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もう3月。急げ。

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結月です。

次回のジェネオケ公演は来年2024年5月6日。

どの曲を公演するかはプランを3つ用意して、遅くとも6月までには公開したいクラウドファンディングの結果に合わせて秋には決定するつもりでいる。

この数週間、企画をまとめるための材料探しといった状況で、ようやくそれらが発酵し出し、方向性がまとまり出した。

コンサートは芸術のためにはやらない、音楽のための音楽はもうやらない、とわたしの中では決まっていて、数々の公演をやってきてそう思うようになった。

つまり、音楽だけやるコンサートはもうやらない。

もちろん公演当日は音楽をやるわけだけれど、なぜそのコンサートをやるのかという意味において音楽だけでやらない。

公演としてもっと積極的に社会に関わっていく。それは決して音楽を広めようという名目で地域の学校にどさ回りするなんていうことではない。

高齢化が進んで右肩下がりのクラシック音楽界をどうこうするのではなく、音楽を広めようとも考えず、別のアプローチで公演にお客さんを呼びたい。

だから、コンサートホールの半分はいわゆるクラシックファンでない人たちで埋めようと考えている。

コンサートは音楽を開催するものという時代は終わったとわたしは認識していて、決まった数のクラシックファンを各々のコンサートでたらい回しにしている状況からは抜け出したい。そうしないと高齢化に合わせて先細りしていくだけであるし、音楽に接したことがない人のほうが純粋な音楽的感動を味わってもらえる。

そして、コンサートを通じて音楽ではないこともPRする。それは予防医学で、事前に病気を予防する啓蒙をし、結果的に健康体で末長く音楽を楽しんでもらう。もちろん健康であることは音楽だけでなく、すべての生命活動につながる。

例えばスポーツ観戦だと、競技をする選手は健康であるばかりが鍛え上げられた見事な肉体をしているし、そこに集まる観客もその競技を趣味でしていたりするから競技場はそこまで不健康な雰囲気ではない。

ところがコンサートホールはひどい。

演奏者にはメタボは多いし、楽器しかやってない人たちばかりで見るからに軟弱そうで、遠征が多いと食生活も悪そうである。さらにお客さんもいかにも文化系といった感じで、健康そうには見えず、高齢者も多いせいかどこか持病を持ってそうである。

音楽以前にやることがあるのは演じるほうも見るほうにも言えそうで、コンサートホールに来る前に病院へ行け。

病弱であったり不健康であったりすると精神もネガティヴになる。

わたしは演奏者ももっと肉体的に健康であれば音もシャープになると予想していて、観客も健康になればもっとストレートに音楽が肉体に浸み渡ると考えている。

そんな偉そうなことを言うのも、このわたし自身が肉体的に軟弱であるばかりでなく、不摂生を極め、標準体重より遥かに重量オーバーしてしまった反省があるからで、文化系という頭にウェイトが行きがちなものを肉体に配分を増やすことの重要性に気づいたからである。

もちろん肉体的で頭を使わないとか精神が雑でもよろしくない。バランスが大切であり、音楽に集まる人たちはそのバランスが著しく悪い。

その改善をオーケストラでアピールして、コンサートの場を通して健康活動をし、それが音楽以外の場にも広がることをイメージしている。そうして健康人口が増え、未然に病気を防ぐことができ、それは国全体の医療費削減にもつながる。

健康な体でもって、極上の音楽をコンサートホールで体感してほしい。

と、そんな考えをこの2ヶ月ほどでまとめた。年が明けてからはまだそこまで考えられておらず、コロナで不要不急認定され、それが証明された音楽をどのように今後続けていくのかが昨年の第九公演からのわたしのテーマだった。

結果、音楽だけでは成り立たないことを認識、いやそれはずっと前からわかっていたのだけれど、音楽をやる意味を明確にできない時間を過ごすのはキツかった。

しかしながら、その追求が今年になっても続いていて、先月あたりは取り止めもない状態だったのが、少しずつ塵が集まってコアになり始め、ようやく考えがまとまり、企画に落とし込めるようになってきた。

だから、これからこの企画を一緒に進めていけるところに営業に行く。いくつかはピックアップできているので、まずは話をしに行きたい。

そしてここまで来たのが3月。暖かくなり始めた。急がないと時間がない。企画をまとめ上げてクラウドファンディングとして形作る手間もある。

その結果に合わせて、どの規模の公演ができるかを決定する。

きっと思うようにはいかないというのは今までで明らかで、というか思うようにいく事業なんてどこにもないのであるから、進めながら軌道修正したりしつつ、ときには想像以上のアイデアも出しながら進んでいく。

コンセプトというか、何をやりたいかがしっかりとできていないと物事はうまくいかない。でもそれが決まってようやくスタートできそう。

予防医学の啓蒙は1回やったら終わりのものでなく、持続的にやらないと社会には浸透しない。それゆえに長く続けられそうだし、それに伴ってジェネオケの認知も広まればいいし、こんなPRができるオーケストラはジェネオケだけだろうし、試みとして新しいしおもしろい。

とにかくわたしは音楽だけしかやっていないクラシック音楽界の閉鎖性というか、世界の狭さと不健康さにうんざりしているところがあって、もっと音楽は開けるべきだと思っている。

作曲家は本来、人間そのものを音楽で描こうとしているのにそれを演じ、それを聴く側が音楽オンリーの世界に引きこもっている。

おそらくベートーヴェンの音楽の閉鎖的な解釈しかできていない。コロナについての専門家がウイルスに関しては解釈できても社会がどういうものかをまるで知らなかったのと同じように音楽も音楽だけの世界では人間全般を表現することはできやしない。

だからジェネオケの公演は音楽だけやることはせず、外の世界に接点を持ちながら音楽をやりたい。そうすれば新たな音楽表現が生まれてくるはずで、ベートーヴェンをやろうが、モーツァルトをやろうが、マーラーをやろうが新しい解釈がきっと生まれる。クラシック音楽のコモディティ化から抜け出すことができるに違いない。

ともかくここまで考えがまとまるまで2ヶ月かかった。さて時間がない。

悠々として急げ。

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