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YouTubeは終わり

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結月です。

YouTubeで80年代や90年代初頭の歌を見始めるとリンクが止まらなくなって結構長い時間、楽しめる。

当時大ヒットした歌を見て、そして同じ歌手が再結成したりしてその20年後や30年後にオッサン、オバハンの姿になってかつての曲を歌っているのも見ると、

「これはやんないほうがいいな…」

と思う。

全盛期の煌びやかさには敵わないし、やはり時代が違う。中年を物語る顔の肉付きなんかも見せるべきものじゃないなと思うわけで、若い頃から継続的にずっと活動している人はいいけれど、一度途切れた人は復活しないほうが美しいものなのである。

さて、そんなYouTubeも歌を見る分には懐かしくていい。一方でトップユーチューバーでも収入が減っているのは動画というものがAmazonプライムやNetflixなど良質のものが見られるようになり、可処分時間にかけるYouTubeの割合が減ってきたからだろう。

YouTubeも飽和状態で、ネタが出尽くした感じがある。もう新しいものはYouTubeというプラットフォームからは出てこないだろう。

ユーチューバーたちの動画も誰かのパクリというか、同じようなことをやりながら増殖するのでキャラの強さは弱まってくる。

ヒカキンが最初に出てきた頃やヒカルが現金を積んで宝くじを大量買したり、夜店のくじを全部買い占めて当たりが入っていないことを暴いたりした頃はYouTubeは新しいものが生まれる場だった。

でももうそれも終わりで、同じようなものを同じような人がやるだけのもので、再生回数も実際には数秒見ただけのカウントだったりして、再生回数が多そうに見えてもそれほど影響力はない。

というわけで、YouTubeはこれからも残るであろうけれど、新しいものが出てくる場としてはもう終了したものなのである。

思えばそうやって時代は変わっていく。

今月末であの週刊朝日が休刊になるらしいが、活字を紙に印刷して売るという文化はもうずっと前から斜陽で、逆に言えば週刊朝日はよく今まで我慢して続けていたなと思う。本来ならもっともっと前に休刊してもよかった。

紙の週刊誌というプラットフォームの終焉で、「週刊誌」という言葉も死語になるだろう。新聞もこれと同じで、紙の新聞を読むのは高齢者の一部だけでかろうじてまだ生き残っているがゾンビ状態である。

ブログもとっくに終わっていて、こうして文字で書き連ねるなんてのは10年前に終わってる。全盛期はアメブロで、芸能人たちが行間空けまくり、どーでもいいことを絵文字を加えて投稿したいた頃だろうか。

文章で読ませるという文化も終わっているし、文章を読む力も社会の中で低下していて、だから話し言葉のYouTubeになった。

と、そんな終わったブログをわたしがこうして続けているのはとりわけ誰かに伝えたいという意味でなく、こうして書き連ねることで自分の頭の中が整理されたり、新しいアイデアが浮かんだり、脳トレになったりするからで、動画のように編集も要らないし、自分にとっては心地がいいから。

ところで6歳児と見始めたワンピースであるが、90話くらいまできて、もういい加減、うんざりしてきて、同じような回想シーンやルフィの変わらぬアホぶりやうるさいテンションに嫌気がマックスになって我慢できなくなった。

「もうこれ、見るのやめない? うんざりだよ」

と、6歳児に同意を求めて消した。見たいならわたしと一緒でなく勝手に見とけばって。

まあそうやって何事もうんざりしてくることでそれが終わり、それとは違ったものを求めることで新しいものが生まれる。その繰り返しを進歩と呼ぶのであろうか。

ワンピースを見続けることはうんざりしている会社に勤務し続けることと同じで、ちょっとそれは耐え難く、わたしはそんなの無理だなって思うけど、周囲には変わらず同じ職場に居続ける人が多くで驚く。

ともかくどんなものでも必ず終焉を迎える。この地球だって数十億年後は太陽の爆発によってなくなる。それは気の遠い話だけれど、人間の営みに関してはそれほど長い時間でなく終焉を迎えるものなのである。

YouTubeだって2005年の設立で、20年近くでここまできて飽和状態になった。ブログだって実際には10年ちょっとのブームだったし、テレビも斜陽産業で60年くらい経って残ってはいるがかつての力はない。ラジオとなると誰が聞いてんの?というレベルでないのと同じ。出版も悲壮感が漂っていて、本が売れないと言われ出して20年以上経ち、ミリオンセラーは過去の思い出になり、数十万部でベストセラーと言われていたものが今は数万部でベストセラー。印税にして数百万程度である。

Twitterももはや古いメディアで、炎上とか言っているけれど実際のところはそこまで多くの人にアクセスできているわけでなく、炎上に見えているだけであろう。可処分時間がものすごく細分化されているので炎上は自分の視野でしか見ないから炎上に見えるだけ。だからものすごく狭い世界なのである。

だから、広報としてTwitterを用いて情報を拡散するとか、そういう感性はもう古臭くて10年前のもの。バズりはしないし、バズったところで記憶には残らないし、それを見た人がアクションを起こすことはほぼない。

であるからして、ネットメディアの広告でPVが何十万とか言われて高い広告費があったりするけれど、PVそのものが当てにならない。それは新聞の発行部数と同じで、実際はそれほど届いている情報でなく、「ただアクセスされただけ」がほとんどであるからメディア側もその事実を認めなければならないし、表面的なPVに酔ってはいけない。そんなに影響力なんてないのだから。

そもそも今は大きな影響力を持つことは無理なのである。それは構造的に不可能で、昔のようにメディアが数少なく選択肢が限られていればよかったが今のように無数に、しかも個人か好きなように発信できるようになると影響力は出ない。ほとんどが個人のつぶやきレベルに終着するわけで、影響力があるように見える人はネットがまだ未発達な時代に運よく有名になれたとかだし、そんな人も影響力があると思っても実際はそれほどでなかったりする。

しかし、YouTubeのように更新を怠ると視聴者がすぐに離れていくメディアは発信者が疲弊しやすい。編集も大変だし、企画を考えるのも楽でなく、だからこそ誰かのパクリでみんな同じようなことをやりだす。するとますますキャラクターはなくなり、見る価値が乏しくなっていく。となると、動画撮影・編集は大変なわりに見てもらえなくなる。これは辛い。配信しても自分が見られていないと思うと自分の存在を失いそうになるだろう。だから精神衛生上、よほどでないとYouTube配信はやめておいたほうがいい。

とまあ、そんな風に時代は変わっていく。

YouTubeでさえ、そうやって古臭いもの、驚きのないものになっていく。そしてChatGPTが出現して、今度はそれが新しい世の中にしていく。そんなChatGPTも早い段階で当たり前のものになり、社会に浸透し、どうこう言われないものになる。

というわけで、

「行く川の流れた絶えずして、しかももとの水にあらず。

よどみに浮ぶううたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」

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