結月です。
昨晩、20年以上ぶりに大学のときの友達と電話で話した。今度、わたしが熊本に行くときは会おう。
やはり大学の年頃は感性が鋭い時期だから、その時代の友達というのはちょっと特別なものがある。若かったがゆえの艱難辛苦を一緒に過ごしたからだろうか。
と。そんなわけで20年以上分の積もる話になるのだが、
「今、どうしてんの?」
というのは共通項。そして、
「あれからどうしてたの?」
と、離れ離れになった以降の歴史の話。
お互いそこは知らない時間だから興味はあれど、今どうしてるのかといことは話すのが面倒というか、これって過去の話なんだなと思った。
つまり、今やっていることはすでに過去。今この瞬間は過去になっているのだから、現状の話はそんなにおもしろいものでないんだな。だからこそ、本当の過去の話、3年前とか10年前に何をやってたかなんて、もう取り戻せないし、思い出化しているのでそこから何かが生まれるわけもなく、発展することもない。自分の中で済んでしまっていることは興味がないから、自分の過去を話しても意外とつまらない。
それよりも「これから何をしたいか」という未来の話が楽しい。
わたしは夢段階とはいえ、将来は「ジェネオケ・クリニック」という病院を設立したいと考えている。そういう方向に行けたらいいなと思っている。
それは演奏家たちが末長く音楽ができるように健康維持のために集え合える場所であり、演奏家だけでなく一般の生活習慣病予備軍、及び患者もケアできる病院。
病院設立の方法などまだ全然調べていないから具体性はなく、だからまだ夢段階であるけれど、その方向性を見つめながらコンサートを重ねていって資金面や人脈が広がって実現の可能性が見えてきたところで設立の具体的な方法を調べる気になるだろう。
とまあ、旧友には、
「将来は病院を設立できたらおもしろいんだよね」
っていう未来の話をした。
学生時代の話を振り返して、
「あの頃ああだったよね」
なんてのは振り返ったら終了でそれ以上話題は広がらない。だって過去のことだからそれ以上の情報がないから。なので、懐かしさは10%くらいにとどめて、自分がこれから何をしたいかを話したい。
そんな未来の可能性のトークのほうが聞いている立場だってエキサイトするし、生き生きとする。
未来と言っても、定年を見据えた話とかは将来性がない未来で、可能性がある生き方がいいよね。
とはいえ、大学を共にした仲間には腹を割って話せるところがいい。わたしたちはもう一緒いないし、互いに遠くにいるから何かまた一緒にやることはないけれど、もし今後辛いことがあったり、眠れないときがあったら電話頂戴。わたしも暇なときは電話するよ。
離れているから深入りすることもないから、時々ね、一年に一度か二度か、それくらいちょっとしたニュースがあってもいいんじゃないかな。
ともかく、現在の話は過去の話相当。今何やってるかなんてもはや過去なんだ。そう思えるスピード感でやっていくことにする。