結月です。
今頃になってサッカーのW杯をやっているのを知る。
サッカーに興味がないのと、公演間近で猛烈に忙しすぎてW杯の情報が入ってくる状態にない。
しかし、人間は興味がないものは見ないもので、見ないものはこの世に存在しないのと同じなのである。
というのは哲学の存在論に関わってくる話であるけれど、とにかく興味がないと見えないもの。
「そんなことも知らないの!?」
なんて言い方がある。これは興味の対象の差があるからで、自分が興味があるものはよく見えるものだから存在が大きくなり、他者にとって興味がないとそれはその他者にはそれが見えるものとして存在しないからギャップが生まれる。
しかし、こんなわたしでもサッカーのW杯に熱くなったときがあり、それは東京の巣鴨にあるパチンコ屋兼カプセルホテルの常駐警備員という社会の底辺にいたときで、W杯はフランス大会。
フランスから帰国して1年か2年ほどしか経っていない頃、フランスへの思いがまだまだ濃厚で、フランスに戻りたいと夢見つつ、社会の底辺生活であった。そんなとき、やっぱり興味なかったW杯が常駐場所の更衣室にあったテレビで決勝戦が行われていて、ブラジルにフランスが勝って優勝したのである。
湧き上がるパリの街。
ラ・マルセイエーズの歌声がパリ中に鳴り響いているのを見て、わたしはフランス人並みに感激し、涙したのである。
フランスが勝ってそれはもう嬉しくて、その嬉し涙を拭き取ってカプセルホテルの見回りに行った。
そしてその涙の30%はあんなにパリが歓喜の中にいるのに自分は巣鴨で警備員をやっているプアーな姿の情けなさであった。
日本代表にはそれほど思い入れがなく、中田英寿が活躍しているときは日本でもサッカー人気があったし、それにつられてちょっとは気合を入れて見たこともあった。
でも、どうせ勝てないという日本の実力では奇跡的な勝利を望まなければならず、そこにはあまり感情移入できなかったのは、そもそもサッカーに興味がないからだろう。
今は日本代表も誰もが知るようなスター選手の名前も聞かないし、強いのか弱いのかよくわからないが、ドイツに勝って大金星だったらしい。
それでもやっぱり興味がないものだから、
「ふ〜ん」
というくらい。
ところでそんなことより、とちテレで久しぶりに「月刊バイクTV」を見た。これは千葉テレビが制作しているバイク好きのための番組。
ローカル色が出たダサさがあっておもしろい。
在京キー局の番組はよくできすぎていて、要するにそれは予定調和だからあまりおもしろいと思わない。
ところがローカルテレビは地方のダサさ、洗練されていない野暮ったさが逆におもしろい。
「月刊バイクTV」ではその人相を見ただけでバイクが好きで好きでたまらないという男や女が出てくる。そういう人たちの顔を見るだけでもおもしろいし、バイクのことになると熱く語ってしまうアホらしさも好きなのである。
アホらしさというとバイク好きには怒られるが、バイクが好きな人はバイクに関してはあまりにも愚直で、バイクにゾッコンであるからその単純さがバイクを乗らない人からするとアホっぽく見える。でもそれは愛すべきアホっぽさである。
その愚直なアホっぽさを見ると、こんなわたしでさえバイクに乗ってみたいと思うのだから、熱情というのは人を動かす。
今日はハーレー特集だったけれど、ハーレーに乗っていろは坂の登り、奥日光まで行ったら気持ちいいだろうなと、自分がハーレーに乗っていることをイメージした。
とはいえ、あんなでかいバイクは置く場所がないと現実を考える自分。
ハーレーなんか屋外に置いておけないから、ハーレーを乗る人は専用の車庫を家に作るのだろうか。
と、月刊バイクTVはバイク好きという自分とはキャラが違う人たちが出てくるからおもしろい。
わたしは自分がよく知るものにはあまり興味がなくて、自分が知らないもの、自分とはキャラが違いすぎるものを見るのが好きである。
そういう意味でも土着すぎるローカルテレビはおもしろい。
さて、どうでもいい話をすると、5歳の愛娘には空手の正拳突きを教えていて、これは大きくなったときの護身術のためである。
ちょっと様になってきて、ボクシングのパンチンググローブのように手のひらを打たせると、これが驚きのパワーでこちらの手が痛い。
このパワーだと今でも不意打ちであれば、大人の鳩尾にヒットすると嗚咽させることができそうだ。
本人も遊びだと思って楽しくやるものだから、わたしは正拳突きをバシバシやられてちょっと痛い。しかし、蹴りはまだまだ駄目である。さらに闇雲じゃいけない。もっと相手の動きを見定めて、突きを繰り出さないといけない。
しかし、空手を本格的にやっている女というのは精悍なところがあるし、礼儀を叩き込まれるから凛としていて美しい佇まいがある。
それでいて強いのだから頼もしい。
愛娘にそこまで空手をやらせる気はないが、文化系の軟弱さはあまりいいと思わないから、護身術くらいは身につけさせる。
文化系軟弱さが嫌なのは自分自身がそうであったからで、文化系は実行力が乏しく訓垂れだからそういうのはもう嫌なのである。
と、脱文化系に舵を切ったわたしであるが、肉体の軟弱さは幼少の頃からのものだから克服できそうにない。
いや、これからもっとその軟弱さに嫌気がさしたら変わるかもしれない。あれだけ飲んでいたお酒だって今は嫌気がしているくらいだから。
普通は肉体は衰退へ向かうものだが、わたしの場合は肉体が溌剌とすべき年頃に文化系軟弱だったから、そこからの脱却でむしろ年を重ねるたびに肉体を鍛えるほうへ向かう可能性もある。
人間、どう変化するかはわからない。
今の自分がつまらないと感じたらそれをぶっ潰して、新たなことをやる。
となると、バイクも乗っていたりして。
いや、バイクは死ぬ可能性が高いからやめておこう。
ちょっとまだ事故死するリスクは背負うことはできない。
というわけで、月刊バイクTVを見ておくだけにする。