結月美妃.com

結美堂の結月美妃公式ブログ

【スポンサーリンク】

好きなこと、やりたいこと、やらなきゃらならないこと

【スポンサーリンク】

結月です。

ジェネオケをいきなり昨年立ち上げて、でも立ち上げた頃はそういうオケがあったらおもしろいなとか、やりたい曲があるけど他のプロオケに依頼公演したら金だけ取られてやりたい音楽もやりたいアクションもでいないからつまらないと思って、だったら自分で立ち上げて自由にやったほうがおもしろいと思っていたのである。

とまあ、動機というのは得てして深い意味はなく、これは名だたる大企業だってその創業はそういう感じで、いつの間にか大きくなったに過ぎない。発端は創業者の思いつきで、それをとりあえず実行して立ち上げたところが実現化するかしないかの「差」であろう。

経営理念みたいなものも最初からあるのは少なく、やっていくうちに自分たちに何ができるかがわかってくる。だから何をしようかと理念を先に固めてから事業を始めようと考えるといつまでたっても机上空論のままで、結局のところ何も生み出せない。

そんなジェネオケも思えばわたしが「やりたいこと」をやりたいから立ち上げた。そしたら想像以上に素晴らしい演奏者たちが集まってくれて、音楽的にはいきなり超一級レベルのものができるようになった。音楽のことは彼らに任せて何の不安もないどころか、想像以上のことをやってくれるという楽しみを持つことができて安心以上のものを得ている。

しかし思えば、昨年までのわたしは「やりたいこと」をやっていた。その前は「好きなこと」をやっていた。

弦楽器の販売を始めるために独立したのも弦楽器が好きだったからだし、その後、着物を始めたのも着物が好きだったからだ。着付けをするのも大好きで、着付けをするのは今でも楽しいし、そして着る人が美しくなるのを見ると心地いい。

コンサートの開催も好きな音楽、好きな曲をやるためにやっていた。自分が好きなものをやっていたのである。

そうこうするうちに猛烈に好きなモーツァルトの交響曲を大好きなマロさんとできたらおもしろいと思ってサントリーホールでやると、たくさんのお客さんを集めなければならないからそれは「好きなこと」だけでは不十分で、「やりたいこと」になっていった。

それは好きな曲をたくさんの人に伝える、感じてもらう、そして感動してもらうことがやりたくなった。

すなわち着物をやっているのは自分の範囲だけの「好き」だけれど、公演をするとたくさんのお客さんという他者との関係になって自分が他者に向かって「やりたいこと」になった。

そうやって公演を重ねてきたけれど、それだとおもしろくなくなってきた。集客で大変な思いしかしなくなってきたし、ただいい音楽をホールで奏でることに一過性のものを感じ始めた。こんなことを繰り返していても一過性の感動を重ねるだけなんだと。

そんな音楽はいくらでもあるし、オーケストラが必要とするお客さんの数が公演よりも少ないのだからその一過性の感動もマンネリになる。

すると、

「おもしろくないな」

と感じて、

「これは続かないな」

と思った。

だからジェネオケも「やりたいこと」のレベルでなく、もっと違った試みがあるといいと思うようになった。

しかし、その違ったものがわからない。何をやったらいいのかわからない。音楽だけだと不十分なことは明確にわかっていても、じゃあ、何をやればいいのかわからない。

そんな思いで年明けを過ごしていて、自分の健康の危なさに気づいたことを発端に予防医療に目覚めた。そして、それを公演と共に伝えられるとオーケストラの活動が一気に拡大すると確信した。

なぜなら、健康は多くの人にとって重要なテーマであるからだ。そこが音楽とは違う。音楽に普遍性はなく、結局は好きな人にしか響かないし、好きな人しか会場には来てくれない。ところが健康は誰だって気になるし、願わくば病気になりたくないし、願わくば癌にもなりたくない。

伝えたい思いが予防医療になると視野がとてつもなく広がった。今までクラシックファンというニッチで高齢化した数少ない人にしか告知できなかったものがブルーオーシャンになった。

