結月でございます。
昔だったら映像を配信するなんてテレビ局に入らなくてはできなかったし、あとは膨大な予算をかけて映画を撮るなどだった。ところがYouTubeが出てきて、動画編集のソフトも素人でも使えて、しかも高性能、であるから動画を個人が出せるようになった。
デジタルカメラの進歩も凄まじく、iPhoneでもかなり高画質。わたしが今村昌平の映画学校にいたときは16ミリのフィルム撮影をやって、露出を計測し、レフ板を当て、重いフィルムカメラを扱っていた。
そのフィルムを現像し、編集するのだが、コマを送りながら停止し、それをハサミで切ってテープで貼り付け合わせ編集をする。
とまあ、そんなことをやっていたが、それよりも高画質、精密度で撮影&編集ができ、動画が身近なものになった。しかもそれをすぐに配信できる。
つまり、映像というものが日常的なほど身近になった。
さて、そんなYouTube、どうもやればやるほどその人は下品になるようである。なぜなら再生回数を目指してしまうからで、悪ふざけで目立とうとするし、大袈裟にもなるし、ワクチン陰謀論みたいなフェイクまで出てくる。
人の日常的な姿はきれいなものでなく、だからそういうものは本来隠してきた。でも今はそんな日常を曝け出すことで親近感を演出する。
YouTubeだけでなく、FacebookなどSNSも同じだが、それなりの人が日常を見せる。飲み会の模様、何を食べたかの食べ物写真、転んでできた痣の写真などなど。
わたしは人の日常は興味がないし、あまり見たいものでないからFacebookで友達たちの投稿を見ることがない、というか敢えて避けている。要するにガッカリしたくない。
それにSNSは世界が広がるツールだと思われていたら、実際のところはタコツボ化ツールだったわけで、同じ趣味嗜好の人たちだけが集まるもので、まるでブラックホールである。
だから、Twitterもそうだが、そうしたSNSは告知を広めるにはある程度役になっても、そこから先、例えば売上や収益を上げるというビジネスには全く役に立たない。しかも告知もタコツボの中だけにしか知れ渡らないからアクセスや再生回数がたとえ多くてもそれらはただの身内に過ぎない。
わたし個人としてはTwitterは自分の異なる人間の投稿を眺めたりするもの。自分とは違う価値観を見るにはいいからだが、そういう使い方をする人は圧倒的に少ない。
ともかくそんなSNSやYouTubeだが、再生回数を目指す時点でその人の日常や大袈裟を見てしまうとガッカリしてしまう。それくらい下品になるからである。
秘すれば花というが、秘密であるからこそ価値があって、キムタクが今もすごいのは彼の日常は一切見えないからである。
憧れを抱かせることは大事で、それがあるからこそ金を払ってでもライブやコンサート、映画館に行きたくなる。
それが今はそこに来てほしいという思いから過剰に動画を配信したり、日常を曝け出すものだからそのアーティストに価値がなくなる。なんだ、自分と同じおっさんじゃないか、おばさんじゃないかとなる。自分と同じ程度のものに人は金を払わない。
動画であらかじめそんな日常を見てしまうと、どんなに成果がある人でも会っても緊張はしない。もしヒカキンに個人的に会えるとしても、
「あっ、どもども」
と、いきなり知り合いモードで話せそうである。
まあしかし、動画を見てもらおうと思うと下品になる。上品なものには人はあまり興味を示さないから。それはマスコミが常にネガティヴなものを積極的に取り上げようとするのと同じで、だからこそ昨今ではコロナのネタも連日大袈裟に取り上げられた。
大袈裟になると事実から離れていく。事実はあったとしても伝え方に演出が加わるため、事実が脚色され、いつしか陰謀論にまで到達する。
そういうことを個人がYouTubeで垂れ流すようになったからか、なんとなく社会が下品だなと思う。ドッキリによる騒ぎ方など典型だろうか。
とにかく、日常を見せるとその人に価値はなくなるし、再生数を求めるとその人は際どいネタを扱ったりして下品になっていく。
もちろんすべてではないが、そういう傾向が強い。
自分が食った飯なんて写真に撮って不特定多数に見せるなんて下品の極致だと思うが、結局のところそれを下品だと思うか、おもしろいと思うかの差で、こればかりはどうしようもない。
しかしながら、ここまで個人の日常が氾濫していると、今度はフォーマルなものが求められるようになる気がする。
日常は決して見せないで、フォーマルな場でしっかりと見せる。でもそれだけだと堅苦しいから、そんなフォーマルの裏側は全体の数パーセントだけごくまれに見せる。
そんなバランス感覚を考えていて、誰でも知ってる吉野家の牛丼ではなく、その場に行かないとどんなものが食べられるかわからないものを提供する。
そしてSNS投稿はお断り。SNSはたとえバズったとしても現実的な効果はほとんどない。バズった自宅の猫動画が何か収益を出すわけがないのだから。再生回数はほぼ無意味。そうでなくしっかりと考え、注目してくれている人を確実に集める。
秘すれば花。
SNSとYouTubeの日常曝け出しカルチャーの逆を行く。
いや、そんな下品にうんざりしている鬱憤が社会にはあるはずだから、秘すれば花は時代に逆行しているのではなく、時代のこれからとなるものじゃないかな。