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マスクされると名前を覚えられない。

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結月でございます。

マロオケ専用ダイヤルとしてガラケー、正確にはガラホを持つようにしたのだが、今って携帯ストラップなるものは売っているのだろうか?

昔は何かの景品が携帯ストラップだったりで、買わなくても手に入った。

これからチケット申し込みを受け付けるため、外出時もガラケーを首から下げておこうと思っているから、長いストラップがほしいわけである。

いつしか時代の流れでなくなっているものがあると、ひょんなことから浮き上がってくる。

と、そんなチケット業務は大変なもので、座席に間違いがあってはならず、それも数が1400席、チケットトラブルをゼロにするため神経を使う。

まずは座席を配分するのであるが、わからないことがあったので、チケットぴあ東京本社に電話してみると、

「本日は在宅勤務です」

と、留守電だった。

それは男の声で、昨今、カーナビの音声案内の声が女であるのは性差別であるから男の声でもあるべきなんて話があるが、やっぱり案内の声は女の声が適切で、要件があるのに男のダミ声で留守電だとちょっとムカついてしまう。

これは性差別ではなく、本質的な差異の話だから在宅勤務を告げるにはそれに適したきれいな声がいい。

ワクチンは自由意志だから打たない気持ちを尊重なんて話だとか、やたらと自由や平等を前に出す風潮があるけれど、それは本質を無視した根っこが浅くて偽善的な自由や平等であるからたちが悪い。要するにちゃんと考えてないなんちゃって自由と平等が跋扈していて困るわけである。

しかし、ぴあも代表の電話を留守電にするほど一斉に在宅にする意味がよくわからない。社員の半分ずつで交代でやれば問い合わせに誰かが答えられるし、一斉在宅を週に何日か入れたところで感染防止に関係があるのだろうか?

と、行為の根拠がデタラメなことがコロナ禍では多く見られ、根拠を元に行動する人とそうでない人がいることが可視化された。

ところで4歳の愛娘が通う保育園では今月にも保育士がワクチン接種をするらしい。これが1回目だから2回目を終えて2週間、つまり8月下旬には保育士の免疫ができあがる。

ワクチンが完了したらマスクを外してほしいと思う。マスク姿は小さな子供の精神状態にはいいようにはならないからで、幼児期に相手がマスク姿というのは人間不信など成長期としては悪いことばかり。

今年の4月から年中になり、担当の先生も変わったのだけれど、その4人の名前が今もわたしは覚えられていない。

もともと記憶力があまりなく、さらに興味がそれほどない人の名前は覚えないかすぐ忘れてしまうわたしではあるけれど、コロナ以前の担当の先生の名前は全部覚えている。

つまり、マスクで半分以上覆面をすると、名前を覚えないものだとわかった。

顔のほとんどが隠され、目元とおでこくらいの情報では顔を認識できない。顔の情報が乏しいから名前が合致しないため、なるほどこれでは名前はますます覚えられない。

名前も覚えられないから、人間関係が深まることはなく、な〜んとなくな付き合いになってしまう。

マスク顔しか見たことがない相手を信用するのは難しく、公的なサービスや大手企業の窓口などでの契約ならバックグラウンドがしっかりしていていいけれど、個人間でのやり取りとなるとマスク顔で信用しろというのは無理な話。

とまあ、コロナは人間の物理的距離を取るだけでなく、顔を隠すことで信用みたいなものを築きにくい距離感も広めたことになる。

ともかくもワクチン接種が進まない限りはコロナ禍は終わらない。逆にいえばワクチン接種が国民の6〜7割に達すると呆気なく終わる。

しかし、日本は爆裂なスピードでワキチン接種が進んでいるけれど、2回接種で2週間後となると5週間は必要になるため、オリンピックに間に合わない。

ちょうどオリンピック開催期にドンピシャで感染者数が増える予測で、それはオリンピック開催に関係なくそうなることであるから、その結果、無観客の方向に流れるなら結果オーライになるとも言える。

だから、緊急事態宣言中にオリンピックというのが実のところ一番安全とも考えられる。

と、そんな予測をするのは公演があるからで、チケットの売れ行きに影響するだろうし、そうなるとどういう売り方をすればいいかもアイデアを出さないといけない。

なので、情を排したファクトだけで予測する。希望的観測は禁物で、同時にリベラル的ないつもマイナス思考な悲観論も病的であるから禁物。

と、今日も東京都が発表する都内の最新感染動向をサイトで見ていた。

この東京都のサイトは内容がかなりしっかりしていて、モニタリング項目も時系を追ってちゃんとグラフ化されている。

こういうのを見ると、都庁の公務員はちゃんと仕事してるんだと感心してしまう。

しかしながら、悲しい哉、いいものに限って見られず、テレビのインチキコメンテーターなどのいい加減な解説が見られたりする。

つまり、ちゃんとしすぎているから大衆には相手にされない理屈があって、それがきっちりと事実だけが明確に書かれているせいでテータを汲み取る気持ちがないとただの数字にしか見えないからである。

これは東京都だけでなく、どの行政のサイトを見ても同じで、行政だから色っぽい書き方ができないがためにせっかくの情報がシカトされてしまう。

そして、ワクチンが怖いとか気分で感じるものを行動原理にしてしまう人に限って、厚生労働省のサイトは見ない。

コロナ情報に限らず、役所のホームページはよく読めば有益なことがかなり書かれていたりして、意外と日本は福祉国家としてちゃんとやっている。

そういうことを見ないで、弱者に厳しい社会とか言ってしまう批判ばかりの左派があるけれど、いやいや日本は結構、社会的弱者には優しい国なのである。

ともかく、コロナに関しては情念はあってはならない。更新され続けるファクトだけで判断すべきで、正しい情報はテレビではなく、公的機関のサイトにある。

安心と安全はまるで違う。

安全は科学的なファクトに基づく結論。一方、安心にはガセネタが集まる。なぜなら安心は根拠のない情念に過ぎないから。

だから安心を強調するところには嘘が発生するものである。

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