結月でございます。
元旦のジョブチューンで圧倒的不合格だったローソンの「焦がし絡めるの濃プリン」、これを今日買ってみた。あれだけ酷評だとどんな味なのだろうという美味しさと逆の興味。
先に6歳の愛娘に食べてもらう。表情が良くない。
「おいしくない…」
と、スイーツにはうるさい6歳児のジャッジ。そして、わたしもそれを食べてみる。
「あっ、これはまずいわ」
と、本気で不味かった。あれがどうして商品化されたのかわからないほどで、テレビでの不合格票の多さは理解できた。
そして、確か満場一致の合格だった「贅沢チョコバー」も食べてみた。
「うん。これはまあまあいい。フランス産のチョコらしいが、いいチョコレートという気がする」
6歳児も同じような評価であったが、しかしお値段は250円ほどの割にサイズは小さい。サイズから考えても、味から考えてもちょっと値段が高いという印象。リピートはないかな。もう買わない。これなら森永の「PARM」のほうがいい。
ついでに先日は満場一致合格の「塩豆大福仕立てのもち食感ロール」も食べてみたのだが、まあまあだった。発想がおもしろいのはわかるけれど、まずくはないけどこれもリピートはない。
というわけで、一応検証してみた。そもそもわたしがそこまで甘いものは積極的に食べないので根本的に興味が熱くあるわけでない。
ちなみにわたしにとって今のところの生涯ベスト1のプリンはパリの市庁舎の前にあるキャフェで食べたカスタードプリンで、プリンというのはこんなにも美味しいものなのかと甘いものには興味薄なのに大感動した。
パリ左岸派のわたしはシテ島からその先、右岸に渡ることはほとんどないし、おそらく右岸でキャフェに行ったのはその一度だけ。キャフェは左岸のサンミシェルにある行きつけのキャフェがあるからどれだけお腹が空いていてもそこまで戻らないと気が済まない。であるのに右岸のキャフェに一度だけ行った。
そこの料理はあまり美味しくなく、やたらと酸っぱい紫の株の漬物が忘れられない。それは口に合わなくて忘れられない。ところがデザートのカスタードプリンだけは絶品だった。
しかし、今思えば酸味が強すぎる漬物のせいで舌が引き締まり過ぎていて、それゆえにプリンが甘く感じたのかもしれない。
次にパリに行くときはもう一度このキャフェでカスタードプリンを食べてみたいが、一度だけのキャフェであるから記憶が曖昧で、市庁舎の前なのは間違いはないと思うが同じ店だと確信が持てるのか自信はない。
そうであるなら過去の検証なんかしないで、あのカスタードプリンの味はわたしの思い出として残しておくのが美しい。
昔の恋人なんか、会わないほうがいいのと同じである。プリンは製法さえ同じであれば同じ味であろうが、キャフェの経営者が変わっているかもしれないし、同じ味であるかはわからない。プリンは人間のように老けないとはいえ、会わないほうがいい。
そういえば、美輪明宏がどこかで、
「どんな美人だって40歳を超えたら衰えて、みんな横一線」
みたいなことを言っていた。確かにそうだなと思う。耽美主義のわたしは美人が大好きであるが、知る美人が40歳前後を境に老け顔が見えてくることになんとも言えぬ寂寥を覚える。
それを見るたびに女の美はせいぜい30代前半までなのが肉体的な約束なのだと感じる。
今はそういうルッキズムはよろしくない風潮にあるが、それを認めないと美は存在できない。
ともかく肉体上の美は儚さであり、いくら美容整形が発達しようとも根本的な解決にはならない。それどころか今の美容整形はどれも同じ顔の量産であるし、人間味の否定に仕上げた見せかけの美であり、荒涼とした気分になる。ひと目見て整形とわかるのだから、それは人工の宝石のようであり、輝きはあっても奥行きがない。
それに美容整形で仕上げた美的っぽい顔が40歳を超えるとどうなるのだろう? 皮膚の劣化は自然なものであるが、無理に仕上げた顔に劣化が訪れるのはコンクリートで固めた山の土砂崩れのようである。その結果はこれから10年、20年と経過すると否応なしに見られる。不自然な美的は経年変化の波でどう崩れるのか恐ろしい。異様な崩れ方の女の顔を街を歩けば、電車に乗ればたくさん見なければならないのは耽美主義のわたしとしては辛いものがある。
それなら美容整形は施さずに美輪さんが言うように横一線のほうがいい。
どんな美人でも40歳を超えたら40歳の顔になるのだから、美人でなくとも、自分の顔が気に入らなくともどうせ横一線を考えて、人工になる必要はない。人工的顔面の50歳、60歳の顔は想像しただけで怖い。
とまあ、40歳を超えると人は40歳の顔になるから、昔の恋人には会わないほうがよろしい。それは男も女も同じである。
ところで美を温存させるのは死以外にない。美人は早死にすればその美が記憶の中でしっかりと温存され、肉体がないのだから老けた姿も存在しない。
さて、今日、昭和時代の歌謡曲を振り返るテレビ番組があり、40分ほど見ていた。消そうと思ったが、6歳の愛娘が見るというから仕方がない。
しかし、80年代の歌など懐かしいものばかりで、当時の歌番組のセットを見てもド派手で、あの頃の日本は元気があったなと思う。
今は電気代がかかるからとコンビニでも冷蔵庫の照明を消していたりして、陰気臭いったらない。
人間の購買欲は明るいところに集まるから、電気代をケチるよりも明々と電気をつけてペットボトルのジュースや缶酎ハイでも売り上げを立てたほうが電気代をケチるより利益が出るような気もする。
ケチるところではモノを買いたくないもので、客単価が下がる。
そんな時代の中にいると80年代の楽しさといったら夢のようで、あの時代にはあの時代なりに問題もあったし、ひどいこともたくさんあったし、今よりも不便であったに違いないが、明らかに楽しさがあった。
残念ながら政治的には岸田政権が生まれて、そして安倍晋三がいなくなったせいで日本はこれから失われた20年がさらに追加になりそうである。自分が生きている間にもっと世相が明るくなることは望めそうになく、今からガッカリ感が漂う。
これが嫌なら海外で暮らすしかないが、海外で暮らすには海外で稼ぐ力がないといけない。
しかし、わたしは80年代のあの楽しさを体験できたからまだよかった。向こう20年はジリ貧が確定的と考えると2000年代生まれは生まれてからジリ貧であるからずっとジリ貧のままである。
であるからして、ジリ貧で終わりたくなければ、現役であるうちにがむしゃらになってやりたいことに打ち込むべきであり、ジリ貧をなんとなく甘受してしまう諦めの無気力には陥らないこと。茹でガエルにはなるなということである。
そんな未来を予測して、6歳になったばかりの愛娘には外国でバリバリ仕事ができる女になるようにわたしは誘導して教育している。