結月でございます。
コンサートってチケット買って、座席に座って、客電が消えて、ステージに奏者が出てきて演奏が始まる。
もうこういった形のコンサートって古いっていうか、成り立たなくなる気がずっと前からしてる。
つまり、「音楽を聴きに行こう!」という目的だけじゃ、客席は埋まらないし、そんなピュアな気持ちでコンサートに行く感覚自体がなくなるって感じ。
もちろん、クラシックが好きでコンサートへ行っている人はそういうピュアっていうか、古い体質だから、
「それが普通でしょ」
と思うかもしれないけど、時代的な進行を考えて、そういう体質の人は間違いなく少なくなっているんじゃないかと。
で、アットホーム路線でステージ上で奏者がトークしまくって、場を盛り上げたり、リラックスさせながら、
「じゃあ、次の曲です」
なんていうのも古いと思う。
そういう演出的な問題じゃなくて、根本的にコンサートの考え方を変えないといけないって気がしてるわたし。
言ってみれば、音楽へのピュアな気持ちだけでホールに足を運んでくれる人の絶対数が少ないんだよね、という観点が根底にあって、ビジネス的に、つまり興行的に成り立たないっていう大問題の解決を考えてる。
要は音楽の力はニーズに多さに比例するわけで、いくら演奏者が上手で、いい演奏だったとしても聴きにくる人がいないんじゃ存在理由は得られない。だからまずは聴きに行きたい!と思う人がたくさんであることを獲得しなくちゃ音楽に力は生まれない。
少なすぎる客席でも、
「聴きにきてくれる人がいるから感謝」
とか、そういうのは情けないからやめようね。そのメンタル自体が間違っているというか、自己の慰めにすぎないし、そういう逃げ方をして客を集める気がないっていうのは逆に音楽への冒涜だと思うから。
ともかく音楽は受け手がいないと成立しない。それがいないと自宅で練習しているのと同じだから。
おそらく少し前はクラシックを聴くことがステイタスだったのだと思う。具体的には団塊の世代あたり。なので今のクラシックファンもこの世代が多いから、ホールは高齢者ばかりになる。
給料が出たらクラシックのLPを買うとか、さらにはLPが聞ける喫茶店があったとかそんな時代。そしてCDに移行した時はベルリン・カラヤンが全盛みたいな。
あとは有閑マダム的なニーズ。これも比較的高齢に多い。だって若い世代は今、金がなくて基本的に共働きだし、金がある世帯は共働きでキャリアだったりするから金がある。だから亭主が稼いで家で有閑というのはあまりない。
なんにせよ、新規のお客さんを作っていかないと音楽はもたないのははっきりしていて、このままあと10年したら「う〜ん」みたいな。
N響とか、バックがしっかりと金を持っているところは演奏者になってもいい給料はもらえるかもしれないけれど、そういうスポンサーがないプロオーケストラはオーディションに受かっても給料が安かったりして、プロ奏者になるまでにものすごい金がかかっているのに給料は下手したらコンビニでシフトを入れまくった方が稼げるという現実。
プロオーケストラが一応まだ存続しているのはコロナに関係なく、奏者の給料が低く抑えられているからという事情もある気はする。「好きなことやってんだから、これでいいだろ」という日本にありがちなブラックの傾向もある。
まあ、いろんな問題はあれど、コンサートホールで音楽を聴かせるだけで終了というやり方じゃもう駄目なんじゃないか、もっと他に新たなアプローチをしなきゃいけないんじゃないかとわたしはずーっと考えている。
フィーリングとしては、うちはラーメン屋だからラーメンだけしかメニューにないっていうのはアウトかな。
ラーメンを食べにくるのはラーメンが好きな人であるから、要するにラーメンに興味がない人はラーメンしかないラーメン屋には来ない。
で、クラシックのフェスティバル的な大きな催しって、ラーメンで言えばラーメン博物館的なもので、いろんなラーメンを集めて、ラーメン好きを一気に集めちゃおうというもの。
確かにフェスティバルにすればちょっとはラーメンに興味がない人も来る。そして、そこでラーメンに触れて、ラーメン好きとして覚醒する人もいるだろう。でもそれはごく少数。なので、根本的な解決にはなってない。
さらにクラシック音楽の場合はレシピが決まっていて、ベートーヴェンが書いた楽譜を勝手にいじくり回してオリジナルアレンジができない。奏者によって違いはあれど、「違いがわかる人」になることがスノッブな楽しみとはいえ、普通の人はその違いなんてほとんどわからない。
じゃあ、どーすんだよ!
