結月でございます。
この間の日曜、保育園が休みの2歳の愛娘を連れて、井頭公園へ。うちからクルマで10分ほど。井の頭じゃないよ。井頭だよ。
ここには1万人プールや温泉といったレジャー施設もある。温泉には入ったことはないけれど、観光バスで老人たちが訪れるので、入った人の話を聞くと、風呂は老人ばかりとのことだった。
この井頭公園は栃木県の県営都市公園。そこには小さな植物園があり、蝶もたくさんいるというので愛娘を連れていった。
あまり期待はしていなかった。しかし、蝶のスペースは本当にアニメのようにおびただし数の蝶が待っていて、それも海外の種類で、ちょっと幻想的でもあった。
他には釣り堀もあり、11月からは鱒釣りもできる。
なかなかの大きさで、確かにこの公園を維持するには植物園の入場料ではやっていけないので、県営。
公園はよく手入れされており、レンタサイクルもあり、自転車を楽しんでいるひともいる。
美しい公園で、歩くと大変気持ちがいいのである。
ちょうど秋になり、紅葉も始まり、地面にはドングリがたくさん落ちている。
ここを歩いていて、フランスのリヨンにあるテットドール公園(Parc de la Tête d'Or)を思い出した。
リヨンにはテットドール公園という大変美しい公園がある。そもそもリヨンが美しい街なのだけれど。
リヨンにいたのはもう随分昔の話なのにあの頃のことは今でも鮮明に憶えていて、Googleでリヨンの地図を見るだけで懐かしくて涙ぐんでしまう。
感じやすい年頃には外国に行くべきで、そこでの経験は一生の宝になる。
栃木の井頭公園を歩くだけで、リヨンの記憶が蘇り、ちょっと酸化した安ワインを飲むとパリのサン・ミシェルのキャフェを思い出す。
遠い過去で、再び行くにも遠い地のことがちょっとしたきっかけで新鮮に思い出される。
リヨンを再び訪れたのもすでに10年以上前のことで、リヨン・ぺラーシュ駅にあるサンドウィッチ屋のオヤジはもう店にはいないだろうし、土日になるとソーヌ川に出るマルシェのローストチキン売りのオヤジももういない。
行くといつも優しくしてくれた中国料理店の中国人マダムももういない。
橋の下をたくさんの水が流れて、あの頃あったものは失われてしまっていても、美しい思い出は腐ることなく、何も変わることがない。
同じようにいつの日か、2歳の愛娘と井頭公園を歩いたこともリヨンの記憶のようになるのだろう。
今は栃木にいるけれど、これも旅みたいなものに違いない。ずっとここにいるわけがないのだから。
東京にいたこともまだ一年も経っていないのに自分の中では思い出領域に収納されている。
同じ場所にずっと住み続けることなんてわたしにはできない。
愛娘はまた来週も蝶を見に行きたいと言っている。