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ガーシーのピカチュウTシャツがほしいと思ったり

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結月です。

ガーシーがいきなり帰国して、ガーシーの話題はもうなくなったと思っていたのがどんでん返し。まったくガーシーはやってくれる。またおもしろいことになりそうで、これ、刑事告訴してしまった人たちが自らの行動が藪蛇になったとビビっているかもしれない。

今後のことは劇場にいるつもりで眺めて楽しむとして、それよりも成田空港に到着したガーシーが来ていたピカチュウのTシャツがフランスのブランドで、買えば6万円はすると知ってビビった。

この世に6万円のTシャツなんてあるとは、無知だったわたし。

Tシャツなんていくらいい記事を使っても6万円になる原価にはなり得ないし、デザインは京友禅のような手染めでなくプリントだし、それが6万円はすごい。

ピカチュウの版権もあると思いつつ、でもあのブランドのTシャツは自社のロゴしか入っていないものも同じように高額だった。

なるほど、ブランド化というのは成功するとすごいものだ。希少価値を生み出せて、高額で販売ができる。

しかし有名なブランドには有名になるまでになる「何か」があるもので、デザインだってやはりどこか個性的な「何か」がある。

そんなガーシーのピカチュウTシャツを見て、わたしもほしいと思ったのである。あれを今着れば、ガーシーで話題になったためネタにもできるし、目立てそう。

でも、6万はさすがに出す気にはなれず、それにもうあのTシャツはレアなものだから手に入らないだろう。

ところでファッションだけでなく、いろんなことに言えることだろうが、そこそこの安物を身につけると安っぽい人間に見えるものだが、ひとつだけでいいから極上の本物を持っている上でそこそこの安物を持つと安っぽくは見られないものである。

女でも男でも上質なスーツをひとつ持っていて、いざというときはそれを着ることができる上で気の抜けるちょっと安い服を着る。それだとOK。

着物だと極上の訪問着を持った上で小紋。着物は着たいけど金があまりないから小紋しか買えなかったとなると貧乏そうに見えてしまって、その小紋の品物がよくてもハレの一品を持っていない状態だと安っぽく見られる。

腕時計だってハイグレードを持った上でG-SHOCKならよろしい。

というのは、今でもダサいと思っているG-SHOCKをダサいと思いつつ、なんだかんだ言って一番よく使っている自分を見て、

「中心となる上質があって安いものが身につけられる」

を知ったからである。

わたしのG-SHOCKは、これが初代G-SHOCKというスクエア型のもので、

「G-SHOCKはこれでしょ」

と、G-SHOCK好きには基本中の基本。

しかし、わたしはG-SHOCKマニアではなく、ダサくて安物という認識に変わりはなく、昭和の80年代からデザインが変わっていないものを身につけているのはちょっと恥ずかしいと思っている。

値段も安く割引価格で17,000円程度であるが、これは世界一丈夫でどんな衝撃にも耐えることができ、灼熱のサハラ砂漠にも極寒の南極に行ったって大丈夫だろうし、200mの海に潜ることはなくても潜っても壊れない。

さらに電波時計だから時間が狂うこともなく、ソーラーだから電池いらずで一度充電されれば真っ暗闇の中に10ヶ月いたって使用できる。

台風並みの大雨でも気にすることもないし、汗で汚れれば水道でジャブジャブ洗える。

また世界時計も内蔵されていたわたしはパリ時間に設定していて、ストップウォッチ、タイマーももちろん使える。

ストップウォッチは毎日使っていて、愛娘の送迎に渋滞の具合がストップウォッチの進行で把握できる。

そして、初代と同一モデルは重量がわずか50gで軽く、楽なのである。

というわけで、ダサいと思いつつ実用性は抜群で、ダサくて安っぽいのにG-SHOCKを愛用してしまっているわけである。

しかし、それもグランドセイコーやブライトリングを持っているから普段はG-SHOCKを使う気分になるわけで、もしG-SHOCKしか持っていなかったらなんだか貧乏臭くて惨めな気持ちになっていたことだろう。

バッグもそうで、実はバッグが好きなわたしは長年使ってボロボロになったMIUMIUを引退させ、今はコーチをメインで使っている。

でもコーチはハイブランドとはではいかないと思いながらも、値段の割に材質もいいし、要するに使い勝手がいい。

この間は銀座にサンローランを見に行ったが、とても素敵でエレガントであったけれど、ガッチリしすぎていて正直これは使いにくいなと感じて、好きだけど現実的でないと思って買わなかった。

最終的には通りすがりで偶然見つけてしまった超絶個性的で、挑発的なバッグを買ってしまい、しかしまだ一度しか使っていない。

普段使いにはもったいないし、ところがこれを買ったことによって本命の主軸ができあがり、買ったはいいが開封していなかったコーチを気持ちよく使えるようになった。

コーチしかなかったらコーチしかない人に見られるが、背後に堂々とした主軸があるとちょっと安くても「普段はこれで十分だし」なんて心に余裕が出てくる。

つまり、一張羅でもいけないし、安物だけでもいけない。

極上な品物はカジュアルには重いし、嫌らしいし、場違いである。でもカジュアルの安物だけだと貧相に見える。

極上のワインの味はよく知っているけど、普段はテーブルワインで過ごす。そんな感じがいいらしい。

Tシャツだって着る分には安いものでもそれほど着心地に差はないし、バッグだって物が入ればいいわけだし、時計だってパテック・フィリップの示す時間もスマホの示す時間も同一である。本質だけを見れば安物でもいいのだけれど、人間の心はそうはいかないもので、安物で悠々と済ませられるには大きな浪費がなければならず、その行き着いたところが、

「これでええわ」

なのであり、それがないまま安物だと説得力がないものである。

それは自分に対してもそうだし、他人からどう見られるかにも影響する。

他人目線なんて気にしなくていいものとはいえ、貧相に思われて損をするシーンもある。そして逆に悪趣味な成金に思われるダサさもある。

それを考えると、いくら高級品でもブランドのロゴがデカデカとあるようなものは田舎の成金みたいでダサくて嫌らしい。ああいったものは田舎の成金向けに売上が立つからブランドもわざと作っているもので、自分の存在よりロゴがデカいのは情けないのである。

しかし、極端に値段が高いものは品質の値段ではなく、虚栄心を満たすための値段であるから悪趣味路線になる。

なので「ほどほど」がよろしい。押し付けがましくない程度で、

「あっ、それ素敵」

くらいに思われるのがいい。

そんなことを考えつつ、ガーシーが逮捕されるのをわかっているのに6万円のピカチュウTシャツを着ていたのがおもしろかった。

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