが、4年間いて熊本弁になることはまったくなく、在学中はずっと大阪弁だった。
それは東京でひたすら大阪弁を話す大阪人と同じで、熊本という地盤はわたしには馴染まなかったし、都会にずっといたという自負もあって熊本弁にはならなかった。
とは言え、熊本を離れて長くなると、熊本のことが懐かしくなったり、今でも熊本時代に知った人が何人か付き合いはあるし、熊本に行けば「よう帰ってきよったね」といつでも暖かく迎えてくれる小さなフランス料理店があったりして、熊本にいてよかったなと思ったりする。
そんなせいか、今になって少しだけ熊本弁を使うことがあって、5歳の愛娘に朝ごはんを出すとき、
「食べなっせ」
なんて言っている。
でもそれ以上は頭ではわかっていても実際の熊本弁で話すことがないのは、感性が熊本にならなかった人間だからだろう。
とは言え、綾瀬はるかよりは遥かに上手く話せるのは間違いない。
最近、封印していた関西弁を使いはしないが、ちょっと書き言葉で使ってみたりすることはある。
方言とは感性であるから、場合によって関西風にしたほうが「おもろい」ことがあるし、色気になることがある。
人と話すときに関西弁というのは気恥ずかしさもあるし、自分に違和感もあるから話しはしないけれど、標準訛りで話していても中身は関西の感性である事が多い。
そんなことに気づいたのも最近のことで、自分はやっぱり上方の人間だと思うようになった。
話す内容や相手によって東京の感性でいるときと関西の感性であるときが頻繁に切り替わっている。
いわゆる江戸気質なときもありつつ、標準訛りなのに中身は関西風になっているときが入り混じっているのである。
しかし、遠く離れればその土地への気持ちが変わるのは熊本だけではなく、京都もそうで、東京に来てからは大阪よりも京都のほうがいいと思うようになった。
きっとそれは自分がしている仕事が京都人の感性のほうに合っているからで、正直、大阪にはほとんど興味がない。
京都が嫌で高校は大阪を選んだというのに、今は京都のほうがいい。
最新の状態は栃木にいるわけだが、今のところ3年住んでみて、栃木弁はまるで話せない。でも3年いて、栃木弁がどんなニュアンスであるかは随分わかった。
しかし、今後栃木に住み続けたとしても栃木弁になることはないだろう。なぜなら、栃木は東京に近くて、栃木にいてもわたしは東京人であるから。あとは栃木はキャラが薄過ぎて、なり切るほどの濃度がない。
ともかく、マイルドヤンキーにならずに、いろんな土地で過ごしてきたせいで土地によるアイデンティティはあまりない。強いて言えば自分は東京だと思うけれど、上方の感性も持っている。
同じ土地にずっと住み続けている人はアイデンティティが土地にあり、それはキャラになる。
そんなマイルドヤンキーのおかげで土地の文化は維持されるわけで、方言もしかり。
わたし自身はそんなマイルドヤンキーにはなりたくないが、マイルドヤンキーな土着人と話すとやっぱりおもしろくて、コスモポリタン化した自分は楽しんでいる。
思えば、わたしにはパリもリヨンもあった。この二つの街も大事な土地だ。
そうなるとカクテル状態で、自分が何人かもわからない。
さて、思うに他所の土地へ行くには遅くとも30歳までにやらないと衝撃がない。できれば25歳まで。
それ以降となると、感動がなくなる。吸収率が悪くなる。
つまり、どんな土地へ行っても観光になってしまうのである。