結月でございます。
今日は三連休の後で、やっと保育園が始まり、解放の日。やらなきゃいけない仕事も5歳児がいるとできないからやっとだなという思い。
と、う〜んと唸りながら仕事を進める、というか考え続ける。
職種にもよるが、わたしの場合は考えることが仕事と考えた後の実行が仕事であることがはっきりと分かれていて、今は頭時間。ずっと考える。あーだー、こーだと考え悩み、組み換えたり、計算したりと頭ばかり使う。
すると流石に消耗してきて、
「タバコでも吸おう」
と、もしかし2年くらいは吸っていないタバコを吸う気になって、これっていつのタバコだろう?と思うほど長年放置されていたタバコはハイライトで、火をつける。
そうして2本をとりあえず吸って、ふ〜っとひと息つく。
が、後悔はすぐに訪れて、
「お口の中が気持ち悪い…」
と、わかっちゃいたのに後悔してしまう。
タバコってやっぱり口の中が気持ち悪くなる。この不快感は普段タバコを吸わないと如実に感じられるもので、普段酒を飲まない人が缶チューハイ一本で気持ち悪くなるのと同じかもしれない。
しかも部屋の中がタバコ臭くなってしまって耐えられない。お部屋用ファブリーズを部屋中に振りかけながら、
「こんなことなら吸わなきゃよかった」
と、再び後悔。
そもそもわたしは紙巻きタバコは昔からそんなに吸うタイプではなく、バーに行けば吸うという程度。
今はバーも禁煙になっているらしいし、それ以前にバーに行かなくなったし、行ったとしても紙巻きタバコは口の中が気持ち悪くなるので吸わない。
極上の葉巻だとまるで別物でたまらないおいしさがあるからいいが、紙巻きタバコは臭いだけである。
しかし、思い返せばタバコを比較的よく吸っていた時期がある。それでもヘビースモーカーにはならなかったが、そこそこ吸っていた時期があった。
フランスにいた頃はジタンをよく吸っていた。ジタンの両切り。
フランスのこのタバコはフランスの空気に実によく合うもので、歩きタバコでパリの街やリヨンのアパルトマンでよく吸った。
その頃はフランスも嫌煙の時代ではなく、今のようにタバコの箱に肺癌になるだとかおどろおどろしい文句は書いていなかった。キャフェではいくらでも吸えたし、もちろん道端にポイ捨て。
パリでジタンをポイ捨てしていると、フランス映画のジャン・ギャバンを思い出したりした。
行きつけのキャフェの灰皿は必ず緑色のハイネケンのプラスチックのものだった。
フランスでは多くの人がタバコを吸っていて、パリのキャフェで給仕をやるスタイルのいいパリジェンヌは白いシャツに白いブラジャーを浮かび上がらせながら仕事の合間に直立でタバコを吸い、吸い終わるとピッと指で弾き路上に捨てる姿はカッコ良かった。
タバコを吸いながらキャフェの丸テーブルで勉強している人もいたし、読書している人もいた。
わたしはネットがないその時代のパリの情報誌「パリスコープ」を開きながら、パリ中の映画館をジタンを指に挟みながらチェックしていた。
そして、いがらっぽくなった口の中をアニスのお酒であるリカールで洗う。ペルノではなく、リカールである。
セーヌ川の芸術橋でシテ島を眺めながらジタンを吸っていると、暇そうなおっさんが「タバコ、頂戴」と言い寄ってくる。パリでは当たり前の光景で、ジタンを差し出す。おっさんはタバコに火をつけると、
「メルシ」
と呟き、ライターをわたしに返す。
フランスでのタバコはおいしかった。どこで、どんなときに吸ったかを思い出すだけで、パリやリヨンの街並みが脳裏に浮かぶ。
中国でもたくさんのタバコを吸った。
中国ではタバコをやり取りするのが愛情表現であったり、マブダチ表現であったり、社交であったりするからタバコをよくやり取りした。
中国では本当にたくさんのタバコを吸ったが、別に吸いたくないときでもタバコをくれるので、フランスのときのように美しい思い出はあまりない。半ば、面倒だなと思って吸っていたことが多い。
タバコは社交であるから、人が多くいる場でのタバコだったので、風景を眺めながらうっとりとしながら煙を吹かすことがなかった。フランスではいつもうっとりとしながら吸えたのであるが。
フランスは一人静かに吸えた。中国ではとにかく人が多くて喧しい中で吸った。
フランスも中国もタバコ大国であったが、禁煙、嫌煙の時代は両国とも襲いかかり、随分街からタバコの匂いは消えた。日本も同様である。
そして、わたしもタバコは吸うことはほとんどなくなり、自分が吸ったタバコの煙が嫌で部屋にファブリーズをしている始末である。
しかし、わたしはタバコを吸う女が好きで、タバコを吸う女と一緒だとリラックスできるのである。
悪ふざけできそうだし、とやかく細かいことにうるさくなさそうだし、つまらないモラルなんて気にしない不良っぽさが楽だし、口紅がついたタバコも好きである。
タバコを吸う女とキスをすると当然ながらタバコの匂いと味がその口にあり、しっかりとその舌先にもタバコの苦さがある。
そのタバコもシェアして吸ったものだと尚更良くて、だからタバコは自分のものをそれぞれに吸うのではなく共有して吸うものだと思う。
どんなタバコを吸うかでその人のキャラがわかるし、どんなタバコを選ぶかで自己主張になる。
もう今はではなくなってしまったが「サムタイム」を吸う女はわたしには魅力的で、キスしてみるとメンソールの香りがする。
タバコには自己表現があり物語があった。
それも今は昔で、今はタバコも酒も好ましく思われない時代であるから清潔なものである。
だから今、タバコを吸ってもカッコいい演出もできないし、してもアホだと思われるだけだし、文字通り煙たがられる。
こんなわたしだって自分で吸って嫌になっている。
でも、ときどきは吸うと楽しいときがあって、年に一度くらいでいいからそういう不良もいいと思うのだ。