そして予防医療というヘルスケアの取り組みによって今まで好きなこと、やりたかったことしかやってこなかった自分が「やらなきゃならないこと」に変化した。

予防できるものを予防できれば人は病気で死なずに済む。大腸癌や胃癌は定期的な検査でほぼ100%予防できる。

たまに大腸癌で亡くなった芸人やタレントのニュースがあるが、それはすなわち10年間は大腸の検査をして来なかった証である。なぜなら大腸癌は進行速度が遅いし、だからポリープ段階で発見できれば防げるはずだから。

胃癌だってピロリ菌検査をすれば防げる。それもできるだけ早い段階で。なぜならピロリ菌による胃炎が発症してしまったらピロリ菌を除菌してもその胃炎箇所は胃癌を発症する場であることに変わりがないから。だから収縮性胃炎になる前にピロリ菌の有無を知り、感染していればすぐに除菌することが求められる。

どちらも簡単な処置で予防できるのだが、意外とそれは知られていないし、放置されている。だから大腸癌や胃癌で亡くなる人は絶えない。

予防医療を啓蒙することは人の命を救うことだし、未病であることで金もかからなくなる。

糖尿病になれば数十年で自己負担だけで数百万にもなるし、人工透析まで行けばさらにかかる。それも3割負担の話で7割は国家が負担している。

糖尿病だって食生活の管理や運動不足改善で簡単に予防できる。それなのに糖尿病予備軍を含めると2,000万人はいると言われている。

未然にどうにかできるのにどうにかされていない。

だから予防医療の発信は「やらなきゃいけない」ことであって、それを取り込むことによってジェネオケの活動が公的な意味合いを持つようになった。

「自分が好きな音楽だけやっていて、それで楽しい?」

その自問にやっと解決策が見出された。

きっと多くの演奏者は自分が好きな音楽をやっている。好きだから楽器を弾いている。それで一流奏者にまで辿り着いた。

でも、それだけでいいのか? 好きなものを提供するだけなら、好きな人しか来てくれない。だから、将来的には「やらなきゃならないこと」を自分の音楽に感じられるようになってほしい。

音楽で世界を平和にするとか、そういうのはやめてくれ。主語がデカすぎるし、お花畑すぎるし、具体的に自分が演奏することによって社会をどのようにできるのか、人をどう変えられるのか、それを考えられるようのいなるといい。

それは哲学でもある。

きっと音楽だけで考えると絶望する。音楽がこんなにもニッチで無力なものかとがっかりする。でもそれをスタートにして、具体的に何ができるのかを考えなければならない。

音楽だけやって、音楽を好きな人がチケットを買ってホールに集まってくれる時代はもう終わり。そういう趣味で来てくれた人たちは高齢化して今後は来てくれはしない。好きなことを追求して楽しむだけではもう駄目なんだよ。

そして人間は利己的なものよりも利他的なもののほうがエネルギーが出る。

そうすれば好きだからやる利己的な演奏よりも利他的な思いを持って楽器を奏でるのとではまるで違うはずなのである。

でも、やらなきゃならない利他性は無理やり探して取って付けたようなことをしてはいけない。金にもならないのにボランティアで老人ホームに演奏に行くとか、そういうありきたりなものに自分を持っていくのではなく、自分自身の魂がどうしたいのかはっきりと欲望を持っていることをやらなければいけない。

わたしは幸いにも予防医療というものを見つけることができた。

今までの自分の不摂生にも呆れたし、その結果の身体的なダメージは「やっちまった」もので手遅れだし、でも友達の何人かは検査をせずに不摂生で本当に急死してしまったし、そんな事実にものすごくムカついていて、その怒りに近い気持ちが「使命」にも思えて、自分の活動で未然に病気を予防できれば最高だと思えるようになった。しかも音楽という感動的なものを通してできるのだからエンタメとしてもできる。

ただ好きなことをやりたいようになっていれば幸せだと長年思っていた。でもそうじゃなかった。それだけだとつまらないように感じるようになった。

そしてやっと「やらなきゃならないこと」まで到達できた。

ここまで来るのにものすごい時間を要したけれど、おそらく死ぬまでにできそうな時間は十分に残っている。少なくとも健康寿命でなんとかできそうである。

【スポンサーリンク】