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感受性は25歳まで

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結月でございます。

山登りのためにエアロバイクで毎日エクササイズしていたけれど、本格的に暑くなってからすっかりしていない。するとまたしても脚の筋力が落ち、海綿状のようになってしまった。体は重いし、立ち上がるにも筋力が乏しくヨッコラセ。

田舎にいると本当にクルマばかりになるからいけない。

しかし、こう暑いとエアロバイクを漕ぐ気になれず、というのはエアロバイクは木造一戸建ての2階に設置してあって、木造一戸建てというのは特に2階が猛烈に暑くなるのである。エアコンの風が直下に当たるところに置いてあるとはいえ、2階の暑さには太刀打ちできない。

というわけで、おそらくは9月まではこのまま運動不足で行くのだろう。しかし、エアロバイクを乗らないと、体が重くて調子が悪い。とにかく海綿状に感じられる自分の軟弱な脚が気持ち悪い。

さて、9月に熊本で音楽祭があり、そこに行くために目下、調整中なのである。調整中というのはわたしだけなら何ら問題はないのだけれど、5歳の愛娘をどうするか問題があって、一緒に連れて行くならどうすればいいか、栃木で留守番させるのならああしなきゃいけないとか考えている。

熊本の音楽祭にはケント・ナガノという世界的な指揮者がやって来て、わたしが大大大好きなモーツァルトのバイオリンとビオラの協奏曲をやる。これはもうたまんない曲で、序奏を経てバイオリンとビオラのユニゾンのロングトーンで始まったら恍惚となってしまい、それが思いっきりモーツァルトらしい美しさなのである。ユニゾンのロングトーンが現れるだけで美しいのだから、モーツァルトの天才ぶりにはため息が出る。

そして、マーラーの交響曲第1番もやる。

さらに注目はその二日後にシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」というこれまたわたしが好きな曲をやる。これは音楽史を転換させたような歴史的な曲だけれど、ケント・ナガノ指揮、メゾ・ソプラノ独唱が藤村実穂子という貴重な顔ぶれ。

思えば「月に憑かれたピエロ」はそう演奏される機会もないし、そもそも曲が難解すぎて歌える人も少なかろうし、公演の収益などを考えるとちょっと手を出しにくい曲だから生演奏を聴けるのは珍しい。それが聴けるのが音楽祭ならではであって、大きなチャンスなのである。

となると、二泊三日のスケジュールになるが、そうなるとますます5歳児をどうするか問題が大きくなる。

場合によっては初日のマーラーだけになりそうで、でもシェーンベルクは聴きたい。

二泊三日だと中日は一日フリーになり、大学の先生に久しぶりに会いたいとか、5歳児も来るなら阿蘇までレンタカーで行きたいとか、いろいろなプランは思い浮かぶ。

でも、行くとなれば大学の先輩ともお酒を飲む約束はしたし、行きつけのフランス料理店のマダムとシェフにも顔を見せたいし、ああ、やっぱり一泊二日じゃ足りないか。

そんなハードスケジュールを5歳児が付き合い切れるとも思えず、悩むわけである。

保育園時といるわたしは意外と自由でない。

さて、指揮者のケント・ナガノであるが、わたしがフランスのリヨンにいたとき、ちょうどケント・ナガノはリヨン国立オペラ座の音楽監督になって、モーツァルトのフィガロの結婚を観に行った。

リヨンのオペラ座は現代的な内装で、フィガロの結婚も現代的な演出だった。

わたしはフィガロはCDでは聴いていてもオペラで観るのは初めてであったから、岩波文庫のボールマルシェの原作を日本から送ってもらい、それを読んだ上で観に行った。

とまあ、そんな思い出もあり、ケント・ナガノが熊本に来るというのはちょっとした想いがあるのである。

そうするとリヨンの日々を思い出してしまうのであるが、リヨン国立オペラ座はローヌ川のほとりにあって、その前はテロー広場。その近くには小さな名画座があって、何度も通った。

アパルトマンからローヌ川をギロチエール橋で渡り、するとそこはベルクール広場である。そこからオペラ座界隈の映画館まで毎日のように歩き、それは今の運動不足とはかけ離れた日々だった。

テロー広場にはリヨンで有名な噴水があり、そこのキャフェで時折過ごした。リヨンで知り合った年上の友人と山盛りのムール貝をブルゴーニュの辛口の白ワインで食べた。

アパルトマンに戻るとCDウォークマンに小さなスピーカーをつけて、カール・ベームのモーツァルトの交響曲やレクイエム、ミシェル・コルボのフォーレのレクイエム、リヨンのFnacで買ったアンドレ・クリュイタンスのベートーヴェン 交響曲全集を毎日聴いていた。

思えば、そんな経験があるから今はオーケストラを立ち上げ、公演を仕事にしているのだろう。素養を身につけようとしていたのではなく、長い年月をかけていつの間にかそうなっていた。

経験がいつまでも忘れられないのは25歳までじゃないだろうか。それ以後は感受性も鈍ってくるし、経験を積んだ大人になってしまい、感動がなくなってしまう。

わたしが中国へ行ったのは29歳のときだったが、中国では日本では体験し得ないようなおもしろいことを目の当たりにしたが、それでもフランスの思い出に比べるとそれほど憶えちゃいない。

さらに銀座でもものすごくいろいろあったが、そんなに憶えていないし、帰りたいとも思わない。

でも、リヨンであったなら、遠い将来、リヨンで死んだっていいなと思う。フィガロの結婚を観て、映画館に通い詰めだった頃の陽射しをリヨンで毎日浴びたいと思う。悪いが、中国では死にたいと思わない。それは中国のせいではなく、25歳というボーダーラインのせいで、フランスはさらに若いときに行った。

今日は二十歳前後を過ごした熊本の先輩と久しぶりに電話で話したが、あの頃と何ら変わらない。新鮮なままである。これも25歳ボーダーラインのルールに適っている。

だから、熊本には時々でいいから行きたいと思うし、行けば記憶が鮮明によみがえる。

25歳以前に過ごした土地はすべて心の故郷になり得る。

わたしにとっては京都、大阪、熊本、パリ、リヨン、東京であり、人間はある年齢から25歳以前を取り戻すようになる気がする。

25歳以前にできなかったことを今になって必死に追い求め、25歳以前の記憶を再び鮮明に取り戻そうとし、やり残しを埋めている。

であるからこそ、25歳までには何かを求めて生きたほうがいい。それをしておかないと取り戻す何かがなくて精神的に路頭に迷う。

9月に熊本には行けそうだが、フランスにはもう14年行っていない。リヨンになると18年行っていない。

フランスは入国の際、コロナのワクチン接種証明も要らなく、フリーで入れるらしい。そうでなくてもスマホには海外用のワクチン接種証明があるから問題ないのだが、フランスはマスクもしていないし、わたしが知るフランスに戻っているようだ。昨年もフランスに行きたかったが、マスク着用のパリは嫌だった。パリはマスクするような街じゃない。

今年は公演が12月だからそれまでは動けない。公演の事後処理を終えてから、年明けにフランスに行ってもいい。

ああ、しかし5歳児をどうするか問題があった。パリに連れて行ったらわたしは自由がなくて大変なだけだ。一人で映画を観たり、マルシェでプレ・ロッティを買って赤ワインでいただくなんて極上の楽しみが味わえない。かと言って、1週間も留守番もさせられない。

いつになったらわたしは自由になれるのだろう?

A moi la liberté !

そういえば、年明けだと愛娘は6歳になるのだった。

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