結月です。
「餅は餅屋」はその道のことは専門家に頼むのがいいなんて意味だけれど、専門家に頼まないほうがいいことも多々ある。特にそういう時代になってきた。
確かに技術的なことは簡単に習得できないから、アニメを作りたければアニメ制作会社に頼んでアニメーターという専門家に絵を描いてもらないといけない。素人がいきなりアニメの絵なんて描けるわけはないから。
ところが企画というものになると餅は餅屋でないほうがいい。
新しい餅を開発したいのに餅屋に相談すると、いわゆる餅しかできない。普通に美味しいかもしれないけれど、ありきたりで、すごく上手にできた餅が出来上がる。
でも、クオリティは良くてもありきたりなものでは新しい時代は生み出せないし、もしそれが斜陽産業ならばありきたりなものをもう一つ増やしたところで斜陽のままである。
餅屋になるほどその道を追求していると、世界が狭くなってしまう。職人的技は研ぎ澄まされても、内容としては閉鎖的で排他的になる。
であるからして、企画でもって新しいことをやろうとするなら餅は餅屋でないほうがよく、もっと違ったジャンルを勉強したりしてアイデアを斬新にしていく。
とはいえ、その業界で長年培ってきたものは数多くの失敗ゆえにいい方法としてできたものもあるから、そこは知っておくのはいい。そうでないと当たり前な失敗をしてしまうから。
でも、アイデアに関してはたとえ餅を作りたくても餅屋を参考にはせず、ゼロスタートで真っ新な気持ちで始めるのがいいように思う。
それはものすごく大変なことだけれど、そのほうが今まで見たこともない新しいものができるに違いなく、そうやって時代を変えていくほうがおもしろい。
日本人って教育のせいもあろうが、何かの正解をしっかりと理解し、それができることが優秀である評価がある。そしてその正解から外れたものは否定されやすい。
きっと日本の会社の仕事は既存の正解をしっかりとやることに終始していて、その正解をやめちまおうと思う人は少ないのではないか。
だから日本はずっと失われた年月を重ねていて、イノベーションとかうるさく言われたのもすでに死語になっている。
思えばイノベーションが最もないのは学校で、極度に閉鎖的環境であるから昭和のまま変わらない。
その象徴はランドセルだと思うけど、あんな伸び縮みしないで使いにくく、モノもたくさん入らないし柔軟性がないから持ちにくいし、しかも値段は高いしで何もいいところはない。それなのに小学生はランドセルという昔ならではの価値観がそのまま残っていて、小学生はランドセルである。
学校もそれをやめようとしないし、保護者もやめようとしない。
学校とか、あとは役場、そういったところは外部からの空気が取り込められないから旧態依然のまま。
いやいや、でも企業もそうか。大企業だって見ていると新しさは感じられない。クルマだって日本はまだガソリン車が普通だし、電気自動車は選べるほどもないし、買ったとしても充電設備が整えられていないから使えない。
それもきっと自動車の会社が電気自動車を作ろうとしているからであり、電気自動車なんて餅は餅屋に頼まず、異業種が作ったほうがきっと早い。
自動車の会社だとこれまでのガソリン車の流れを捨てられないから。その延長でしか電気自動車を作れない。
あと、餅は餅屋でなくていい理由は、餅を作るレシピがネットですぐに調べられるから。昔はそのレシピが手に入らず、秘伝であったから餅屋は大きい顔ができた。
なので、美味しい餅を作ること自体は本当に簡単になっている。
そうなると美味しいは当たり前で、おもしろいことが大事になってきていて、でもその新しいおもしろさもネットによってすぐに再生産されるから瞬く間に古くなる。
なので、一つのことをじっと長くやるのは無理な時代で、短期的なものを変化させながら前に進むしかない。
老舗とか、そういうこれまで長く続けてきたところが駄目になっているのはそのせいである。
とまあ、そんなことを考えながら毎日を過ごしている。
新しいもの、見たことがないもの、やったことがないもの、そういうものにだけ興味を向けている
すでにあるもの、閉鎖的世界でレシピができあがっているもの、そういうのは要らない。
なので、古い体質の人たちからは嫌われたり、悪口言われるのがいい。それがあるなら自分は新しいことができている証明だから。