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関西関東

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結月です。

クルマの中でYouTubeで歌を聴く。それはやしきたかじんの「やっぱ好きやねん」。改めて聴くと、たかじんはそれはそれは歌がうまくて、ジーンと来る。

「そこまで言って委員会」など政治的な主張などは根拠も合理性もなく、昭和的乱暴さで見られたものでなかった。大阪のローカルだから許される内容で、在京キー局では無理なほどひどかった。

でも、たかじんの「やっぱ好きやねん」を聴いて、関西弁というのは情念の言葉なんだとわかった。合理性なんかじゃなく、感じるままで、義理人情。大阪の人が東京に来て口を揃えて、

「東京の人は冷たい」

というのは、東京は合理的だし、それゆえにドライだから。

だからこそ、今は東京のほうがビジネス的にも栄えていて、情念的な大阪は景気が良さそうでない。情念はビジネスに邪魔なのだからどうしてもグローバルになりにくい。関西圏だけにしか通用しない情念だからそこから外に出られないし、東京からはちょっと受け入れ難い。

でも、関西の情念的なものは非合理だから根拠のない「こうしたい!」が生まれやすく、それはそれで思いは強くなる。東京のほうがそこは弱く、でも合理的だから技術などは発展する。ところが技術だけで色気が薄いというか、おもしろさみたいなものは関西のほうがあるような気がする。

東京弁で「やっぱ好きやねん」は表現できない。

あの愛情や情念は関西であるからこそで、

「ええやん、そんなこと」

と、問題も情念的な優しさで流してしまう。

退任が決まった吉本興業の大崎会長。会長とイエール大学助教の成田悠輔さんの対談がYouTubeに上がっていて、全部見た。


www.youtube.com

1時間以上あるけれど、大崎会長がだらだらと一方的に話す対談だが、これを見て大崎会長の人柄もよくわかったし、

「関西と関東だな」

とも思った。

大崎会長の浪花節的な義理人情。芸人とは契約書はない方がいいという考え方も大阪的で、気持ちはよくわかる。

闇営業の宮迫さんだけは許さなかったのも、会長が大事にしている義理人情の逆鱗に触れたからで、正直に、

「すんません、金もろてました」

と最初から言っておけばああはならなかった。そんな会長の性格を宮迫さんは捉えられていなかっただろうし、急に騒がれたせいで焦りすぎて保身に邁進したのがまずかった。

でも今は会長のような関西的な情念は流行らなくて、合理的にドライな時代である。

じゃあ、それで今後うまくいくかというと、きっとどこかで人間は疲れる。

「ええやん、そんなこと」

で済ませる人情的な優しさがまたいつの日か舞い戻ってくるように思う。

今はなんでも一見合理的に重箱の隅をつつく。合理的な攻撃。そういうのは誰しもがブーメランで戻ってくる。なぜなら、人生ずっと潔白な人間なんていやしないから。

だから、関西的な度量の大きさで許せる社会があっていい。

「しゃーないな、あんたは」

「わかった。もうそれ以上は言わんでええ」

「もう気にせんでええ」

「心配すな。なんとかしたる」

「ちゃんと面倒みたるがな」

「そんなん、言わんでええやん」

「あんただけちゃう。みんなおんなじや」

といった具合な非合理的な優しさ。

そんないい加減さで同じ過ちばかり繰り返すのはいけないし、責任の所在を曖昧にするのもいけないけれど、ちょっと今は合理的に理詰めなクレーム社会じゃないかな。

やっぱ好きやねん。悔しいけどあかん、やっぱ忘れられへん。やっぱ好きやねん。

そもそも人間は合理的でもあるし、非合理でもある。そして非合理さの中で芸術が生まれたりする。

いい加減はあかんけど、大らかさはあっていい。

さて、実は上方の人間であるわたしはこういうことを言いながら、関西弁は喋ろうと思わないと喋れないし、喋ってみるとあまりにもアイデンティティに反していて自分で気持ちが悪い。だからもう自然には話せない。演じるようでないと話せない。

それは言葉は人間の精神が生み出しているからで、わたしは関西的なスピリッツがもう半分以下になっていて、東京のほうが性に合っているせいである。

とはいえ、ちょっと義理人情もあって、例えばモノを買いに出かけたら必死にセールスしてくる店員には、

「ノルマもあって大変なの、ようわかる」

と、買ってあげたらその人の成績アップにつながるなと思って買ってやることがある。

行きつけの店ができたら浮気はしないで通い詰めたり、よくしてくれた従業員には特別に接するのも浪花節な義理人情があって、そうしてしまうのである。

サービスを合理的なものと捉えたら無駄なことだけれど、人間同士の付き合いで、

「どないしてる?」

と、店を訪れたり、その従業員を指名したりするのはいいんじゃないかと思うからである。

それに買い物でもよくしてくれた、例えば商品説明を懸命にしてくれたとか、おかげさんでええもん買えたと思えたら、その従業員を大事にしようと思う。

だから、実店舗で現物を見て、店員から商品のことを教えてもらって、後でネット検索して値段が安いからAmazonで買うとか、そういうのはわたしは好きでない。多少高くても自分によくしてくれた、頑張って説明してくれた店員から買いたいと思う。

そうすると、買った品物を使うときもその店員の面影も感じられて、ええ買い物したなって気持ちよくなれる。

それゆえにわたしのほうが販売する立場のときもそうした情念を大事にしたいと思ってやってきたが、そこは大事に考えていないお客さんも多々いて、やっぱり気分が悪い。

なんやねん、あれだけ話聞いといて、Amazonで買うためのネタかいな。

本当はそこはドライに割り切って、もっと合理的に商売したほうが儲かるに違いないけど、そこまではできない。やっぱりこちらが提供するものを大事にしてくれるお客さんと付き合いたいし、そういう取引先と仲良くしたい。

せっかく大きな取引したのにその後がちゃんとできない業者もよくある。そういう担当者は結構いる。

でもわたしは大崎会長のようにああいう関西的な感性ってあったほうがいいように思う。合理的価値観から見ればものすごく面倒で、無駄で、ダラダラしているように見えるかもしれないけれど、人間はドライすぎるとそれはそれで辛いものなのである。

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