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今。昔。

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結月です。

年明けには6歳になる愛娘と小山ハーヴェストウォークに行っていた。平日とはいっても、あまりにも人が少なく、店を開けているだけで赤字になりそうな雰囲気。

土日はそれなりに人は入っていて駐車場は満車になったりすれど、しかしすごく混み合うということはない。

クレーンゲームがたくさんあるゲームセンターにも行ったが、人がいない。ほとんどいない。

誰もいないのに電子音の音楽がエンドレスに鳴っていて、たくさんのぬいぐるみやフィギュアが並んでいて照明も明るいその風景は実にシュールだった。

自分が未成年であった頃を思い出す。

ゲームセンター、つまりゲーセンは平日は小学生、中学生、高校生がわんさと訪れ、柄悪く混み合っていた。

UFOキャッチャーが出現し、そしてプリクラが登場した頃は女子高生が集団でいたものだが、スマホで自撮りができるからプリクラもなくなった。さらに今はゲームもスマホでやったりするから、確かにわざわざゲーセンに来ることもない。だから東京でも大きなゲーセンはほとんど姿を消した。

とまあ、構造的なところが変化したというのはあれど、やはり少子高齢化なんだろう。あとは未成年のお行儀が良くなって、柄の悪い遊びはしなくなったのもあろう。それはコロナ以前から。

ハーヴェストウォークには大きなスーパーがあるから、晩ご飯を買って帰るのに立ち寄った。これまた平日の夕方でスーパーとしては混みそうなものだが人が少ない。とても少ない。

コロナといっても緊急事態宣言でもないし、これまた少子高齢化なのだろうか。それともスーパーという業態がオワコンなのだろうか。

また自分の子供の頃を思い出す。

スーパーは賑やかな場所だった。最寄りの駅にはダイエーがあって、日曜なんか買い物かごが常に人とぶつかり、店員の掛け声があちらこちらからうるさいくらいで、人で混み合っていた。ものすごい活気だった。

いつころかスーパーはスカスカになったのだろう?

しかし、じわじわと少なくなっているものだからそれがいつだとは特定できない。

ショッピングモールは土日はそこそこ人は入っているが、平日は照明の明るいゴーストタウンである。

このビジネスモデル、右肩上がりは目指せなくて、いかに維持するかになっている。きっとあと10年で撤退するショッピングモールが続出しそう。まるで百貨店がそうだったように。

なんだか黄昏の淋しさを感じてしまって、スーパーにいるのに何を食べたいという気も起こらず徘徊する。5歳の愛娘はお菓子コーナーで何を買うか真剣であるが。

そんな姿を見て、また自分の子供の頃がシンクロする。まるでベルイマンの映画のようだ。

保育園の頃はヤマハの50ccバイクで迎えにきた母といつも小さな駄菓子屋に立ち寄っていた。薄暗くてカビ臭さがあったが、ちょっとしたおもちゃや小さなチューイングガム、水で溶かすと怪しげなジュースになる粉末、当たりが出れば台帳がもらえる紙袋入りのシール、そういうものがあってどれを選ぶかが楽しみであった。

スーパーでは母が夕食を選んでいる間、お菓子コーナーで何にするかを考えるのであるが、目の前に並ぶたくさんのお菓子はそれはときめく楽園だった。

そんな大昔の気持ちを愛娘を見ていると思い出す。これと決めたお菓子を小さな手に持っている。その姿がものすごく可愛らしいのだが、それも大きくなったら見られなくなるものだとちょっと寂しくも思え、逆に今のうちだから忘れないようにその姿をよく見ておこうと記憶に叩き込む。

さて、人がいないスーパーを徘徊していると、ボージョレが売られていた。あれ?と思った。そうか、もうボージョレの時期だった。11月の第3木曜日。

昔は必ず買っていた。そしてフランスでのこと。リヨンで解禁の0時に小さなキャフェが樽出しでヌーヴォーを出していて、定額払うとビュッフェスタイルでつまみが食べられる。

リヨン旧市街にあるキャフェでテントの下でヌーヴォーを立ち飲みするのであるが、そもそもフランスではヌーヴォーは大したことないワインであり、解禁日の午前0時からキャフェで飲むなんていうのは酔っ払いばかりでろくなのがいないのである。

