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漫画村の星野ロミはおもしろい!

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結月です。

数年前に話題になった漫画村、その運営者だった星野ロミがYouTubeの「街録ch」に出ているのを見て、

「この人、おもしろいわ…!」

と、感激したわたし。

彼は天才。天才やわ。

漫画村の運営者として逮捕されるんじゃないかというときに出回った写真ではものすごくデブだけれど、出所後はその体重も半分以下になってスリムになっている。どうして太ったかというと、食事は出前ばかりで食いまくっていたかららしい。

プログラマーとしては18歳から独学で始めたというのもすごい。スタートも遅いのに漫画村というシステム、実はそれ以前にもサイトを作っていたらしいが、その発想力が誰もが考えないこと。

漫画村は違法ではないという主張は、なるほどそういうことかとインタビューを聞いてわかった。

リバースプロキシなるやり方らしく、つまりすでにネット上に出回っている漫画データを漫画村に集めただけで、漫画村のサーバーには保存していない。このやり方が斬新で、確かにこれが駄目だという法律はない。

ただ、一緒にやった誰かが少しだけサーバーに保存していたなどがあったようだが、本人としては違法ではない。

著者や出版社に金が行かないという道徳的な問題は法律とはまったく別のもので、それをどう思うかは好き嫌いの問題かもしれない。

しかしこういったものに道徳的な批判をするヤツっていうのは、おもしろくない人種に決まっていて、平凡な人に違いない。そういう小さなモラルみたいなものを気にしていてダイナミズムが出るわけがないから。

星野ロミはインタビューで、

「予想外なものに人は感動する」

と言っていたけれど、それは本当にそう思う。だからこそ、モラルなんて気にしたり、こんなことやっちゃっていいのかな…とまず人目を考える人は感動を生み出せない。

誰もがやってないことをやる。誰もやってないことを考える。これは発明家の発想で、だから誰かの真似をしていると発明は生まれない。

感動を与えたいなら、誰かがすでにやっていることはやらないこと。二番煎じは嫌だと生理的に思うこと。そういうスピリッツは必要なのである。

帰国して国会に出るかどうか現在話題のガーシー。ガーシのこともわたしは好きだけれど、それは今まで社会では見たことがないキャラだから。モラルなんてどーでもいい。

彼がやっていることがモラル的にはどうかは知らない。興味ない。でも暴露で一世を風靡し、国会議員にまでなった、しかも無一文の状態でドバイに行き、そこからわずか数ヶ月で選挙に出る物語にわたしは興味がある。

なので、ガーシーのことになると眉を潜めたり、悪く言う人って、

「つまんねーやつ」

と思う。

見たこともないモンスターに対して、社会のちっぽけなモラルで評価しようとする姿勢、そういうのってつまんねーんだよね。

そういえば、ずっとガーシーのことをシカトしていたテレビが最近になってやっと取り上げるようになり、コメンテーターなど一律にガーシーを悪く言っている。というか、ちっぽけなモラルっぽい言い草で批判を始めた。

思うに、ガーシーを批判するって、きっと自分にバラされると困るネタがあるに違いなく、だから願わくばガーシーみたいな人間はいないほうが助かるのだろう。

しかし、漫画村の星野ロミだって、ガーシーだって、自分の負の側面を隠さず話せる気持ちよさがある。普通なら恥ずかしいような自分の黒歴史もサラッと言える潔さがある。自分の見栄のために嘘をつかない。

意外とちっぽけなモラルっぽいことを言う人って、そこに潔さがない気がする。

自分としては知られたくない恥ずかしいことも、実は他人が聞いたら結構つまんないことであるケースが多い。それを自分の中で過大に膨らませて勝手に恥ずかしがってる。

そもそも他人が聞いてびっくりするようなネタなんて凡人が持っているわけはなく、だからこそ星野ロミみたいに世間を騒がして捕まっちゃったくらいの人でないとおもしろくない。

とまあ、他人をどうこう言うのに限って、

「いや、あんたがつまんねーし」

と、言いたくなる。

そして同時に平凡な社会は「やらかして」くれることを熱望している。

マスコミはその典型で、マスコミに携わると言うことは、あんたが平凡だからマスコミの仕事をしているわけで、だから「やらかして」くれた人を探して、それを大袈裟に報じたりして飯を食う。

さて、星野ロミのインタビューを見て、ずば抜けた発想力でプログラムすることを学ぶ。

プログラミングはある目的に向かって、最短でバクなく到達できる方法や行き順を考えるわけだが、そういう才能はまだまだ自分には足りない、と思う。

ずっと芸術系で魂とか、感性とか、思いで生きてきた時間が長かったから、理知的な合理性が自分には欠けていた。言ってみれば、わたしは左翼リベラル的だったのである。

であるからして、芸術系、あとは文学系なんかは左翼リベラルが多いのであるが、そこには理知的な合理性が乏しいから選挙でも政策力がなくて「思い」によって文句言うだけなところが多く、だから選挙に勝てない。

これはビジネスや商売も同じで、感性や思いだけではうまくいかない。

わたしは銀座で商売を始めて、やっとそのことに気づけたことがよかった。そしてコンサートを主催して、音楽は感性だけでは成立できない事実を知った。

今まで自分になかったプログラム的な考え方。それは2015年に堀江貴文さんに会ってから得るようになった。

芸術的な感性だけだとブヨブヨの肉しかないんだ。そこにはしっかりと骨格がなきゃいけない。理知的な合理性、目的のための問題解決思考、そういったものが骨格にあった上で肉がつかなければならない。多くの芸術系は骨格でしっかりと立つことを避け、肉だけを増やそうとしている。

であるからして、わたしは6歳の愛娘にも4歳の頃からプログラミングの元になる教材で教えている。この力があれば、大きくなって面倒なことに直面しても問題解決できる。決して問題を情念で捉えるな。

さて、社会を動かしていく新しさは得てして最初は怪しく見えるものである。信用されないものである。なぜなら、それは既存のものでないから。見たことがないものを素直に認める人間は少ない。

星野ロミは社会を変えるようなシステムを作るかもしれないし、ガーシーは新しい国会議員像を見せ、国会の風景を変えるかもしれない。

そんな可能性の中におもしろさがある。

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