結月です。
ものすごく暑かった今日は東京でレッスンをしていると、
「今日は暑いですね〜」
と、訪れる生徒が毎度異口同音に必ず口にして部屋に入ってくるので、さすがに同じことばかり聞かされる身としては、
「そんなこと、わざわざ言わんでもわかる」
という気分になってきて、暑さの話題については返事をしなくなる。
とまあ、人の目線、人の体験というのはこのように人それぞれのベクトルでしかないから、わたしが「暑いですね」ばかり言われて正直うんざりしている件については他者からは見えないもので、暑いところを歩いてきた主体にとってはそれが重要なことであるから、
「今日は暑いですね〜」
と言いたくなる。
そう言葉を発することで暑さというストレスを解消するのはため息と同じ効果があって、いわば動物的なのかもしれない。
とはいえ、
「こんなクソ暑い中、レッスンに通ってくれるみんな、ありがとうな。おおきに」
と、ガーシー風に言ってみる。
そんなガーシーは伊丹市出身であるらしいけれど、わたしはガーシーのことを知るまで伊丹市は大阪府だと思っていた。大阪国際空港は伊丹空港であって、学生の時は年に何度も利用していた。空港バスで梅田まで行って、そこから地下鉄御堂筋線で淀屋橋まで行き、そこから京阪電車に乗って実家まで帰っていたのである。
伊丹空港は大阪国際空港で、しかも梅田まで行っているのだから大阪だと何の疑いもなかったわたし。地図もあえて見る機会もなかったからずっと大阪だと思っていた。しかし、伊丹市は兵庫県だった。
兵庫なのに大阪国際空港というネーミング。これは東京ディズニーランドが千葉にあるのと同じじゃないか。
ともかく今頃になって伊丹市が大阪府ではなく兵庫県だったことにちょっとした衝撃を受けている。
ところでNHK党の立花さんはこのクソ暑い中、銀座と渋谷で演説をしたらしい。銀座ではガーシーポスターを無料配布したということで、わたしもまだ銀座にいたならポスターもらえたのにともはや思い出となった銀座を想う。
そして渋谷ではドバイのガーシーとSNSで通話しながら聴衆がガーシに質問できてリアルタイムで応えてもらえるというのをやっていておもしろかった。そういう試みは国政選挙では初めてであろうし、ネット時代に選挙カーで名前を連呼し続けるのも古いように思う。
そんなアナログな選挙活動だから選挙には高齢者ばかりが行く結果に違いなく、考えれば当たり前のネット活用がやっとなされたのだから遅れている。
ガーシーの人懐っこさと人たらしなところが受けていて、政治っぽくないのがいい。
であるからして、当選するとおもしろい。政治っぽくない正直さが新鮮で新しいスタンスになるであろうから。
と、投票用紙が来ていて、いつもならそれは下駄箱に上に放置したまま結局行かずに捨ててしまうものであるが、今回はガーシーがいるからわたしとしては初めてそれをバッグに入れてある。気が向けば「ガーシー」と書いて出せるようにするためである。
と言っても、わたしの選挙無気力が相変わらずであるから、下駄箱がバッグになっただけで同じ結果かもしれない。でもガーシーのことは応援している。
Twitterを見ると、わたしみたいに今まで選挙に行かなかった人たちがガーシーに投票し始めているようで、やはり政治の嘘臭さというか胡散臭さが嫌だった層はガーシーには入れようと思うのだろう。
でも同時に政治参加する立候補者が胡散臭いのは昔からであれど、投票する主権者たる国民も胡散臭いのは多いわけで、世の中には、
「気持ち悪っ!」
という変な人が大勢いて、どっちもどっちであるのが民主主義である。
と考えると、投票という政治参加をしない無関心派こそが実はまともなんじゃないか、そこには関わりたくない美意識みたいなものがあるんじゃないか、と自己正当化してみる。
ガーシーの政治色のなさは、
「俺が国会議員になったら、ニッポン、ぶっ壊したるから。そうやって風穴開けなあかん思うデ、まじで」
なんていうパンクというかロックンロールなところが魅力になっていて、
「皆さんの生活をお守りします!」
だとか、
「ジェンダー平等を訴えかけてまいります!」
なんていう嘘くさいものよりパンクな叫びで頼もしい。
ちなみにわたしがクラシック音楽業界に不満があるのは、クラシックやってる人ってやってることが内向きすぎて自分たちの音楽で何をしたいのかっていう外向けのパンク精神が乏しく、売れない純文学みたいなところに終始しているところ。
音楽そのものはそれでいいとしても、アプローチとして何とかなんないかなって思う。だから、ジェネオケっていうプロオケを新設したわけだけどね。
ギャラもらっていい演奏して終わりってのでなく、
「俺たちの音楽を聞いてくれ!」
みたいなロックな兄ちゃんにあるハングリースピリッツがクラシック演奏家にほしいと思うよ。
だから演奏者一人一人がロックなスピリッツを持ったジェネオケを創りたいって思ってる。そして、お客さんも、
「今日の演奏はまあまあだったね。第二楽章のテンポがちょっとって感じはあったけど…」
みたいな斜め上から目線の見方をやめてもらって、ロックコンサートにやってくる熱いお客さんみたいにバンドを応援するような一体感があるといいなってね。
つまり、客がスノッブであるのをやめさせたい。
というわけで、ジェネオケプロデューサーのわたしはまず自分自身がロックな精神で生きなければと思う。でも今までも着物やったり、十分ロックンロールだったとは思うけれど、それ以上にね。
「どぶねーずみ、みたいに。美しくなりーたい」
これはロックだね。
クラシック音楽ももっと訴えかけないとだめだよ。そういう意味で音楽は芸術にしちゃいけないって気がするよ。
とまあ、今一押しのパンクロックはガーシーだね。