結月です。
ジェネオケ公演が終わって4日目。やっとのことで今日から平常の日々。
昨日まで奥日光へ行ったり、那須に行ったりしていたためであるが、今日は愛娘も保育園に出かけ、久しぶりに平常という時間。
とはいえ、公演の事後処理はこれからであり、今日はとりあえずテーブルに散乱していた膨大な書類やメモ書きなどを整理する。2公演あったため、それぞれにふるい分け、いらないものはゴミ箱に捨てていく。
ようやくテーブルは片付いたが、それは必要なものを抽出し、ふるい分けたというだけであるから、スタートに立っただけなのである。
請求書もたくさんあるし、順次振り込んでいく。
さらに公演にかかった経費をExcelに打ち込む作業もあるし、年内はかかるだろう。
それが終われば、会社の決算の資料作りもあって、事務仕事が続く。
きっと本当に落ち着くのは年が明けて数週間経ったくらいだろうか。
とはいえ、そんな大量の事務作業があれど、公演前のような極度の緊張感はないから楽なものであり、同時に張り合いがない。
ストレスマックスな日々が続いていたら、それが終わると今度はつまらなくなる。本でも読もうかと思ったりもする。
そして、明後日はレッスンを終えた後、結美堂ガールズたちと恒例の忘年会。
公演まではずっとピリピリしていたので、付き合いの長いみんなとざっくばらんで過ごせるのが楽しみなのである。
とはいえ、右肩下がりにお酒が弱くなったわたしはお酒を飲むとキツくなるので今年は秋葉原にホテルを予約した。飲んで栃木まで電車に乗るというのが無理そうだから。
それは栃木に来てから極端な運動不足に陥って体力がなくなったせいでもありそう。それに公演が忙しくて、ここ数ヶ月、エアロバイクも乗れていなかった。
というわけで、お酒を飲むならすぐに横になれるところが必要で、公演の翌日に訪れた奥日光でもビールと日本酒を飲んだだけでグッタリしてしまった。
今までは公演終了直後は緊張が消えずにいくらお酒を飲んでも眠れなかったのに、今は飲んでグッタリ。
この調子だと、数年後には一滴も飲めなくなるんだろうなと思いつつ、そうなるほうが楽でいい。
しかし思い返せば、今年はジェネオケ立ち上げからずっと緊張状態にあって精神も肉体も芯まで疲れた。公演が終わって数日経ってようやく疲れは取れてきたものの、やっぱりまだ疲れている。イライラしなくていいのにイライラ気味なのである。
しかしながら、こういう大掛かりな公演をやると頭も使うし、人にも会うし、何が駄目だったか、何がよかったか、クラシック音楽は将来はどうなるとか、暇をしていると得られないようなことがたくさんあるからいい。
今回も様々なことでたくさん勉強にもなったし、自分に欠けているものも再確認し、それゆえにやらねばならないことが湧き出してくる。
そんな苦労のおかげで人間は成長、進歩、進化するものである。見えなかったものが見えてくる。
そして、同時に自分がやったスタンスとして自慢できることもあり、それはコンサートに対してわたしのプロデュースのものは必ずコンセプト、そのコンサートをやる明確な意図があるということ。
意外とコンサートを開催するコンセプトがはっきりとしたものがないんじゃないか。音楽だけしかやってないものがほとんどじゃないか、と思う。
しかし、アフターコロナとしては音楽が好きだけじゃ駄目で、何のためにそれをするか?がしっかりとしていなければならない。
それは社会に対しての訴えであり、アピールであり、何を言いたいか?である。
今回は「生きてることに、歓喜しよう」だった。そしてそのスローガンは今回だけでなく、ジェネオケの基本スタンスとして持ち続ける。その上で公演ごとに「何のためにその公演をやるのか?」を社会に訴えかけていく。
そういう意味でジェネオケは他のオーケストラとは全く違う存在であるのは間違いない。
ようやく公演ができて、ジェネオケの実体を見ることができた。それはコンサートマスター以下、すべてのメンバーが実感したことだろうし、わたし自身もそうだった。概念が実体になったのである。
それを得たことで具体像が見られたわけだから、今後はわかりやすくなる。
そんな実態を通じて、人間的にどうありたいかを公演に盛り込んで社会にアピールしていく。
音楽が素敵なものだから公演をするという時代はもう終わっている。