結月です。
来年5月6日のジェネオケ公演に向かって、チラシ作成などこれから本格的な準備。
準備といえば今年の年明けから構想を始めて、いろんなことを調査してプログラムが決定し、その間、会場を確保したり、リハーサルの場を申し込んだりとそもそも準備は始めていた。
しかしながら、5月はジェネオケの事務手続きのために奔走したりしていて、法務局へ行ったり、先週は税務署に出かけ、県と市に届出を出したり、さらに銀行の口座開設など音楽ではない業務をしていて、今日はこれから雨の中、銀行に口座手続き完了のため赴く。今は昔と違って口座開設が実に面倒なプロセスが必要なのである。
とまあ、事務的なことが今日でやっと終わったわけで、甲本ヒロトが、
「何かをやるためには、やらなければならないことがくっついてくるんだよ」
と、インタビューで言っていたけど、これは本当にそうで「やりたい」だけでは子供で「やらねければなら」ないことを何かをやるにはやらなければならない。
それがわかってからは、昔は大嫌いだった事務作業も今は大して気にならない。
というわけで、社会の中で音楽をやるためにやらなければならない音楽とは関係のない手続きを完了し、ようやく音楽につながる作業に入る。
実はそれは同時進行でできなくはなかったけれど、やらなければならないことの真っ只中にいると具合良く分けてってちょっとやりにくい。気分的に盛り上がらないんだよね。そんな気分で無理してやってもうまくいかないから、やらなければならないことをさっさと片付ける。
とは言っても、そんな事務手続きの中、公演の方向性や告知のやり方、どうアピールして、どう集客するのかはずっと考えていて、それは猫を抱きながらエアロバイクを漕いでいる時も便座に座っている時もずっと考えてる。
であるからして、そんな時に6歳の愛娘がじゃれついてきたりすると、
「うるさい!」
と、やってしまったりするのだけれど、まあそれは仕方ないよね。
これから2ヶ月の間にチラシは完成させて、告知する。それに合わせてチケット販売も早々と先行販売させる。
ジェネオケ着物枠という席も設けることにしていて、来年のGW最終日なので、着物で着てもらうようにもする。平日だと着物着る時間がないけど、祝日ならやりやすいだろうから着物が好きな方は着物で来てほしい。
着物だと奥の席はものすごく移動しにくいので、着物枠は通路側で用意する。ほんと、奥の席だと誰かが座っているあの狭いところを通るのが大変。しかも気の利かないおっさんが観劇には必ずいるもので、
「どけよ!」
と言いたくなるほど、座ったままなのがいる。そういうのは得てして昭和世代で男が偉いと自然に思っていて、女が通るのに俺はどかない的な感じなのである。
令和になってそういうのも随分少なくなってきたとはいえ、そんなところで無理して通ってせっかくの着物が着崩れるのも嫌なので着物枠を設けることにした。
そういうわけで公演に向かっていろいろ進んでいて、メンバーも招集し始めていてスケジュールを確保してもらってる。
さて。
「何かをやるためには、やらなければならないことがくっついてくるんだよ」
だけれど、多分世の中って、やらなければならないことが仕事になってる。ほとんどの会社員が会社で何をしているかというと、会社が何かやるためのやらなければならないことを給料をもらってやっている。
そこには自分が「やりたいこと」はないのだから、おもしろいわけがない。であるからして、大半の人は会社に不満タラタラだったりする。
では、やりたいことがあるかというとそれが明確にある人は少ない。やりたいことがわからないとか、だからやりたいことを探すなんてことをやってしまう。
やりたいことは探すものでなく、湧き出てくるものだから探す時点でアウトなんだよね。でも、やりたいことが明確に出てくるって実は「才能」だからこればっかりはない人には無理だよ。
ところがその才能だけでもやりたいことはできない。やらなければならないことがくっついてきて、それをこなせなきゃならないから。
芸術系はやりたいことだけで済みそうだけれど、実はそうじゃない。ジェネオケのメンバーだって彼らはみんな国内でも一流の奏者ばかりだけれど、ジェネオケのメンバーとしてお声がかかるというにはそのレベルになるまで幼少の頃から猛烈な練習をしていて、さらに専門の勉強もこなしていて、それはそれは血のにじむ努力をしてきたから音楽というやりたいことができるわけだ。
アマチュアはそこが甘くて、やりたいことは漠然とあってもやらなければならない努力が足りない。だからアマチュア。でも、やらなければならないことばかりになると楽しくなくなってくるから、アマチュアのままでいるほうが幸せかもしれない。
やらなければならないことは要するに面倒なことなんだよね。まあ、面倒だよ。しかもおもしろくないよ。わたしだって先月は色気もない書類を揃えたり、そんな書類を出しに行くために役場に出かけたり、面倒でしかなかった。
でもやっぱりそれはやらなければならないんだよ。
思えば、人の悩みを聞いたりすると、やらなければならないことが億劫で、面倒で、だからやりたくないから物事が進まなくてどうしたらいいですか?なんて内容がほとんど。
「じゃあ、さっさと終わらせたら?」
と思うのだけれど、やらないんだよ。やらない奴はやらないんだよ。
ダイエットもそうで、痩せなきゃ将来的に病気になるのが確定的であってもダイエットは面倒だし、苦しそうだからやらないんだよ。
とても簡単な理屈なんだ。やりたいことをやるにはやらなければならないことをやる。
やらなければならないことを一生懸命やったとしても成功するかはわからない。それだけやっても駄目かもしれない。でもやってみないとわからない。
わたしなんか、これまでの公演で興行的にはかなり失敗している。でも失敗を失敗と思ってないというか、失敗したのはやらなければならないことが当時は見えてなかったからとも思う。うまくいかなくてやらなければならない何が欠けていたのかを考える。
そして、それを補充して、またやってみようと思う。
合理的に考えればアホなわけだけれど、そこが「やりたいこと」という不合理性なわけだ。
賢明になってもうやめとこうと判断するのもいいけれど、自分や「やりたいこと」をその打算的な考えで捨ててしまうとどうもおもしろくない。せっかくこの世に生まれてきたのにやりたいことを回避して死ぬのはちょっと嫌だなって思う。じゃあ、やらなければならないことをあぶり出して、またやってみる。
そうこうしているうちに死んじゃうよ。寿命が来る。やってもやらなくても死んじまうのだからじゃあ、やろう。
うまく寿命まで行っても、そう長い時間はないしね。無難にやってても死ぬし、思い切りやっても残った時間はたくさんはない。
さらにやりたいことを感じられる時間は全体の10%もないんじゃないか。残り9割はやらなければならないこと。
公演にしても逆算してあと100回なんてできないしね。20回もできたらすごい。寿命を考えたら人間なんてそんなものだね。
「芸術は長く、人生は短い」
そういうこと。