フランス人の中でもどうしようもないのが集まるキャフェで、ヌーヴォーをありがたがっていた日本人のわたしはそこで飲めたことがいい思い出になっている。11月の第3木曜日のリヨンの真夜中はとても寒く、そこにソーヌ川の泥の匂いが漂う。リヨンは湿った土の匂いがする街だが、特に旧市街のソーヌ川沿いによく感じられる。

しかし、日本でもボージョレは解禁日に騒ぐことは次第になくなり、今は風前の灯というか、スーパーでもデパートでも申し訳程度に陳列されているだけである。

そんなヌーヴォーを人がいないスーパーで見つけ、円安のせいか戦争のせいか、この銘柄でこんなに高いのか…と驚きつつ、500mlのペットボトルタイプがあったのでそれを買った。いつもはフルボトルで全部飲んでしまっていたが、お酒を飲むとあとが結構キツくなるという軟弱さが明らかになったわたしは500mlでちょうどいいのである。

ヌーヴォーでもVillagesでクオリティ高めのものだが、冷蔵庫でキリッと冷やして飲んでみると、なかなか美味しかった、今年はそこそこいいんじゃないか。

そしてまたベルイマンの映画のように昔の風景を思い出す。

2000年になろうとする東京は空前のワインブームだった。居酒屋でもワインボトルが提供され、居酒屋であるのにワイングラスをテーブルの上で滑らすように回転させながらワインを飲んでいる馬鹿がたくさんいた。

ワインに関してはフランス仕込みの「おフランス」なわたしはフランスだと安酒として扱われるような銘柄を気取って飲んでいる日本人が田舎者に見えた。

日本酒で言えば、紙パックで売られている「まる」とかそんなレベルのものを外国人がテイスティングするようにありがたがって飲んでいたら笑えるだろう。そんな感じだった。

それにボルドーの赤を頼んだら白ワインのようにしっかりと冷えて出てきたりして閉口した。

でも、思い返せばその頃の日本は失われた20年に突入しているくらいだったが、今に比べると活気があった。飲食店は賑わい、夜の9時を過ぎると渋谷でも新宿でも2軒目に行こうとしても客がいっぱいで空いていればラッキー。空いていてもぎゅうぎゅう詰めの中、ソーシャルディスタンスの真逆の距離で飲み食いしていた。店内は客たちの大声で会話もできないくらいだった。

そんな賑わいがはっきりと見られなくなったのはどうだろう、2015年くらいからだろうか?

コロナに関係なくライフスタイルが変わって行くのは時代であり、世代の特徴である。ただ、1番の大きな原因は日本という国が経済的に衰退しているからで、酒飲んで騒ごうという気分にならないからに違いない。

それによってみんなお行儀よくなったし、平和になったのかも知れないが、勢いがないと経済が元気にならないわけで、お行儀がよくなった分、社会が貧乏で苦しむ側面がある。

そう考えれば、くだらないと思っていたあのワインブームだって今よりも断然楽しかったわけだ。社会に元気があり、活気があった。

そんな昔のことを思い出すようでは駄目だとはわかる。わたしもそれをノスタルジックに思う気はない。しかし、人がいない中でひたすら電子音を鳴り響かせるゲームセンターや高齢者がちらほらいるだけの大型スーパーを見てしまうと、

「あれ?いつの間にこんなになったのだろう…」

と思ってしまうわけで、するとそれを検証するために過去を振り返ってしまうのである。

もはや、三丁目の夕日の世界である。

日本にまだ元気があった頃を知らない5歳の愛娘を見て、ちょっと気の毒に思う。こんな賑やかさのない中で過ごすなんてつまらない。しかし本人には日本の過去がないからなんとも思っちゃいない。こういうものだと思って過ごしている。

しかし、日本が貧乏になってもハングリー精神がないところが困るところで、元気のない貧乏。貧乏を撥ね返すハングリー精神がないと将来がきつい。大きく得ることよりもノーチャレンジで節約に走る。それではエキサイティングなことはできやしない。

さて、今日はアニメの「SPY×FAMILY」がおもしろいという話をしようと思っていたのに、ショッピングモールのあまりの活気のなさにシケた話になってしまった。

不景気というのは嫌なものである。

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