結月美妃.com

結美堂の結月美妃公式ブログ

【スポンサーリンク】

健康維持は自分を変化させること

【スポンサーリンク】

結月です。

やってもうた… 冷蔵庫にボトル半分ほど残っていたワインが邪魔だったので今日飲んでしまったら2時間半、グロッキーになってもうた…

やっぱり飲まなきゃよかった… 時間の無駄感が押し寄せる。ついでに体もキツい。

と、このところこのキツさを予測してしまうと逆にお酒を飲むのを敬遠するという変貌ぶりなわたし。でも、今日は土曜日だから油断してもうた…

どうせ大したワインでなかったのだから、無理して飲まずに捨てればよかった。

というわけで、お酒についてはずっとディミヌエンドが続いていて、消えてしまうのもそんなに遠くない。

でも、もしアタシが会社員だったら?

と、考えてみる。

会社勤めってストレス多そう。飲まなきゃやってらんない? 

ガラスの二十代の頃、ほんの少しだけ会社員をやったことがあるが、思い返せば勤務時間が終わると週に数回は同僚と一緒に飲んでた。しかもかなりの量を飲んでいて、よくあれで翌日仕事に行けていたものだ。

肴は同じ会社の誰それへの不平不満であったり、こんな客がいてムカついたとか、給料もらうために会社で仕事して、その給料で会社でのことを愚痴って酒飲んでるって、うん、馬鹿でしかない。

しかし、人間という奴はそんなストレスをないものとして解消できるほど器用ではない。お酒を飲まない人はその思いが甘いものに行ったりする。酒は飲まなくても喰うことで発散させる人もいる。あとは漫画を大人買いしてストレスを感じることを忘れようとしたり、洋服を思い切り買ってしまったりなんてこともある。

つまり、どれも給料でストレスを発散させる意味で自虐的なのである。

そう考えれば、アタシの場合なんてストレスがないのにお酒を飲んでしまっているのは染み付いた習慣に他ならず、そこに体力低下がちゃんとやってきてグロッキーになってキツい現象が出てきている。なので、飲む理由があまりない。

昔のような破れかぶれな無頼派な気持ちもないし、結構健全化が進んでる。いいお酒もゴージャスな食事もかなり経験してしまったから、もはやそこに興味がない。

でも、本当に思うのはそういうことは比較的若いうちに済ませておくのがいいということ。これがある程度の年齢になってから目覚めるとたちが悪いから。

とまあ、残っていたワインのせいでまた後悔してしまい、後悔が積み重なることでお酒は本当に飲まなくなる。

しかし、お酒って飲むとキツいからやめようと思えるけれど、これが甘いもの中毒とか、食うことに夢中になるタイプはそこから脱却しにくいかもしれない。

買い物中毒もそうだし、下半身に行く人もいる。なかなかそういう癖になったものはどんなものでもやめるのが大変なのである。

わたしだってお酒に関してこんな気持ちになるにはものすごい時間がかかった。

もしずっと会社員をやっていたなら? きっと今頃、体はひどいことになってる。死んでたかもしれない。

こんなことをつらつら考えられるということも実は会社員でないからなのである。平日の朝から晩まで会社にいると、その可処分時間はいかにそのストレスを発散させるかという思考に費やされる。であるからして、健康はもちろん、どう生きればいいかなど考える暇がない。

会社では健康診断が義務付けられているのにどうして日本にはこんなに病気の人がいるかといえば、それは健康診断で指摘されるだけでその後の治療をするところまでいかないからなのである。

日々の勤務があれば病院に行くのも億劫。病院は平日であるから、休みを取らないといけない。そのためには会社に有給を申し出たり、他の人とシフトを変わってもらったり調整が面倒。そうなると病院に行かなくなる。

それにやっと休みを取って病院に行ったとしても、通院が必要になったりする。また来てくれと医者に言われてもそんな簡単に休みは取れない。それで結局、病気は放置される。

会社員をやっていると病院なんてそうは行けないし、そもそも貴重な可処分時間を病院に費やすより、バーベキューでもして昼からビール飲んで騒ぎたい。

肉体的な健康を得るよりもまずは目の前の精神的なストレスから逃れることが第一になる。その結果、肉体は病を持つようになり、発病したときにはヤバいことになっている。

ヤバいことが表に出てくるのが40代くらいと医学的には言われていて、言ってみればそれは統計的にそうなのである。

とまあ、自分がずっと会社員をやっていたら絶対に今頃死んでいるか、死にそうだったに違いないと思うわたし。

でも、会社員で可処分時間がない生活のままだと、きっと最悪の性格のままどころか、年を重ねて最悪度を増していくモンスターになっていたのはいくら歴史に「もし」はないと言っても確定的。死んで当然の人間だったと思うほど、昔のわたしは酷かった。

可処分時間がないと元が最悪な性格の人間は省みる時間がないわけだからモンスター化する。であるから、あなたの職場にモンスターな上司がいるならそれは自分を省みる時間がないまま現在進行形で生きている人間なのである。

自分のことを「ひどいな、アタシ」と思える時間がなかったり、自分をひどいと思うことをプライドが邪魔してもみ消すとモンスターになる。

しかし、これは性格が最初から悪い人間のことであるが、性格的にそこまで悪くない人はモンスターにはならないが可処分時間に自分のことを考えられないと「つまんない」化する。

つまんねー自分に葛藤してしまって、自分を卑下したり、いつもアタシはこう…とわかっちゃいるのに自分を変えることができない。そう悩んでいる間に週末は終わり、月曜から会社に出勤。こうして未解決のまま毎週が過ぎて何も変わらない。

つまり、性格が悪いモンスターも性格は悪くはないつまんない人も「変わらない」という点で一致するのである。

1週間で5日は会社に勤めて、自分の時間として生きていけない環境であれば「変われない」のは当然のことであって、人間は自分を変えるには週に2日の休みでは足りない。ついでに病院に行くにも週に2日の休みでも足りない。病院は日曜は休みでもある。

健康を維持するということは「維持」という変化がないことを意味するのではない。普通にしていたら衰えたり、病気になる肉体をそうならぬように変化させることなのである。つまり、維持とは変化なのだ。

これは企業も同じで、会社を存続させるには変化していかないといけない。時代に合わせて変化していくことで維持される。そこを無視して変化を嫌うと続かない。

令和の時代に昭和的価値観のままでいる中高年がたくさんいる。これも自分を変化させることを知らない人たちの姿。

そして、今は若者であるZ世代だって30年も経てばきっと古臭い世代になって2053年に2023年の価値観でいる中年になっている。

それくらい人間は変化しにくい。変化を拒む。変化を面倒だと思う。

変化を受け入れ、変化させようとすることは体力も精神力も必要とする。だから、それをやるかやらないかはその人次第であって、割合的にやらない人が圧倒的ということなのだろう。

老人介護の大変さは、変わろうとしないまま古い価値観を温存させた人間を今の時代の価値観の人がケアしなければならないという点。

肉体は老いても、価値観だけは時代に合わせて変化してくれる老人であるなら、介護はどれだけ楽になることだろうか?

【スポンサーリンク】