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減量したら脚が細くなった当たり前。

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結月です。

1月末日からの急遽減量開始。丸4ヶ月というところでマイナス13kgゾーンを航行中。減量は最初は深海に潜り込んでいくようであるが、順調にそれが習慣化されると航海をしているような気分になる。

しかし、この航海に「寄港地」は要らない。目的地しかないわけで、この体重までと決めた目的地以外にはどこにも立ち寄らない。少し痩せたからといって、気を抜いて「自分にご褒美」的なことはしてはならないのである。

とはいえ、減量の成功者は体重を落とすことが快感になるので、そんな寄港地に立ち寄ろうとは思わない。どんなご馳走を見ても興味なし。食べたいとも思わない。それよりも自分がスリムになった姿を見ることに価値がある。それも一日でも早く。

さて、4ヶ月でマイナス13kgはわたしとしてはちょっと不本意で、4ヶ月でマイナス20kgは達成させるつもりだった。しかし、基本クルマ生活で、歩く距離と言えば一日100歩もない。運動はエアロバイクにだけ委ねられているから、日常の中に歩く運動量がないのである。

やはり東京のように自宅から最寄駅まで歩き、そこから階段を登りホームに立ち、着いた駅ではまた乗り換えのために路線を乗り換え、さらに歩いて駅に着けばまた会社まで歩くといった運動があるのがいい。

それがたとえ満員電車だとしてもこうした通勤は実は健康的なのである。それは田舎のまるで歩かないクルマ生活をすればその有り難みがよくわかる。

であるからして、リモートワークはほどほどにして、積極的に電車に乗ってリアル通勤するべきなのである。コロナ太りなんかでデブになっている場合じゃない。コロナなんて昔の話だから、そんな昔に身につけた脂肪は電車通勤で燃やすべし。

というわけで、電車に乗らないわたしは歩かない分、減量速度が東京にいた頃よりも明らかに低下している。

それは仕方がないとしてもマイナス13kgゾーンとなると、脚が細くなっていることに気づく。特に太ももで、BMIでガッツリ肥満度であれば太ももがゴツくなる。それがスッキリとする減量効果。

わたしの場合はそれでもまだBMIで普通体重にあと0.2ポイント足りない。しかしながら、ここまでくると目的地が見えてきて、あと5kgくらい落とせればいいかなと思っている。

あと5kgがどの程度の体型がよくわからないので、それは自分の体という現物を見ながら進めていく。

現状だとBMIで示された通り、腰のあたりはまだ余分があるわけで、これを片付けたい。

しかし、こんなに自分の体って小さかったんだと思う。とどのつまり、そこまでデブってた栃木生活。

さて、BMI、すなわち体格指数は「肥満度」と表現されるが、わたしとしては「デブ」と言われるのは受け入れられても「肥満」とは言われたくない。

「デブ」はまだ愛嬌とユーモアがあって、デブなのは事実だからそこにルッキズム批判を交えるのはダイエットできない精神の甘さがあるだけだと捉える。

ところが「肥満」という言葉の響きはいやらしくて、何やら病的であるし、言葉にユーモアが入り込む余地がない。

というわけで「デブ」と「肥満」は内容は同じであっても「カジュアル」と「フォーマル」の違いがあるようで、肥満と言われれば病気の発生を覚悟する。

あとは肥満は自分の不摂生をストレートに言われるような気がする。

「あんた、デブだからさ」

には、

「うるせえ!」

と反抗できても、

「君の状態は肥満です」

と言われると、言葉に詰まる。

肥満にはデブという言葉のように罵声の中にある愛情が入り込まないから、言われると辛いものである。

であるからして、優しいわたしは肥満には「デブ」と言うことにしている。

「あんた、デブなんだから痩せなよ」

というように。

だからBMIも「肥満(1度)」なんて嫌らしい言い方はしないで「デブ(1度)」にすべきである。

さらに健康診断でもメタボであれば、肥満とは表記しないで「デブ」にするのがいい。そして診断結果には「痩せることが望ましい」なんてのもやめて、

「デブだから痩せろ」

と表記する。

そもそも人間が「痩せることが望ましい」なんて遠回しな表現をされて本気で痩せようとなんか思うわけがない。医療機関から「デブだから痩せろ」と言われればちょっとはマジになる。

しかし、太り過ぎているといろんな病気を発生させることは確定的なのだから、減量を促すように積極的になるべきなのである。

それでもダイエットはできる人間とできない人間がいる。できない人間のほうが比率的には多いわけで、そこにはどう伝えても無理ゲーといった感じはある。

糖尿病だって同じで、糖尿病なのに食事制限ができない人は多く、だから糖尿病は減らない。

さて、減量に成功して痩せてくると昔の服が着れたりする。それも10年も前、下手すると20年前の服だったりするのであるが、そうなると過去にタイムスリップした気になる。当然、自分が若返ったようにも錯覚する。

デブになるまでは日々の食糧過剰摂取と運動不足あったわけで、それを帳消しにすると「あの頃」が蘇るのである。

わたしはあまり過去に価値を置かない人間であるが、それでも昔の服が着れると新しい服を買わずに済んだと金銭的なお得感を得る。

無論、痩せたから新しい服を買おうというのもいいわけで、その際はちょっと上等な服を買うのがいい。そこに金を投入するとその服を無駄にしたくないという思いが芽生え、もう二度と太らないと決意できる。

というわけで、デブ状態であるなら痩せる。痩せるといいことが多いという事実。

体調はいいし、金はかからないし、服も選べるし、コンプレックスもなくなる。

今から考えるとデブに至った食生活は人間として最悪そのものだったと振り返る。

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