と、無理ゲー感が漂ってくる。
今のところ考えているのはクラシック音楽を定食にすることかな。メインはとんかつだけど、味噌汁もご飯もあって、総合力が顔って感じ。
それでいて音楽のクオリティは落とさず、つまりとんかつはちゃんと作る。
冒頭に書いたような音楽だけをピュアにやるっていうスタイルでなくす方向。当然独自性は失われる。でも、独自性にこだわっていると客が来ない頑固親父のラーメン屋みたいになっちゃう。
人が集まる、これすなわち金が集まる、金が動くってこと。だからどうやったらお客さんが来てくれるかでなく、どうやったら金が集まって、金が動くかを考えたほうが早い。そうしてたくさんの人が集まって、そこでドカンと音楽を、いや音楽もやっちゃう。
というわけで、わたしはどうやったら金が集まって、金が動くかって今考えてる。音楽のクオリティはうまい奏者だったら必然的にハイクオリティなのだから最初から心配ない。
おそらく、このコンサートをどうすればチケットが売れるか、お客さんに来てもらえるかって考えるからうまくいかないんだと思う。視点が音楽に集中しすぎていて、自己都合ばかりになっている。
音楽だけじゃ、どうにもならないんだって。席に座ってもらって、ステージに立って演奏して、「はいおしまい」っていうこと自体がサービス不足なんだよ。客に期待しすぎだし、自分は音楽しかやってねーという身勝手さ。
今は音楽だけ聴けたって優越感はない。満足感はない。それよりももっと楽しいエンタメはたくさんあるし、そうなると音楽はたまにYouTubeで見とけばいいし、コンサート会場までわざわざ行かない。
だってさー かく言うわたしもコンサート行かないからねっ! だって、つまんねーもん!
なので、コンサートに珍しく行くときは、人を誘って飲み会をセットにするとか、楽しみをトッピングする。純粋に音楽だけなんか、行かないよ。
きっと純粋にコンサートだけ行っちゃうのって、奏者に対して特別な思いがあるとか、追っかけであるとか、そんな感じが多いと思う。そういうニッチじゃない一般人は音楽だけじゃ行かないよ。
あとはコンサートが大も小も数がありすぎて、希少価値がないよね。聞き逃してもまだどこかでやるだろみたいな。
そうなるとどういう現象が起きるかって、コモディティ化だよ。
つまり、多数の類似商品があって、いつでもそれが手に入ることで商品間の差異がなくなって市場価値が低下するっていう現象。
クラシック音楽は品質はいいのに見事にコモディティ化してる。
これは音楽を提供する側にも問題があって、いい音楽をできるだけ安く、たくさんの人に聞いてほしいって、左翼的なことを言ってチケット料金を安くすること。
そもそも客が少ないことを価格のせいにして自ら安くするって自分を安売りする愚かな行為だけれど、これが逃げ口上になってる。
いやいや、安くしたって客は来ないよ。来たって少しだけ増える程度。
8000円の価値がある演奏を2000円にして3人がチケットを買ってくれたとしても、それ、8000円のチケット一枚分より少ないよね。だったら8000円出してくれる人を一人見つける方が簡単だし、2000円しか出さないお客さんよりその人はいいお客さんなんだよ。
8000円出してくれる人の方がリピート率は高い。結局安売りでしか来ない客はリピーターにならないから。
チケットを安くして気軽に来て欲しいっていう考え方もアウトだよ。気軽にってさ、クラシックなんて音楽が濃密なんだから気軽に聴けるものじゃない。マーラーなんて気軽に聴けるかよ。
要は客が来ないから「気軽さ」をアピールして宣伝したって、クラシックは気軽なものじゃないから来ない。そこはお客さんのほうが感覚的によくわかってる。
そしてチケット料金まで気軽にしちゃう愚かさ。
プロオーケストラでシンフォニーをやってチケット4000円とか、おかしすぎる。フルオーケストラは人数も多いし、それだけの手間がかかってるのだから採算が合ってない。合ってないから公益財団法人にして補助金で補うとか、いやいや、それ発想がクソすぎ。
だからお客さんが安いチケットに慣れてしまって、デフレ化してる。
価値があるものを安くしたところで客の数は一定数なわけだから、それはやっていけないよ。
しっかりとしたプライス設定をして、いいお客さんを集めて収益を上げ、そして団員の給料もその実力に見合ったものにする。そうするべきだと思うよ。
だって、日本のプロオケでもオーディションに受かってプロになるレベルってかなりのものなのだから、その価値は評価する方向が大事で、そこを好きなことやってるみたいな見方でこれまでの勉強に見合わない賃金で通すっていうのはホント、ブラックなんだよ。
だから奏者も音楽を「気軽」にしちゃいけない。音楽の価値をしっかりと持ちなおさなくちゃ。
ただ、これを是正するのはものすごく大変。まず第一にお客さんが安い料金設定に慣れてしまっているから。
焼き鳥屋と同じく、安くしてしまったものを高くするのは難しいんだよ。
こうなってしまった以上、音楽だけのピュアなイベントで新規を集め、価値に見合ったものにするのは無理なんじゃないか。正攻法で真正面から思いをぶつけたってかすりもしない。
だから、コンサートだけやっておしまいでないやり方をわたしは今、考えてる。