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音楽という心の栄養

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結月です。

美輪明宏さんはずっと文化が精神の栄養になると言っていて、今はデジタル社会だから精神の栄養失調が起きていると雑誌の連載で話していた。

そういえばそうだな、と思う。

美輪さんは本当に変わらず同じことを言い続けているけれど、わたしはデジタルも取り込むし、AIには大喜びで、実はずっとアナログ派だったのに結構変わった。

あまりにもアナログだったから自分が時代遅れになったと感じてからはガラリと方向転換したわけだが、デジタルが精神の栄養になるようにはあまり思えない。

でも、わたし自身は今はアナログな文化は自分がコンサートを主催するくらいで、音楽そのものはもうほとんど聴かないし、絵画だって興味ない。映画も観ない。

それは過去にたっぷりと取り込んで吸収したからで、別に今なくても心に文化的貯蓄があるから困らないのである。困らないというのは心が殺伐としたり、精神の栄養失調にもならないという意味で、仕事を成功させるのは大きな苦労があれど、人間関係でストレスもなく、要するに精神的には健康なのである。だから、デジタルを積極的にやってもとりわけアナログな文化で栄養補給する必要性がない。

とはいえ、考えてみれば世の中では美輪さんの言う精神の栄養失調を起こしている人がたくさんいる。

コンサートをやると、その音楽的感動のおかげですごく助かりましたなんてことを終演後にお客さんから言われたりする。

わたしはもう実務的なことばかりに懸命だし、自分が文化はたっぷりと味わって貯蓄もあるからあまりそこまでは考えないのだが、精神の栄養失調になっている人にとっては生演奏をコンサートホールで聴くことは大きな栄養補給になるようである。

何が言いたいかというと、自分が健康すぎて、他人の不健康の苦しみがわかっていなかったということ。いや、わかってはいる。何年も前は文化や芸術にはそういう力があるからと必死に伝えていた。

でも、いざ公演をやるとそういう「想い」みたいなものでは現実的な採算や収支が合わないゆえに、しっかりと実務をやらないといけないことがわかり、今に至る。

美輪さんの話を聞いて、ちょっと精神の栄養について思い出した。

それもしっかりと提供しつつ、「想い」だけに偏らず実務をしっかりとやる。

これは演奏者にも伝えたいことで、自分たちが音楽やって楽しかったとか、今日はすごい演奏ができたとか内輪で盛り上がるのではなく、来てくださったお客様をどれくらい心を健康に、そして精神の栄養補給をできたかを考えることを徹してほしい。

日本にはコンサートはたくさん行われているけれど、提供する側の音楽的楽しみばかりで、お客さんへの具体的な愛が乏しいのではないか、と思う。

もっともっと、もっともっと視線を観客席に向けて、漠然とした想いでなく、明確な想いを音楽で伝える。

ジェネオケのコンセプトは「生きていることに、歓喜しよう」。

それは精神の栄養失調を助け、今こうして生きていることに歓喜できるようになろうというメッセージ。

ついつい実務的なことに忙しくなると自分でこれが希薄になる。

それに自分が精神の栄養失調になっていないから他人のことを忘れる。

それではいけない。

今は予防医療のことも始めているから、心だけでなく肉体も。

肉体的健康のための栄養と、精神的健康のための栄養をコンサートで提供する。

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