結月でございます。
現在、急速減量中であるわたしが食べるメニューとしては、ほうれん草や小松菜、あとは菜の花の辛子和えがメインで、そこに木綿豆腐の中サイズを一丁を冷奴で、あとは筍の土佐煮やきゅうりのピリ辛漬けである。
栃木にいると新鮮な野菜が道の駅で売られていて、葉の花はシーズンを終えてきたが朝採りで手に入る。
先日は同じく朝採りの筍があったので土佐煮にした。さらにきゅうりも買い、ピリ辛漬けにした。
この季節、筍は大変美味しく、きゅうりもさっぱりしてうまい。
あとはどういう品種か知らないが道の駅のトマトが爽やかな美味しさである。
とまあ、そんなダイエットメニューであるが、そこに特製スープとして春雨を入れた玉子スープを添える。
今は玉子が高いらしい。スーパーに行くとLサイズで1パック300円ほどだった。
しかし、思えば今まで玉子は安すぎていて、200円未満で買えたり、特売日には100円なんてこともある。こんな値段だと利益は少なく、それは生産者もスーパーも価格を抑える我慢をしていただけの話で、本質的な値段ではない。
わたしは玉子は1パック400円でもおかしくないと考える。玉子は1パックでも重量があるし、あれをたくさんキャスターに積んで入荷するのであるが、割れるリスクもあるものを安い値段がいいと思うのは消費者の甘えである。
自分が生産して、販売する立場になればきっとわかる。400円でも妥当に違いない。
日本はデフレ続きであったから値上げの反発があるが、適正の価格で提供し、それを買うという当たり前をしっかりとしていかないと結局、賃金も上がらない。
玉子を安く買えて喜べる状況は、つまり社会的に労働賃金が安く済まされることなのだから、玉子の安さは自分に降りかかってくる。
それに玉子が400円だとしても1個あたり40円なのだから、そんなに高いものでもない。
消費者として自分が得する考え方ばかりでなく、販売店や生産者の立場も考えられる想像力がほしい。決してそれらはボッタクっているわけでないのだから。
安くても満足できて、品質も高いなんていうのはもちろん人気は出るけれど、企業が我慢してやっていることを想像せずに消費者として安いから得したと喜ぶのはどうも貧乏臭いし、そういう思考だとずっと底辺の消費者のままに違いない。
世の中には優良企業からブラックまで様々であるが、経営者としては雇っている労働者にできるだけリッチな暮らしをさせてあげたいと考える企業がよろしく、社会情勢などを考えればすぐにそれを実現させるのは難しくてもいつぞやそれを実現させるという気持ちがほしい。
ブラックのように安くこき使うと雇われた人の生活が困窮し、安いものばかり食べ、玉子は100円で買いたいと思う消費者になってしまって悪循環である。
しかし日本はいろいろなものが安すぎる。牛丼だって500円未満で食べられるなんてとてもじゃないが先進国とは言えない。パリに行っても屋台のサンドウィッチでも日本円で1000円以上はする。かつては物価が安かった中国だって上海や北京の吉野家では500円で食べられやしない。
ともかくこうした経済的なものは日本政府の政策や財務省の圧力など様々な問題が絡み合っていて一筋縄では語れない。どこを変えればいいかと特定できない。
ただ消費者のメンタルも変わらなければならないのはひとつであって、玉子が特売だと100円で買えることはどこかに無理がかかっていると知るべしなのである。
でも、それも仕事で生産や販売コストをリアルに見れるのであれば理解は早いが、そうした仕事をしたことがない消費者だとサプライチェーンを知らないからやっぱり理解は得られにくいのである。